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そんなことを考えていたら、廊下から足音が近づいてきた。
「おまたせしました」
振り返ると、そこにいたのは軽く化粧をした彼女。
黒のハイネックワンピースがすらりとした体を引き立て、白い肌とのコントラストが映える。——可愛い、というより、綺麗。
思わず口に出ていた。
「みおちゃん、何着ても似合うんじゃない?」
いやらしい意味じゃない。ただ、少しおちょくるように。
「なっ……また!変なこと言って……!」
頬を赤くしながら、さっきまで着ていたパジャマワンピースを丁寧に畳み、トートバッグへしまう。
ふと彼女の視線がソファ脇の紙袋にとまる。
「あっ……これ、ミセスのDVD……ありがとうございます。ほんと、うれしい」
笑顔で喜ぶその顔。——ほんと、かわいい。
彼女のカバンの上に置かれた、昨日貸した僕のバケットハットが目に止まる。
「ぼくの帽子、貸すよ。変装用に」
立ち上がって帽子を手にし、彼女の前に立つ。
被せるフリをして、そのままぐいっと抱き寄せた。
「……っ!」
耳元に唇を近づけ、囁く。
「寂しくなるから……充電」
ふふっと顔を上げて僕を見つめる彼女。
次の瞬間、ためらいがちに、けれど確かに——僕の背中に腕を回してきた。
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ちらりと壁の時計に目をやる。
——もうすぐ11時。
「もときさん、時間っ……」
慌てて声をかけると、彼がすっと視線を落とした。
その瞬間、触れるだけの軽いキス。
ほんの一秒なのに、心臓はバクンと大げさに跳ねる。
「……みおちゃん、すき」
囁き声は反則みたいに甘くて、耳の奥に焼きついた。
彼はそっと腕を緩めると、なにもなかったみたいに笑って言った。
「さ、行くよ」
——ほんと、ずるい。
思わず小さく呟いた声は、きっと届いていない。
サンダルを履いた途端、自然に手を繋がれて、そのまま車へ案内された。
荷物の入ったトートバッグと、DVDの紙袋は彼が持って後部座席に置いてくれている。
運転席の彼はマスクとメガネ。
エンジンの低い音と一緒に、車は静かに走り出した。
窓の外の街並みを眺めながら、スマホを取り出す。
——共有してもらったスケジュールアプリ。
今日の予定を見て、思わずため息が漏れそうになる。
「スタジオ打ち合わせ → 移動 → 生配信の準備 → 最終調整 → 生配信」
……そのあとにも予定が入っている。
(体が何個あっても足りないんじゃ……)
心配になったけど、気になったのは別のワード。
「あの、今日……配信、するんですか?」
「うん。18時半から、YouTubeで、記念の配信。」
ハンドルを握りながら。嬉しそうに言う。
「へぇ……すごい。みます!」
「え。……うれしい」
不意に沈黙。車内に流れる信号待ちの静けさ。
そして次の言葉で、さらに息が詰まった。
「あ、そうだ。Rivaちゃん……いや、みおちゃんのチャンネル、登録した」
「えっ?!……は、恥ずかしい……!」
顔が一気に熱くなる。
「誰にも分からない“ほんとの個人アカウント”で登録してるし」
一瞬ためらって、ぽそっと聞いてしまった。
「……もしかして、“おもち”さんですか?」
彼が前を見たまま、声を漏らす。
「はは。そう、バレたか」
他愛のない話をして柔らかい空気のまま、私の家の前に車をつけてくれた。
彼が荷物を取り出してくれる間に、私は車から降りた。
夏の昼前の空気はむっとするほど熱いのに、胸の奥はそれ以上に熱くなっていた。
彼がトートバッグと紙袋を差し出した瞬間、それを受け取りながら一歩踏み出し、背伸びをして彼の耳元に唇を近づける。
——距離がゼロになる、一瞬の緊張。
「……わたしも、すきです。もときさん」
ささやいた声は、かすれるほど小さかったのに、彼の肩がぴくりと震えた。
驚いたように私を見下ろす視線。マスクの下でも、笑みを隠しきれていないのが分かる。
その顔がおかしくて、にっと笑ってやった。
次の瞬間、大きく息を吐いた彼が、少し照れくさそうに小声で漏らす。
「やられた……。まじでかわいいな、ほんと」
ぽん、と優しく頭に手を置いてから、車に乗り込む。
助手席の窓が下りる。
「また連絡するね。仕事、ちゃんと片付けて……次の休みは絶対勝ち取るから」
「なにそれ……」
思わず吹き出す。けれど、その必死さが嬉しくて、胸の奥が温かくなる。
「はい、待ってます。運転、気をつけてください。」
彼が「ばいばい」と手を振る。
私も大きく手を振り返す。
車が角を曲がって見えなくなるまで。
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彼女を見送った後、スタジオへと車を走らせる。助手席に残ったかすかな香りが、不意に胸を熱くした。
車のスマホスタンドに置いた端末が震える。
赤信号で停まったタイミングで画面を見ると——彼女からの通知。
「ありがとうございました、楽しかったです。
DVD、何から見た方がいいとかありますか?」
にやりと笑ってしまう。
……かわいすぎる質問。
頭の中で瞬時に候補が並ぶ。
——やっぱり「Atlantis」か?
いや、去年の「ゼンジン」も捨てがたい。いや「エデン」もありだな。
ほんとは「僕の勇姿を全部見てほしい」って言いたい。
指先が自然と動く。
「こちらこそ、ありがとう。
Atlantisから見るの、アリかも。……まあ、全部見てほしいけど」
送信ボタンを押した瞬間、頬がゆるむ。
きっと彼女は、目を輝かせて見てくれる。
その姿を想像するだけで、鼓動が速まった。
「んー、じゃあAtlantisから見ます!
おしごと、がんばってください!」
通知を開いた瞬間、思わず笑ってしまった。
……早い。僕並みに早いのでは?
親指が自然に動く。
「感想、レポートにして待ってる」
それに「ありがとう、がんばる」と打ち、ありがとうのスタンプを添えて送信した。
スマホをスタンドに戻し、ハンドルを握り直す。
信号が青に変わる。アクセルを踏み込む足先が、ほんの少し軽くなった。
街の喧騒も、信号の色も、風の音すらリズムのように響く。
——たった一通の彼女の言葉で、景色はこんなにも違って見える。