テラーノベル
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第10話
病院の廊下は、凍りついたように静まり返っていた。
手術室兼、集中治療室の赤いランプが消えたのは、救急車で運ばれてから数時間が経った頃だった。
重い扉が開き、防護着を着た主治医の先生がゆっくりと出てくる。その表情を見た瞬間、俺の身体は硬直した。先生はゆっくりと首を横に振り、深く、深く頭を下げた。
「….手を尽くしましたが、申し訳ありません。お母様にも、先ほどお伝えしました」
「…..あ」
声にならなかった。
頭の志が、ぐにゃりと歪んでいく。先生の「すみません」という振れた声が、冷たいコンクリートの壁に反射して、何度も脳内でリフレインした。
病室に通されると、涼架はまるですやすやと眠っているだけのように、ベッドに横たわっていた。
いつもの優しいタレ目は閉じられ、もう二度と、きゅるんとした光を宿すことはない。
肌 は陶器のように白く、触れた指先は、あの日歩いた夜風よりも冷たかった。
枕元には、涼架の私服のポケットに入っていた、あの『黒猫のカバー』がついた消しゴムがぽつんと置かれていた。
俺はそれを震える手で拾い上げ、じっと見つめた。
「…..猫はさ」
ぽつり、と誰もいない病室に声を漏らす。
「猫は、自分が死ぬのを悟ると、飼い主の前からひょっこり姿を消すんだって……学校から、俺の前から、そうやって急に消えようとしてさ」
俺は消しゴムをぎゅっと握りしめた。涙が溢れて、視界が歪む。
「一体、どっちが猫だったんだろうな、涼架….」
俺のこのツリ目を「猫みたいでカッコいい」って笑ったのはお前なのに。本当の野良猫みたいに、俺を置いてふらっといなくなっちまうなんて、ずるいじゃねえか。
溢れる涙を拭いもせず、俺は何気なく、その黒猫の紙カバーを指先でずらした。
カバーをすっと外した、その時だった。
真っ白な消しゴムの側面に、不器用な、だけど見覚えのある丸っこい文字で、何かが書かれているのが目に入った。
そこには。
鉛筆の細い芯で、きれいに、丁寧に、こう書かれていた。
「若井滉斗」
「え……?」
心臓がどくん、と大きく波打った。
ー『消しゴムに好きな人の名前書いて、誰にも見られずに使い切ると恋が叶うんだよ』ー
ー『もし書いたら、真っ先に僕に教えてね』ー
95
174
じゃむじゃむあっぽー🍏
632
あの時の涼架の声が、鮮明に蘇る。
涼架は、あの真っ白な消しゴムのカバーの下に、俺の名前を書いていたんだ。誰にも見られないように、大切に、大切に。
だけど、その消しゴムは、まだほとんど角も削れていない、新品同様の四角い形のままだった。
「…..な、んだよ、これ……」
俺の目から、大粒の涙がポロポロと消しゴムの上に落ちて、鉛筆の手書きの文字を黒くにじませていく。
「これじゃあ、叶わなくなっちゃうじゃん……」
掠れた声が、静かな病室に虚しく響いた。
「誰にも見られずに、使い切らなきゃいけないんだろ…..?お前、まだ全然使ってねえじゃんかよ。それに、俺に見つかっちゃったら…..ジンクス、破れちゃうじゃんか…..」
叶わなくなっちゃうじゃん。
お前の恋も。俺の、願いも。
俺は涼架の冷たい手をもう一度握りしめ、彼の胸元にその消しゴムをそっと戻した。
お前が命をかけて隠し通そうとした、優しくて、切ない秘密。
窓の外では、夜が明けていく東の空が、うっすらと紫から青へと変わり始めていた。
俺のこの嫌いだった吊り目は、涼架が遺してくれた小さな奇跡の文字を、いつまでも、いつまでも濡らし続けていた。
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コメント
2件
めっちゃ泣ける😭(´༎ຶོρ༎ຶོ`)