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家に戻るなり、私はそのままの勢いでカレンの手を取った。
細くてひんやりしているのに、芯だけ妙に熱を持っているような、不思議な感触だ。
「こっち」
有無を言わせず、自分の部屋へと連行する。
カレンは特に抵抗もせず、ただ小さく首を傾げながらついてきた。たぶん、これから怒られる予感ぐらいはしているのだろう。
私の部屋は、基本的に「寝るだけの場所」として使っているから、椅子もテーブルも置いていない。
一人になりたいとき用のセミダブルベッドが1つ、壁に寄せてどん、とあるだけだ。
「座って」
ベッドをぽんぽん叩いて示すと、カレンは「ん」とだけ返事をして、言われた通りに腰を下ろした。
背筋を伸ばして座っている姿は、どこか「呼び出された生徒」のようにも見える。
「カレン。なんで怒られるか分かってる?」
できるだけ声を荒げないように、静かに問いかける。
怒鳴ったところで、この子にはたぶん響かない。理屈をちゃんと通さないといけないタイプだ。
「何も言わず、動いたから……?」
おそるおそる、といった感じで返ってきた言葉に、私は小さく首を横に振った。
「違うよ。カレンがルールを破ったからだ」
ここからが本題だ。
言葉を選びながら、噛んで含めるように続ける。
「カレンの国では、さっきの奴らは万死に値する事かもしれない。
でも、それはカレンの国でしか適用されないルールなんだ。こっちにはこっちのルールがあって、こっちに居るなら、それに従わないといけない」
私自身、回帰してから「違う世界」のルールに散々振り回されてきた。
それでも、そこに住むと決めた以上は、順応するしかない。
「でもっ、あいつら、あーちゃんたちを狙って……」
カレンの声が、ほんの少し震えた。
涙を堪えているのか、瞳の縁が赤くなっている。
「そうだね。私達を思って動いてくれた事は、すごい嬉しいよ」
そこは否定したくなかった。
無茶苦茶なやり方でも、出発点が「私たちを守ること」だったのは分かる。
あまり怒られることに慣れていないのか、カレンは子供みたいに涙目になって俯いている。
その姿が、反抗期真っ只中に私に噛みついてきては、怒られたあとベッドの隅で丸くなっていた沙耶と重なって、思わず苦笑がこぼれた。
「ちゃんとルールを教えてない私も悪かったし、あまり気に病まないでね」
そう言いながら、そっとカレンの頭を撫でる。
さらさらとした青い髪の感触が、指の間を心地よく滑っていく。
「……次からは、攻撃するときは、あーちゃんの許可取るようにする」
ぽつりと落ちたその言葉に、胸の中の緊張がすとんと軽くなった。
「うん。私がやれっていったら、好きなだけ暴れていいからさ」
「そうする。あーちゃんに迷惑は掛けたくない」
聞き分けが良くて本当に助かる。
これで、少なくとも勝手に斬りかかられる心配は減っただろう。犠牲になった数名の襲撃者には悪いが、半分くらいは「見せしめ」になってもらおう……。
後で林さんに特定してもらって、生活に困らないくらいのゴールドをそっと送金しておくつもりだ。死にはしないように止めたのは、そういうフォローを前提にしているからでもある。
私の隣に座っていたカレンは、叱られタイムが一旦終わったのを察したのか、当たり前のように体をぐいっと寄せてきた。
その勢いのまま腕を引かれ、気づけば私がベッドに押し倒されたような体勢になっていた。
「ところで、あーちゃん。淫魔と同じベッドに座るって……誘ってる?」
「そんなつもりは微塵にもないんだけど……こらっ、どこ触って――!」
ずい、と伸びてきた手が、明らかにアウトな方角に向かっていたので、反射的に掴んで引きはがす。
カレンは無表情のまま、しかし分かりやすく唇を尖らせて頬を膨らませた。
食事を目の前にして「待て」をされている犬、という表現がこれほど似合う存在も珍しい。
「むう、据え膳……。今回は我慢する」
「うん。そうしてくれると助かるんだけど……何でがっしり抱き着いてるの?」
手は離したはずなのに、今度は正面からぎゅうっと抱きしめられた。
腕は私の肩の上からがっちりと回され、足まで絡められている。まるで、私が逃げないように全身で拘束しているかのようだ。
「ん。密着したほうが魔力が感じやすい。私の魔力、少しずつあーちゃんに入ってるの……わかる?」
「えっ、あぁ。最初は少し異物感があったけど、馴染んだね。少しずつ流してきてるけど、これは?」
「順応性が高い。流石……あーちゃんに魔力の使い方、教える。えっとね――」
カレンの声が、耳元で淡々と説明モードに切り替わる。
魔力を持たない生物が、一定以上の魔力を体内に取り込むと、中心に魔石が作られる。
少しずつ蓄積させれば大きくなっていくが、急激に取り込むと激痛が走る――この辺りは、魔力増加法で嫌というほど体験している。
あの「内側から焼かれるような痛み」は、魔石が作られるときの痛みだったのかと、今さら腑に落ちて妙な納得感があった。
そして、私が今使っている魔力の流れは、全身に張り巡らされた血管を「通路」にして循環しているらしい。
そこまでは、私も感覚的には理解していた。
驚くべきは、その先だった。
魔石が一定以上の大きさになると、取り込んだ魔力を使って、全身に見えないほど細かい「根」を張り巡らせる。
カレンはそれを「魔脈」と呼んでいて、血管に沿って走ってはいるものの、魔力を通せる量は血管とは比較にならないらしい。
一本や二本ではなく、血管を包み込むように無数に走っているそれが、魔族たちの「本当の力の源」だという。
私とカレンの差は、この魔脈を使えているかどうか――それだけ。
遺跡で倒した魔族――ジルドも、当然のように魔脈を使っていたそうだ。
だから、私が死に物狂いで二重詠唱した【神速】の斬撃を防がれたのも、今なら納得がいく。向こうはフルスペック、こっちはまだ「通常回線」しか使っていなかったのだ。
「魔脈、最初は閉じてる。開かないといけない……」
「なるほど。それで、この格好と何の関係が?」
「魔石が出来る時の数百倍は痛い。全身が引き裂かれるような痛みで我を失って暴れないように――」
「へっ?」
聞き返した瞬間、カレンから流れ込んでくる魔力の量が一気に跳ね上がった。
体内を、濁流のような魔力が這い回る。
皮膚の下を何かが走り回るような、強烈な異物感に思わず吐き気を覚えるが、その流れは一直線に胸の中心――私の魔石へと向かっていった。
胸骨の奥で、何かが「掴まれた」感覚がする。
カレンの魔力が私の魔石を包み込んだ瞬間、彼女が「えっ……まあ、いっか」とぼそりと呟いた。
その直後――
これまでの人生で経験したことのない激痛が、私を丸ごと飲み込んだ。
体を切り刻まれ、捻じ曲げられ、押し潰される。
骨の一本一本、筋肉の筋一本に至るまで、全てがバラバラに引きちぎられたあと、力づくで再構築されているかのような痛み。
理性が一瞬で吹き飛びそうになる。
「落ち着いて……だいじょうぶ。あーちゃんなら、できる」
耳元で囁く声だけが、かろうじて私を現実につなぎ止めた。
その声と共に、少しだけ痛みが和らいだ気がしたが、それでも十分に「気が狂いそう」なレベルには変わりない。
感覚としては、身体が真っ二つに裂けているのに、皮一枚だけで繋がっているような、そんな綱渡りの痛みだ。
今すぐカレンを振り払って床をのたうち回りたい衝動に駆られるが――それを見越しての、さっきの「抱きしめ拘束」なのだと理解できてしまった。
数分なのか、数十分なのか、あるいは数時間なのか。
時間の感覚が完全に狂うほどの痛みが、延々と続いたように感じられた。
やがて、嵐が少しずつ引いていくように、痛みは徐々に薄れ始めた。
歯を食いしばらなくてもどうにか耐えられるレベルまで下がった頃、私はようやく、大きく息を吐く余裕を取り戻した。
「ありがとう、カレン。【魅了】も助かったよ」
かすれた声でそう言うと、カレンは私の拘束を解き、自分も横にごろんと寝転がった。
「ん、どういたしまして。バレてなければ徐々に強くして、私の虜にできたのに……残念」
「さらっと物騒なこと言わないで」
そう言いつつ、横に並んだカレンの頭を撫でてやると、彼女は目を細めて心地よさそうな表情を浮かべた。
沙耶たちも、撫でられるとよくこんな顔をするが……どこか質が違うような気もする。
前に沙耶にそれとなく聞いてみたけど、曖昧に笑って誤魔化されたままだ。
試しに、カレンにも聞いてみる。
「撫でられて、落ち着くの?」
「ん。今のあーちゃんは、魔力が制御できてないから漏れてる。こっち、魔力薄い。あーちゃんの周りは濃い、だから息苦しくない。魔力がおいしい」
「だから私の周りにずっといるんだね……私も、そういえば息苦しくないな」
「ん、私、制御苦手。する気もないから、垂れ流し」
なるほど。知らないうちに、カレンの「魔力だだ漏れ」に助けられていたわけだ。
完全に痛みが引いた今なら分かる。
身体の隅々にまで、大量の魔力が行き渡っていることに。
これは……今までと感覚が違いすぎる。【竜体】を得たときよりも、扱いに苦労しそうだ。
「あれっ、注視しなくても魔力の流れが見える」
部屋の空気を眺めているだけで、世界の輪郭にうっすらと魔力の流れが重なって見えた。
今までは意図的に目に魔力を集めてフィルターみたいにしていたのに。
「ん、魔脈が開いたから……あーちゃん。今まで見えてなかったの……?」
「うん。目に魔力を意図的に集めてフィルターのような感じで見てたぐらい」
「それ、教えちゃダメだよ? 加減間違えると、眼球パーンって、なる」
カレンが目の前で手をグーからパーに開いて見せる。
……眼球破裂のリスク付きだったのか、あれ。
便利だからって、沙耶たちに教えようとしていた自分を全力で止めたい。危ないところだった。
ふと、自分のシャツに目を落とすと、汗でしっとりと肌に張り付いていた。
全身汗まみれ。そりゃあ、あの痛みなら仕方ない。
「さあて、風呂でも入るかな」
ベッドから起き上がりながら呟くと、隣で寝ていたカレンもぴょこんと身を起こした。
「お風呂? 私も入りたい」
そう言って当然のように立ち上がる。
そういえば、カレン用の服をまだ買っていなかったことを思い出す。明日は皆で服を買いに行く必要がありそうだ。
今日は、とりあえず私の手持ちで我慢してもらおう。
多めに買っておいたTシャツと短パンをクローゼットから取り出して渡す。
下着は――と考えたところで。
「なんでもう脱いでるのさ……」
気づけばカレンは、手際よく着ていた服を床に脱ぎ捨てていた。
迷いのない所作に、ある意味感心してしまう。
「私、お風呂、好き」
瞳をきらきらさせながら言うその様子は、完全に「温泉大好きな観光客」だ。
床に置かれた服を拾い上げて洗濯カゴ行きに確定させながら、私はふとあることに気づいた。
「あれっ、カレン。下着は?」
「邪魔だから着けてない。着ける胸もない……」
ううむ。
胸に手を当てながら、カレンがさらっと言う。
そう言われると、私は何も返せない。沙耶と同じ「悩み」を持っているのを知っているからだ。
変に否定すると地雷原に突っ込みそうなので、今日は黙っておくことにした。
下着に関しては、明日しっかり買って、きっちり着けてもらおう。
リビングをそっと覗き見ると、沙耶たちは自室に籠もっていた。
今なら裸の付き合いを見られずに済む。
静かに風呂場に向かい、私も服を脱いで洗濯カゴに放り込む。
カレンは興味津々といった様子で、じっと私が脱ぐのを見ている。そんなに見ても、脱ぎたてほやほやの服以外は何も出てこない。
全て脱ぎ終えてから、浴室のドアを開ける。
あぁ、そういえば――なんで一緒に入ることになってるんだろう、と一瞬だけ思ったけれど、答えはすぐに出た。
単純に「使い方が分からない」から、だ。
なら、ついでだ。
シャワーの使い方も、湯船の浸かり方も、この世界式の「お風呂マナー」も。
まとめて全部、教えてあげようじゃないか。
カレンの身体も、ついでに私が洗ってあげることにしよう。