「ハァ…ッ、ハァ…ッ!」
夜中の百鬼学園。暗闇にのまれた廊下を、つまづきそうになりながら必死に走る。
ドタドタという無様な足音と、苦しげに喉を鳴らす呼吸音がやけに鮮明に聞こえる。
必死に前へと手を伸ばし、ガタン!と手探りで開けた扉の向こうへ
身を滑り込ませ、乱暴に閉める。
(…ッ! クソッ、なんで逃げた先に毎回アイツが居るんだよ…!)
どこかへ逃げるにも、逃げる先に毎回アイツが居る。
次へ、次へ、とぬらりひょんの能力を使っても追いつかれる。
妖力がもう残り少ない、あたりまえだ。
一日に何回も能力を使っていれば、流石の私でも体の限界が来る。
(ここは………)
暗闇でどこの部屋に入ったのか分からなかったが、
壁には職員達の名札が並んでいる。
どうやらここは『職員室』なのだろう。
無数の物陰と机が並び、身を隠すには格好の場所だと
震える思考の隅で安堵した。
(…妖力も残り少ない、こうなったらここでやり過ごすしか…)
そう思った瞬間――
(コツ………コツ…………
「ッ…」
一瞬にして、背筋が凍った。
扉の向こう側から、規則正しいリズムが近づいてくる。
コツ、コツ、コツ。と、その足音の人物から逃れるように、肺から空気を押し出し身を縮める。
「あれー?どこに行っちゃったの~?」
その声の主は、
何千年も昔から知っている、馴染み深い人物のものだった。
だが、それと同時に今この瞬間、得体の知れない恐怖を全身で感じている、
「おーい、あっちゃーん!………もう、どこに隠れちゃったの?」
「…………」
「はぁ……、見失っちゃった……」
「しょうがない、この学園はあっちゃんの方が詳しいもんね」
「また出直そっと」
「……」
(バンッ!!!
その瞬間、職員室の重い扉が乱暴に叩かれた。
「なっ…!はぁ…⁉‼⁉」
「な~んちゃって。 ここに逃げ隠れたことは知ってるよ? ほら、出ておいで?」
先ほどの一撃で終わるかと思いきや、再び扉を叩かれた。
張り詰めた静寂の中、扉の向こうで、
ガチャ、ガチャと、不気味な音が響く。
そんな中、自身は安堵していた。
なぜなら、
扉にはしっかりと鍵をかけたからだ。
この百鬼学園の、あらゆる部屋の鍵を管理するのは
何を隠そうこの私なのだから。もちろん、職員室も例外ではない。
「ねぇ?開けてよ。 今開けてくれれば優しくするからさぁ」
「……う~ん、開けてはくれないかぁ」
「……ふふ、あっはは。あっちゃんってば本当におバカさんだよね」
(ギィ……
(…………は? いや…そんなはずない、だって……確かに鍵を………)
ギィ………と、聞き慣れない音に、顔を青ざめた。
鍵はかけたはずだ。この手で、確かに。
(まずい…!早くどこかに隠れないと…ッ)
ゆっくりと、不気味な音を立てて
閉ざされていたはずの扉が、ゆっくりと内側へ開いた。
「もう、僕は泥棒だよ? ピッキングくらい秒であさめしまえだよ」
(…自信満々に言うことじゃねぇだろ……)
「さ、どこに隠れたかなー? このロッカーかなぁ」
「んー、いなさそう? じゃあこっちのロッカー?」
まるで大当たりを期待するくじ引きのように、
ロッカーの扉を次々と叩いていく。
その行動が、余計に自身の恐怖を煽っていく。
「こっちも違うよねぇ」
「だって――」
その言葉と同時に、床に落ちた影がするりと動いた。
「ここにいるもんね?」
「…っ⁉‼⁉」
机の下を覗き込んだ彼の顔は、薄暗い中、どこまでも優しい笑みを零している。
「ほら、おいで」と、穏やかな音声とは裏腹に、捕らえられた腕に容赦ない力が加わる。
逃げ場を失いずるずると引きずり出された体は、
そのまま蘭丸の腕の中に封じ込まれた。
「あはは、机の下に縮こまるなんて、かんわい~」
「僕に見つかって引きずり出されて、簡単に押し倒されちゃってさー あっはははは、はぁ……」
「………ッ、離してください…ッ」
「あっちゃんが何を考えているかなんて僕にはぜーんぶ分かるんだよ?
なんでだと思う? 僕があっちゃんを愛しているからだよ?」
「あっちゃんが僕と別れるとか言い出して、僕の前から姿を消した日から 、
僕は気が気じゃ無かった…、 なんで勝手にいなくなるの? ねぇ?ねぇって? こっちを向いてよ」
「…あぁ、そんなに僕のことが嫌いになっちゃった? 認めない、僕は絶対に認めないから。
別れるなんて許さない。 連絡が取れなかったこの一週間、僕は抜け殻のように過ごしてたのに」
「あっちゃんは僕と離れられて嬉しかった? ねぇ?どうなの?」
「………い゛ッ…っ!」
手首を締め付ける指の力がじわじわと増していく。皮膚に食い込む爪の先が、鋭い痛みを走らせる。どれほどもがいても、この圧倒的な力の前では、身動きひとつままならない。
「僕の何がいけなかった?何が足りなかった? 嫌なことがあったなら直すから、
僕、あっちゃんが居ない生活なんて考えられない…っ」
「ねぇ······やり直そう? 僕はまたやり直したい。 ねぇ、お願いだから戻ってきて」
「ほら、仲直りしよ? あっちゃんが僕の前から急にいなくなったことは許すから…」
「…………」
「キスしよ?それでまたやり直そう? ほらこっち向いて」
躊躇いなく顎を掴まれ、逃げ場のない唇に熱が押し付けられる。
「…………っ」
「…なんで無視するの? 黙ってないでなにか言ってよ? ………そんなに嫌?」
「あぁ、もしかして「愛されてないかも」って不安になって
別れたいなんて言い始めたの? 僕がもっと愛を伝えてやればよかったかな? 」
ふっと顔を寄せられ、吐息がかかるほど近くで耳元に囁かれる。
「じゃあ今からたーっぷり愛してあげる。 もう二度と別れたいなんて思わないくらいに」
「…な……っ……」
傷つけないように優しく、
しかし有無を言わせない力で彼女の顔を固定する。
「やめてください………ッ、やめ、やめろ朱雀………ッ!///」
「っ…!んっ…ぅ!///」
強く引き寄せられ、唇が重なり。
熱を帯びた吐息が触れ合い、全身に甘い衝撃が走る。
(ガリッ…!
「っいた······、あっちゃん、今、僕の舌を噛んだ?」
唇を噛み締め、蘭丸の怒りを押し殺した声が掠れて震える。
「あー······ははは、あははは、はぁ、そうか。 へぇ、そんなことしちゃうんだ? 」
ニコニコと笑う口元とは裏腹に、目はただのガラス玉のように光を宿していなかった。
その視線が向けられた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚えた。
見えない手が首を締め上げ、喉が引き攣る。
苦しさのあまり、必死に酸素を求めても、
ヒュー、ヒュー、と笛のような音を鳴らすばかりで、息は肺に届かない
「………ぅ………ヒュ……ぁ…ッ」
「まさか、あっちゃんの首を絞める日がくるなんてね。
極力あっちゃんには優しくしてたかったのに 噛んできたんだからお互い様だよね?」
「……ぁ゛、ヒュッ…!す、………ざ……ぅ…ッ!」
「苦しい?苦しいよね? そんなにジタバタしちゃってさ
あー、僕、人の首絞めたことないから 力加減わかんないやー」
「あんまり暴れてると変なとこに力が入って 『また』死んじゃうかもよ?
大丈夫、あっちゃんが死んでも僕は変わらず愛してるから
それでもいいなら、そうやって暴れてれば?」
「く………っ…ぅ…………」
「うん、いい子だね。最初から大人しくしてくれれば、苦しいことも何もしないのに」
「なにもを傷つけるなんて言ってないでしょ?
僕はあっちゃんのこと〝愛してる〟って言ってるのに。 あっちゃんが暴れるのが悪いんだよ?」
「く…ッ……、も、………やッ、め………っ!」
「苦しい?もう辞めて欲しい?それなら僕とキスしてくれる?
キス以外のことも、もちろんしてくれるよね?」
「す、……する……ッ! しますッ、から…………ぅ」
「………ふーん、」
(……やばい…っ、もう、息が…………っ)
「それなら手を離してあげる」
「………ッ!!」
「はぁ…ケホッ…!ごほっ、げほッけほ………っ…はぁ……!」
首を締めつける圧迫が消えた瞬間、途端に空気が気道を駆け抜ける。
肺が焼けつくように熱く、堪えきれずに咳き込む。視界が滲み、涙と唾液がとめどなくこぼれ落ちた。
「首絞めも結構いいかもね、あっちゃんの苦しんでる顔、とっても可愛かったよ♡」
「チッ……」
「ほら、もっかいキス、やり直そ」
「ん…!ぅ…………///」
ちゅ、と再び唇が押しつけられる。湿った音が響くたびに、
血の特融である鉄の味がして、涙と唾液でぐちゃぐちゃの顔を歪ませる。
「ねぇ、このままここで最後までしていい?」
「どうせ、この時間に、他の人は残ってないんでしょ?
逃げ回るあっちゃんを追いかける時にぜーんぜん人の気配しなかったし」
「だから、いいよね?」
「ぅ……っ…」
「………あっちゃん、大好きだよ♡」
再び唇に、口付ける。
「んっ………ッ、ぅ……っ!///」
それはまるで、童話に出てくる、王子様がお姫様にキスをするように優しく、
ちゅ、と可愛らしいリップ音を立てる。
だが、自分にとってはそんな可愛らしいものではない、………もう逃げ場はない。
自分はただ、これから起きる出来事に身を任せるしかない。
その事実に、再び絶望という感情を覚えた――。
コメント
2件
やばいほんとめちゃ好きです
一花さん初めての隊学ですか、!?私どうも隊学だけは書くの苦手でして、上手いの本当に羨ましいです!尊敬します!ෆ