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鷹槻れん

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#極道
鷹槻れん

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月詠 涼
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中村奈央子へ会いに行った数日後。
京介はいつもの黒いコートを羽織り、無造作にリビングの片隅へ置いてあった紙袋を手に取った。
口の閉じられていないその中に、帯付きの札束が無造作に詰め込まれていたことを、芽生は知っている。
年末、京介の様子がおかしかった日――葛西組組長の葛西了道から極道の世界を追放された折に〝結婚の祝い〟だと言って渡されたと話してくれたその大金のことを芽生はずっと気にしていた。けれど、京介が特にどうこうする気配もないから黙っていた。
時々、愛猫・殿様が袋の中へ入って遊ぼうとするのを阻止するためにちょっとだけ位置を変えたことはあったが、それ以外で触れたことはない。
家にむき出しの大金が放置されている状態というのは庶民の芽生としては非常に落ち着かなかったのだが、元々銀行の預金通帳などを作れない渡世に身を置いてきた京介にはさして特異なことではないようだった。
芽生はせめて京介の部屋の片隅に置かれた金庫へ入れてくれればいいのにな? とは思っていた。でも、そうしないということは、京介がその金を自分のものとして認識していないのかな? とも薄々感じていた。
その、放置されっぱなしだった紙袋を、相良組へ最後の挨拶に行くという今日、当然のように手にした京介の姿を見た瞬間、芽生は悟ったのだ。
(……京ちゃん、あのお金は最初から相良組へ持っていくつもりだったんだ)
胸がざわついたのは、葛西組の組長から〝ご祝儀〟として渡されたはずの金を、京介が芽生に何の相談もなく手放そうとしていることが嫌だったからじゃない。もともと芽生はその大金は葛西了道から京介への〝退職金代わりの餞別〟だと認識していたし、芽生には関係のない金だと思っていた。
芽生はただただ、京介が大切な場所を失うことと引き換えに渡されたお金を以って、なによりも大切にしてきた仲間たちと決別しようとしているという覚悟の重さに、胸の奥がぎゅっと縮むような息苦しさを覚えた。その辛さを、殿様の毛並みに顔を埋めてやっと堪える。
京介がもし自分を選んでいなかったなら、彼は今でも変わらず葛西組の若頭で、相良組の組長でいられたのではないだろうか。
そう考えると、芽生の恋心が京介の人生を左右してしまったみたいで心苦しかった。
京介は芽生がそんなことを言うたび、『俺が自分で選んだ道だ。お前のせいじゃない』と言ってくれるけれど、『そうだね』と素直に受け入れられるほど芽生もお気楽ではない。
「……行ってらっしゃい」
そういう諸々の気持ちを心の片隅に追いやって、殿様を抱いたまま落ち着いた声音でそう告げると、京介は芽生の頭へ一度だけポンと優しく撫でるように触れてから、「行ってくる」とだけ残して玄関の扉を閉めた。
静まり返った部屋に残された芽生の耳に、扉の閉まる音がいつまでも響いていた。
腕の中の殿様が、そんな芽生を気遣うみたいに「にゃーん?」と鳴いた。
***
昼前、相良組の事務所には組員たちがずらりと並んでいた。
重苦しい空気の中、鉄製の扉を押し開けて現れた京介に、全員の視線が一斉に集まる。
黒いコートの裾を翻しながら歩を進める姿に、怒りや戸惑いの入り混じったざわめきが起きる。
「カシラ! 本当なんですか、絶縁って!」
「嘘だって言って下さい!」
真っ先に叫んだのは、まだ二十代の年少組――佐山文至と木田慎太だ。涙で声が裏返り、必死に縋りつくような目を京介に向ける。
この数ヶ月で京介はもちろんのこと、芽生と関わりが強かったのは佐山だ。木田は佐山と兄弟分だから、彼に同調したのも当然に思えた。
そんな二人を彼らの兄貴分である三井隆司が宥める。
三井には、千崎とともに組員たちを取りまとめて欲しいと思っている京介は、自分も思うところがあるだろうに、冷静に舎弟たちを説き伏せている三井の様子を見て密かに安堵した。
そんな中、佐山らと同じく若手。長谷川のところからワケアリで引き取ってきた石矢恭司は、ぐっと押し黙ってこちらを見ているのみだった。元々は結構喋るタイプだった石矢は、相良組へ来てからは必要最低限のことしか口を開かない寡黙な男になった。
(千崎にゃー懐いてるし、まぁ大丈夫だよな?)
途中で手放す形になってしまったし、気掛かりといえば気掛かりだが、そこはもう石矢自身と千崎を信じるしかない。
一方で、三十代半ばの古参が血走った目で前へにじり寄ってくる。
「ふざけんじゃねぇ! 女にかまけて組捨てるなんざ聞いてねぇぞ!」
荒々しく吐き捨てられたその言葉に、すぐさま芽生のことを気に掛けてくれたんだろう。佐山がハッとしたように顔を上げ、そんな男に噛みつこうとする。
次々に浴びせかけられる声に、京介はひとつも動じる様子は見せなかったが、代わりにわざと音を立ててすぐそばの机の上へ手にしていた紙袋を乱雑に置いた。
芽生のことを、自分がこうなったことの理由にさせるわけにはいかないのだ。
倒れた紙袋の口から、帯付きの札束が数束雪崩れ出る。
ざわめく視線をよそに、京介は片手でそれを無造作に袋へ押し戻した。
几帳面に整えることもせず、幾束かは口からはみ出したまま机上に残る。
だが、その乱雑さこそが「俺にとってはただの筋のための金だ」と雄弁に物語っているようだった。
男たちの視線が一斉にそこへスッと吸い寄せられ、怒号も涙声も水を打ったように引いていく。
京介自身は何も言葉を発していないのに、一瞬にして場がしん……と静まり返った。
その隙を見逃さず、今まで黙して京介の背後へ控えていた千崎雄二が声を張り上げる。
「テメェら、さっきから黙って聞いてりゃぁなに手前勝手にしゃべってやがる! 今後一切うちの組とは無関係な女のことを引き合いに出すことは許さねぇ。心しておけ!」
それは、京介は当然のこと、佐山が言いたかったことも代弁する言葉だった。
一瞬だけ京介と視線を合わせた千崎は、その場にいる男達を見回して続ける。
「この男はなぁ、もううちの組とは何の関係もねぇ堅気さんだ。別に顔出さなくてもいいところを筋通しにわざわざテメェらのためにここへ来てんだよ。最後くらい黙って話を聞きやがれ!」
低く、しかし事務所全体へ響き渡る一喝に、その場にいた一堂が一斉に背筋を伸ばした。
相良組の面々へケジメをつけに来いと言ったのはほかでもない、千崎だ。
(よく言うぜ)
それを思い出した京介は心の中で一人苦笑すると、煙草を取り出して口に咥える。
これまでならば、すぐさま千崎が火を差し出していたところだが、今はそれもない。
それが、自分と千崎の主従関係が切れていることをこの場にいる男達へ見せ付ける何よりのデモンストレーションだと思った。
手ずから煙草に火をつけ、ふぅーっと大きく煙を吐き出すと、京介が言う。
「葛西のオヤジからも通達があっただろうが、千崎からも話があっただろ?」
そこでちらりとすぐそばの千崎に視線を流してから、京介は声のトーンを低めた。
「その話の通り、俺はオヤジから絶縁を言い渡された。テメェらも思うところは色々あんだろーが、ここにゃーもう俺の居場所はねぇってことだけはハッキリしてる! お前らには悪ぃが、俺はすでに堅気の身だ」
言葉は淡々としていたが、その場にいる誰もが息を呑むほどの決別の響きがあった。
「今更そんな俺が言うのも何だが、テメェらのことはここにいる千崎へ一任した。オヤジから公式に発表があった以上、『相良組』の看板も下ろす! これからは千崎の下で新しい旗の名の元、目一杯精進してくれや」
京介の言葉に、ややして組員たちの嗚咽の声が上がり始める。
今まで大なり小なり埃を持って名乗ってきた、『相良組』という組織名がなくなることは、千崎がその名を下ろすのを渋ったように、皆にとっても思うところがあるんだろう。
京介は千崎に「こいつは俺からの餞別だ」と机上の札束に一瞥寄越すと、ひらひらと手を振って歩き始める。
その金の出所や、それが渡された真意を知っている千崎がハッとして京介を見たが、その背中からは〝突き返すことは許さない〟というオーラが漂っていた。
葬式のようなどんよりとした空気の中、京介は無言のまま出口を目指す。
誰ももう、京介を止めようとはしなかった。
出入り口の扉へ手を掛けた京介の背中へ、まるで餞別のお返しだとでも言わんとするかのように、千崎の声が低く腹の底から響き渡る。
「者ども、よく聞け! 葛西のオヤジにゃーもう許可ぁ取ってるが、新しい旗名は『ユウソウカイ』にする!」
一瞬だけその名にピクッと反応した京介は、背後を振り返らないまま、千崎が掲げた真新しい木製の扁額を垣間見た。
墨跡堂々とした筆跡で書かれた『雄相会』という文字に、思わず口の端が小さく上がる。
千崎がその名の中へ、彼自身の名とともに、京介の名からも一文字残していることは明白だったからだ。
(バカが。俺のことは忘れろって言っただろ)
心の中で独り言ちながら、京介は無言で『雄相会』をあとにした。
昼の光の下を吹き抜ける冷たい風が、黒いコートの裾を大きく揺らす。
背中に残る仲間たちの嗚咽も、掲げられた新しい旗の名も、もう自分のものではない。
後ろ髪を引かれなかったといえば嘘になる。だが、京介の歩みは微塵も揺るがなかった。
すべてを手放してでも、芽生と共に生きると決めた男の足取りは、ただ真っ直ぐに前だけを見据えていた――。
***
雄相会をあとにした京介は、芽生と殿様の待つマンションへ戻った。
玄関の扉を閉めるなり、靴を脱ぎながら玄関先へ「お帰りなさい」を言いに来た芽生をぐっと腕の中へ抱き寄せる。
マンション内は空調が整っていて玄関先まで温かい。
外から帰ったばかりで冷え切った京介の身体に、芽生の体温はホカホカと心地よかった。足元で殿様が自分だけ仲間外れにされていることを抗議するように二人の足にまとわりついては時折「にゃーん?」と甘え鳴きをする。
「……全部、済ませてきた。これで心置きなく、お前と一緒に堅気として歩んでいける」
足元に殿様のしなやかな毛並み、腕の中に柔らかな芽生の温もりを感じながら、京介が芽生に静かな声音で報告した。
コメント
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最初、これを読んでから「それぞれの幸せ」を読むと、時系列がよくわかるんですよね。 千崎ファンって多いんですよね😊
『それぞれの幸せ』を読んでからこっちを読むと、見慣れた「雄相会」の名前の由来にこういう経緯があったのかー!と感慨深い気持ちになりました!
ああ、もう、これ……好きでした。京介が芽生に何の相談もなくあの大金を相良組へ持っていくシーン、すごく心に残りました。芽生が「気にしていたけど黙っていた」ってところから、彼女が京介の覚悟を悟る瞬間の胸の締め付けられる感じが伝わってきて……。最後、全部終わらせて帰ってきた京介が芽生を腕の中に引き寄せる温かさに、本当にほっとしました。いい回でしたね。