『太宰。切ってるだろ。』
与謝野女医にそう云われたとき私は不細工に笑った。
『なんの、ことです?』
私がそう云うと与謝野女医は白くしなやかな手で乱暴に私を医務室に連れ込んだ。
少し小さい丸椅子に座らせられると手慣れた手付きで鋏を持ち、なんのためらいもなく私の左腕の包帯を切ってゆく。
ぱらぱらと舞い落ちる包帯に目もくれず与謝野女医は私の左腕から目を離さない。凸凹でくすんでて、傷だらけの腕。できたてほやほやの傷も。
黄色い脂肪がジュクジュクとむき出して。その周りの皮膚に血がほんのりと滲んでいる。
他にもちらりと黄色を覗はかせているものや、パックリ。という擬音がお似合いな傷。
根性焼きの跡、我ながらに実に痛々しい。
与謝野女医は一度たりとも嫌な顔をせずステンレスの棚に並べられた消毒液を綿棒に染み込ませ容赦なく傷口を消毒する。
時折むき出しの脂肪にグリグリと押し付けるものだから私は口からポロッと小さなうめき声を漏らした。
消毒が終わると次は軟膏をまたぐりぐりと塗り始める。
『痛いのは嫌いなんじゃ?』
『えぇ、嫌いです。痛いのは、厭。』
『じゃあ如何して?』
与謝野女医は綿棒を上手に塵箱に投げ入れ、ガーゼを傷口に当て、慣れた手付きで上手に包帯を巻く。
『与謝野女医。其れを聞くのは御法度では?』
すると彼女ははぁと小さく溜息を付いた。
『聞かなきゃ何も始まらない。そうだろ?』
彼女はきっと私が質問に答えないと判っていて聞いた。自傷の理由なんて人がいる数だけある。しかも時間が立つに連れ理由なんてものはどんどん抽象化され、輪郭がぼやけ、しまいには最初の形なんてわからなくなるような。流動体だ。
私の心の奥底に本当の理由とか、気持ちとか多少は形を保ちつつ存在はしているであろうが、私が自ら其れに触れに行こうだなんてそんな、胸糞悪いことするわけがなかろう。
私はぷいっと横を向いた。医務室は思ったよりも広い。医療器具、真っ白な寝台。鋸、斧、なた。。。等など
するとあるものが私の目に入った。
『与謝野女医。お茶しませんか?』
与謝野女医は又ため息をついて立ち上がりお湯を沸かし始めた。
ふつふつと薬缶から登る湯気に故人がそっと姿を表した。
赤毛に砂色のコートそれに少し香ばしい煙草の香り。懐かしいような何処か哀愁漂うそんな雰囲気に【織田作】と。またもやポロッとこぼしてしまったその一言を与謝野女医は聞き逃すことは無かった。
『織田作?』
『あっいや。』
『知り合いか?』
『えっと…古い、友人です…』
眼の前に純白のティーカップといくつかの焼き菓子が置かれる。
『その人のこと聞いてもいいかい?』
眼の前のティーカップから華やかな香りがふんわりと優しくのぼる。鼻腔を擽るのはシルバーニードルズ。インドのオークションで過去最高額を叩き出した伝説の紅茶。
与謝野女医はカップの取っ手をつまみゆっくりと口元に運び紅茶を啜る。私は焼き菓子を一つ、ひょいと口の中に放り込むと其れを躊躇いというのだろうか、そんなものと一緒に紅茶で流し込んだ。
『織田作は、マフィア時代の数少ない友人でした。彼は未来予知の異能を持ちながらも最下級層で、とある組織の殲滅を命じられ殉職しました。』
与謝野女医が足を組み替えた。
『未来予知?そんな強力な異能者が殉職なんてあるのかい?』
『異能力の特異点ってご存知ですか?喩えば、絶対に相手を殺す異能と、絶対に死なない異能がぶつかった時。未知の異能が増幅し発動する。みたいな、、、』
中也とか、殻とか、、、
『なぁ太宰。単刀直入に聞く。其れは、止めろと云われたら止められるか?』
与謝野女医の目でわかった。私は今ここでやめると云わねばならぬと。
右手が無意識に左腕をさすった。
今まで幾度となく自殺行為を繰り返してきた私だが最近はもっぱら入水ばかり。
首吊りとか、飛び降りは痛いし苦しいし、数年前に辞めた。
入水に関しては冷たい川にふわふわと浮かびながら毎日顔色を変える空が楽しくて止められないのだ。
喩え痛くても、苦しくても自傷と何をとは云わないが過剰摂取はやめることに成功した覚えがない。
矢張り、手軽だと言う理由は無きにしも非ず。苦しくてもなぜだか楽しさや、楽になると云った楽観的な感情が勝ってしまう。
あ、否。一度だけ辞めることに成功した覚えがある。織田作だ。
彼と安吾とルパンに行くようになってから毎日が楽しくて楽しくて忘れるぐらい楽しかった。とは云え止められたのはこの一度きり。織田作が帰らぬ人になってからはマフィア時代より一層酷くなっている。
私は与謝野女医にこう答えた
『さぁ』
と
自傷行為だなんて敦くんたちには悪影響でしかないし、仕事に支障がでたら溜まったものじゃない。止めたいのは山々なんだ。それは本当なんだ。
私は唇を噛んだ。犬歯が食い込み穴からジワリと血が滲む。段々と食い込みが深くなるとやがて真っ赤な血液は私の口内に流れ込み、錆びた鉄の味が広がる。
『判らなく、なるんです。』
『今、私が居るこの環境が余りにも暖かくて、幸せで。親友を見殺しにしたと言っても過言ではないこの私が、此の場所に居ても良いのかどうか。』
『今まで駒のように、使ってきた部下たちが。私を責めるのです。毎晩毎晩死ねよ、死ねよと責めるのです』
私は織田作の云ったように弱いものを救えているのだろうか。部下たちは私の耳元でお前なんかに弱者は救えない、だから死ねと云っているように聞こえるのです。
然し、私はこうして腕に横線を増やすとすぅと気持ちが風のように軽くなり、彼らは責めるのを止めてくれる。
やめるのはきっと私にとって生きるのを辞めることでもあると思う。故に、止められない。
『なら、弱きを救うのをやめるのはどうだ?』
『それは、できません、、、』
織田作の最後に私に託したその言葉。其れをやめるというのは私の中で織田作を裏切り、殺すも同然。そんな事出来やしない。
『私は…どうしたらいいのでしょう。幾度となくこのままでは駄目だと自分に言い聞かせてきましたがことごとく、失敗して。』
『正直もう考えるのも嫌なのです』
与謝野女医の向こうにふと、織田作が見えた。
彼はじっとこちらを見て動かない、光の入らない瞳は彼がこの世のものではない事を現し、同時に私が創り上げた幻覚だということも現す。
もしも、今織田作も探偵社にいて、私とと共に働き誰かを救っているなら、こんな私を見て彼は何を思うのだろう。くだらないと、言われてしまうのだろうか?それとも、もう私なんかどうでも良く、なってしまうのだろうか。
彼の幻覚は私が私を責め立てる理由をどんどん作る。頭の中は自虐と不安でいっぱいで、整理がつかなくなってきた。ブレーキをかけても止まらない私の妄想、空想がどんどん泉のように湧き出て、止まらなくて、
ぽとぽとと私は自分の服に小さなシミを作っていた。
可笑しい、私の口角は上がっているのになぜかポロポロと涙が落ちるのだ。
与謝野女医は少し焦ってる。私が急に泣き出したから、焦ってる
全く、私は友人一人救えず、手を差し伸べてくれた人に迷惑をかけて、終いには、自分すら救えないだなんて飛んだ大莫迦者じゃないか。
“今日家に帰ったら死のう”
心中なんてどうでもいい、兎に角もう何も考えたくない。私の創り上げた織田作にずっとしがみつきたくない。何もかも放り投げて全部全部あきらめて死にたい。
辛いんじゃない、苦しいんじゃない。ただこの状況が私にはどうしょうもない。
『御免なさい与謝野女医。私…今日はもう帰りますね』
袖で乱暴に目尻を擦った。カップを机において立ち上がると与謝野女医は私の外套の裾をつかんだ。
・ ・ ・
『なァ。太宰。もう少しゆっくりしていけよ。それか呑むか?』
与謝野女医は不敵な笑みをうかべつつ、片手に日本酒を持っている。
私は溜息を一つついた。もう一度椅子に座ると、与謝野女医は床に落ちた包帯や、ゴミ箱を片付け、「何かしら」の手当をした痕跡を綺麗さっぱり消した。
そして、医務室の外まで聞こえる声で
『乱歩さ〜ん呑むかい〜』
と。
すると乱歩さんは両手にいっぱいのお菓子と数本のラムネを抱え、敦くんはたこ焼き器を、国木田くんはスーパーの袋、鏡花ちゃんはソフトドリンク、社長は折りたたみ式の机と人数分の椅子を運んで来た。
今からパーティを開くらしい。私はじくじくと痛む腕を後ろに回した。
『どうしたんだい?』
そう聞くと敦くんは『太宰さんは僕を見くびらないでください。』
『太宰さんの元気がないってことぐらい僕でも判ります。』
と。
私は苦笑する。
後輩に気を遣わせてしまった。いつものように振る舞えなかった。何より心配をかけてしまった。
敦くんのことを見くびってなんかいないけれど彼にバレたのは少し心外だ。
彼の成長と共に少々の自責を感じるものの、今この場で自虐すると何かが決壊することが私にははっきり見えていたのでとりあえず、心の奥底に言葉をぎゅっと押し込む。
『太宰。抑え込むな、あとから辛くなるだけだ』
敦くんの次に私に声をかけたのは乱歩さんだった。彼は片手に持ったラムネ瓶を私の足の上にぽん、と置き机の上にあったもう一本のラムネを開けて、しゅわしゅわと音を奏でながら潤いを求める彼の喉に流し込む。
『私はもう15の餓鬼じゃないので、多少の無理はしますよ。乱歩さん』
『今は無理する場面じゃないだろう。太宰もだいぶ莫迦なんだね。』
『みんなが太宰のこと心配して気にかけてるの、わからない?
君は嫌なんだろうけど敦くんなんて太宰のことが気になって仕方なくて仕事が、進まなかったんだから。業務が滞ったら君の責任だからね』
私は何も言い返せずただ俯いていた。嗚呼、私のせいだ。又もや自責が溢れ出る。ここまで来たら今日はもう止まらない。ずっと誰かに喉を握られている感覚。
私はラムネを一旦机において、化粧室に籠もることにした。周りに人がいるとどうしても整理が付かないのだ。
カチカチと安いカッタァの刃を出す音が静かに個室に響く。与謝野女医が丁寧に巻いてくれた包帯を申し訳ながらも外し、皮膚が露出すると私は躊躇いもなく刃を皮膚に当て引く。
刃と皮膚が摩擦を起こし微かにしゅっと小さな音が聞こえると小さな溝にみるみる血が溜まる。
泉のように、それこそ私の自責と罪悪感のように際限なく溢れる。
然し、喉にある誰かの手は無くならない。未だ息苦しい。
若し、このカッタァを腹に突き刺したのなら、首元に当てて引いたのならこの閉塞感はなくなるだろうか?息苦しさはなくなるのだろうか?
そんな事をしたら皆に迷惑がかかるのは判りきっている。嫌というほどわかるけども、私はもう、この状況が嫌で嫌で嫌でたまらない!!!
楽になりたい、何も考えたくない、もう荷物をおろしたいのだ、
誰か私を救っておくれ。
コンコンッ
扉が無機質ながらも何処か暖かい音を奏でる。
『太宰、悪く思うな。開けるぞ』
どんっと大きな音がなる。国木田くんがドアをぶち破って入ってきた。私は涙目で彼を見つめる。
すると私の手からカッタァナイフを取り上げて数十m先に投げ捨てた。
『かえ…して』
私の喘ぐような声に彼は眉間を押さえる。
腕からは依然として鮮血が滴る。彼はトイレットペーパーを沢山とって私の腕に強く押し当てると彼は右手を上げた。
私は歯を食いしばり、きゅっと目を瞑ると甲高い音が個室に響く。私の頬は綺麗に彼の手形が残り、じんじんと痛む。
『其れをすれば、太宰は救われるのか?楽になれるのか?ならば俺は止めない。』
『答えろ太宰。お前は、其れに救われた覚えがあるか?楽になった覚えはあるか?心が軽くなった覚えはあるか?』
私は真っすぐで強い彼の目線に耐えられずぽろぽろと透明な真珠を零す。
昔、国木田は綺麗事過ぎる時誰かに叱られた時があった。私はそれを聞いたとき当にその通りだと、思った。
世の中理想なんかで廻らない。善が全てじゃない。寧ろ、悪のほうが多いくせに、国木田くんは理想を愛し、悪を嫌う。真逆人間がどうして私を救えよう。
なのに、なのになぜ私は一瞬でも彼に救われて見たいと思ったのだろうか。
あんなにも眩しくて、熱くて苦しかったはずの正しさが今は只々羨ましく見える。
『国木田くん、私はどうすればいい?』
かつて織田作に訊ねたこの質問。彼は何と答えるだろうか。
『そうだな先ずは、報告書を書け、任務に向え、後輩の面倒を見ろ』
『そして、たっぷり寝て、たらふく食え。厭というほど休め。その時は付き合ってやる、生憎有給が溜まってるものでな。』
彼は下がったメガネを上げながら顔を背けた。私はその場に座り込んで泣いた。
体中の水分を全部出すような勢いで泣いた。でも声は押えた。彼に聞かれたくなかった弱い私を曝け出したくないのだ、小刻みに肩を震わせる私に彼はそっとハンカチィフを渡す。
そのハンカチィフを受け取ると彼の袖を強く、此方側におもいっきり引いた。彼は体の重心を傾け、私の方に転ぶと彼は華麗な受け身をし、私を懐に抱いた。
与謝野女医の前で泣いて、国木田くんの直ぐ側で泣いて、今日の私はどうかしてる。そして、どうかしてる私を一方的に国木田くんが見るのは狡い。
だから私は一つ嫌がらせをしようと思った。
彼の胸ぐらを掴み引き寄せて、
接吻。
私が先刻唇を噛んだために私の血液がじゅわりと国木田くんの口内に移る。
あまり血色の良くない唇に紅を差したようだ。
すると、彼は私の首と膝に腕を滑り込ませよいしょと持ち上げた。
『太宰。そんなので俺が驚くと思ったか?貴様の色仕掛けはもう効かんぞ』
彼は微かに口角を上げる。私はそんな彼に顔を紅潮させた。そしてかれの胸元に顔をうずくめると私を再び医務室に戻して寝台に乱雑に放り投げた。
コメント
3件
ヒュエッ、最高ですっ、
めちゃくちゃ最高です😭😭テラーで太国あまり見かけないので最高しか言いようないです❕❕
うおおお……推しカプ…尊い…