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side mtk
スタジオに到着すると、打ち合わせ室の扉を開けた。長机の上には資料が並べられ、若井と涼ちゃんが腰を下ろしている。
スタッフは外で慌ただしく動いていて、まだ始まる気配はない。
「おはよう」
声をかけると、ふたり同時に「おはよー」と返してくる。
マスクを外し、荷物を脇に置いて若井の隣に腰を下ろした瞬間——。
「オフ明けで、そんな幸せそうな顔してる元貴、初めて見た」
若井が肘をついて横から覗き込む。
「ほんとだ。なんか……お花しょって歩いてるみたい」
涼ちゃんまで身を乗り出してきて、からかう声が重なる。
「……は?」
眉をひそめるが、ふたりの視線は容赦なく突き刺さる。
「まさか……まさかねぇ?」
若井がわざとらしく声を伸ばし、ニヤリと口角を上げる。
「誰と会ってたの?」
「誰でもいいでしょ」
そっけなく返すが、若井の目が確信を帯びた。
「あ、あれだ。この前言ってた子でしょ」
……これは逃げられないな。
「そうだけど、なに?」
わざと平然を装って返す。
直後、若井と涼ちゃんが目を合わせ、頷き合う。
次の瞬間——声がハモった。
「「付き合ったんだぁ〜〜!!!」」
机をドン!と叩いて前のめりになる若井と、満面の笑みで拍手する涼ちゃん。
打ち合わせ室は一瞬でお祭り騒ぎになった。
若井がなぜか僕の両手をがっちり握りしめ、身を乗り出す。
「名前は?年齢は?……可愛い? ねぇ?あと趣味は?血液型は?!」
後ろで涼ちゃんまでコクコク頷いてる。完全に取り調べを受けてる気分だ。
「……みおちゃん。2個下。……死ぬほど可愛い」
観念して答えると、二人が「おおお〜!」と声を揃えて歓声をあげた。
そこで若井が、わざと声を潜めてニヤリ。
「でさ……おっぱいでかい?」
「……は?」
即座に眉が跳ね上がる。何言ってんだコイツ。
けど——脳裏に、彼女の体温や柔らかさが鮮明に蘇ってしまう。
その一瞬の沈黙を、二人は逃さなかった。
「……おい、今の間はなに。肯定だろ」
若井がニタァ〜と笑いながら手を離さない。
涼ちゃんは仰け反って爆笑している。
「……っ……」
顔を覆って誤魔化すしかなかった。耳まで真っ赤なのは自分でも分かる。
ひとしきり笑った後、涼ちゃんが切り出した。
「でもさ……ミセスの大森元貴だって、バレてるんでしょ?」
若井も、さすがに少し真顔で僕を見た。
「まぁ、一昨日会った時に、向こうから言われたよ。
でも、信用できる子だから。……僕にとって、大事な子だし」
その一言に、二人が「ほ〜〜」と顔を見合わせて頷く。
涼ちゃんが「なら安心だね」と言い、若井もほっとしたように笑った。
が、次の瞬間、若井の悪い顔。
「でさ、次のオフ……会うんでしょ?予定まだ仮だけど」
「まぁ、会う予定、だけど」
「熱々だねぇ〜!ふぅ〜!」
涼ちゃんが茶化し、若井がわざと肩を組んで揺さぶってくる。
(……悪だくみの顔してるな。絶対ロクなこと考えてない)
——そのタイミングでスタッフとマネージャーが入室。
「すみません、おそくなりました。打ち合わせ始めまーす!」
救われたように息をついたけれど、二人のにやにや顔はしっかり残っていた。
side mio
玄関の鍵を開けて部屋に入る。
とりあえずエアコンをつけて手を洗い、ラフな部屋着に着替えた。
椅子の上には、彼から借りたDVD。
ケースをひとつずつデスクに並べてみるけれど……どれから手をつけるべきなのか分からない。
「……やっぱり本人に聞くのが早いか」
お礼も兼ねてLINEを送ると、すぐに既読がついて返事が返ってきた。
Atlantisから見るの、アリかも。……まあ、全部見てほしいけど。
“見ます”と返すと、またすぐに通知。
「レポート待ってる」の一言。
——これは大仕事だ。
冷蔵庫を開けると、ほとんど空っぽだった。コップに水を注ぎながら、「あとで買い出し行かなきゃな」と小さくつぶやく。
机にコップを置き、椅子に腰を下ろす。
PCの電源を入れ、DVDケースを手に取った。
深海に沈む古代遺跡のパッケージ。
タイトルどおり——Atlantis。
一枚目のディスクをトレーにセットし、再生ボタンに指をかける。
けれど、押すのを躊躇している自分がいた。
彼のことをもっと知りたい。
でも、これまでずっと避けてきた自分も確かに存在している。
——指先に熱がこもる。
前に進まなきゃ。
自分のためにも、そして——私を選んでくれた彼のためにも。
そっと息を吸い込み、決意を込めて再生ボタンを押した。
再生ボタンを押すと、暗がりのステージにスポットライトが射し、歓声が波のように押し寄せた。
光に照らされたのは、鍵盤の前に立つひとりの人影。
「……女神さま……?いや藤澤さん…」
思わず口からこぼれる。
ライブハウスで彼の右隣にいて、にこにこと優しく笑っていたキーボードの人。
あのときの柔らかい笑顔は、大きなステージに立っても少しも変わらず、光そのものだった。
続いて、軽快なリフが空気を切り裂く。
スポットに浮かび上がったのは、金髪でギターを構えるお兄さん。
「……若井さん」
彼の左隣で音を紡いでいた姿が、頭に蘇る。
ライブハウスよりずっと大きな会場でも、その立ち姿は堂々としていて、頼もしさを増していた。
そして最後に、中央に白い光が落ちる。
ゆっくりと姿を現したその人に、思わず呼吸を忘れる。
いまより髪が長く、どこか儚げな雰囲気を纏った——大森元貴。
マイクを握る指先が映り、わずかな静寂を裂くように声が響いた。
——世界が、輝いた。
その瞬間、胸の奥がじんわりと熱を帯びる。
ただ歌い出しただけなのに、心が震えて、涙がこぼれそうになる。
同時に、記憶がフラッシュバックする。
——初めてライブハウスで聴いた声。
あの距離の近さと、画面越しの圧倒的な光が重なって、胸をぎゅっと締めつけた。
(……ああ、やっぱり。この人は特別だ)
画面越しなのに、確かに“光”が届いた気がした。
気づけば、呼吸をするのも忘れていた。
曲が進むごとに、照明も演出も変わり、会場全体がひとつになって揺れている。
彼の声。
伸びやかで、やわらかくて、時に鋭く突き刺す。
何度も聴いてきたはずなのに、初めて触れるみたいに胸を震わせる。
最後の音が響き切り、画面が暗転する。
静まり返った部屋に、鼓動の音だけが残る。
しばらく動けない。
ぽつりと、言葉がこぼれた。
「……ほんとに、すごい」
誰に向けたわけでもない。
ただ胸の奥から自然に漏れ出た言葉だった。
そして次の瞬間にはもう、強く思っていた。
——また、ステージに立って歌う姿を見たい。
あの光の中で歌う彼を、この目で確かめたい。
その願いが、心の底に静かに灯っていた。