テラーノベル
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「…?」
いつものように、カーテンの隙間から漏れる朝の光で目を覚ました。
眠い目を擦りながら辺りを見回すけど、若井も涼ちゃんが居る気配がない。
部屋の中はしんと静まり返っていて、なんだか少しだけ不思議な気持ちになる。
ぼんやりとした頭のまま、上半身を起こして考えていると、ふと、庭の方から物音がした。
「ちょっと、涼ちゃん!」
「若井、もっとこっちだってばぁ!」
そして、ガタガタッと何かを動かす音と一緒に、二人の声が響いてきた。
ぼくは、布団から立ち上がり、閉じられていたカーテンをチラッと開けてみる。
すると、そこには脚立に乗りながら大きな布と格闘している二人の姿があった。
「…おはよう、ねぇ、なにしてるの?」
リビングの窓を開け、首を傾げながら二人に声を掛ける。
「あ、元貴おはよぉ。」
「おはよー。ハンモック取り付けてんの。ちょ、元貴も手伝って。 」
「うん、いいけど…」
ハンモック?と思いながら僕は玄関から外に出ると二人がいる庭へと向かった。
・・・
「ちょ、元貴もっと上だって。」
「いや、言っとくけど、ぼく背伸びしてるからね?!」
「…いや、それはなんかごめん。」
「おいっ、謝るな!なんかか逆に惨めだわ!」
「…ふっ、ふふふっ。」
「ちょっと、涼ちゃん?!笑うならちゃんと笑ってくれて方がまだマシなんだけど?!」
「ははっ、ごめんごめん。一生懸命背伸びしてた元貴が可愛くて、つい…っふふ。」
今日も朝から騒がしいぼく達は、ああだこうだ言いながら、若井が言ってたハンモックを設置していく。
「ってか、これハンモックの為の金具だったんだね。」
ぼくは、庭の小上がり部分の柱や壁に取り付けてあった金具を指差した。
「うん。本当はもっと早く出そうと思ってたんだけど、ほら、お庭がジャングル状態だったからさぁ。」
涼ちゃんはそう言いながら、意外と手際よく、若井やぼくに指示をしながらハンモックを取り付け行く。
「お庭も綺麗になったし、暑さも少しだけマシになってきたから、今がちょうどいいかなって。夜とか ハンモックに揺られるの、結構気持ちいんだよ〜。 」
そう言って、涼ちゃんはどこか懐かしそうに、思い出に浸るような表情を浮かべた。
「出来たー!」
「わぁ〜、ハンモックさん、久しぶりぃ。」
「ハンモックって、ちゃんと見るの初めてかも。」
三人で完成したハンモックをしばらく眺める。
リビングと同じ青と白の色で、ボーダー柄。思った以上に大きくて、存在感もたっぷりだ。
「一応ね、ファミリー用だから三人でも乗れるよ〜。」
そう言いながら、涼ちゃんは慣れた様子でハンモックにひょいっと寝そべった。
「ほら、元貴もおいでよ〜。」
ぽんぽん、と自分の隣をポンポンと叩いて誘う涼ちゃん。
その声に背中を押されるように、ぼくは恐る恐るハンモックに足をかけた。
「待って。これどういったらいいの?!」
「わわわ!めちゃくちゃ揺れるっ。」
バランスを取ろうと焦るぼくと、それにつられて一緒に揺れる涼ちゃん。
二人してあたふたしていると、近くで見ていた若井がすっと手を伸ばしてきた。
「何やってんの。…ほら。」
若井はハンモックの縁を押さえながら、ぼくの背をそっと支えてくれる。
そのおかげで、ようやくぼくは涼ちゃんの隣に、ぐらつきながらも腰を下ろすことが出来た。
「ありがとっ。じゃあ、次は若井ね!」
そう言って、今度はぼくが隣をポンポンと叩いて誘った。
「元貴、もうちょい詰めて。」
「おっけー。って、わあ、揺れる!」
「ちょ、揺らすなって! 」
「揺らしたくて揺らしてる訳じゃないもんっ。」
「下手くそかっ。」
ワーワー言い合い、 隣で、涼ちゃんにクスクス笑われながらも、なんとか若井を迎え入れる事に成功。
が、しかし…
「狭いねぇ。」
「流石に男三人は狭かったか。 」
「両隣からの物理的な圧がすごい。」
ファミリー用とはいえ、さすがに男三人では限界があったらしく、僕たちはハンモックの中でぎゅうぎゅうに押し合いながら、体を縮め合っていた。
「でも、ハンモックって、気持ち良くない?」
「うん、なんかこの圧も…慣れてきたら逆に心地よいかも。 」
少し…ほんの少しだけ二人に挟まれているこの状況にドキドキはするけど、それよりも、朝のやわらかな気温と、両隣から伝わるぬくもりが心地よくて…
気づけば、まぶたが自然と重くなっていった。
「おれ、このまま寝ちゃいそ…」
若井のその言葉を最後に、誰も口を開かなくなった。
ただ、静かに。
時折、頬をかすめるやさしい風を感じながら、ぼくはそっと目を閉じた。
・・・
「…あっつ。」
どのくらい眠っていたのだろう。
目を閉じた時よりも高くなっている太陽の位置が、それなりに時間が経ったことを物語っている。
そして太陽の位置と共に、明らかに上がっている、気温。
両腕にくっついている二人の腕も、すっかり汗ばんでいて。
額から流れた自分の汗が目尻に触れた瞬間、ぼくは思わず目を覚ました。
チラチラと隣の二人を見てると、スヤスヤと規則正しい寝息を立てていた。
どうやら本当に、あのまま三人で寝てしまったらしい。
自分達の事なのに、『仲良いなあー』なんて思ってしまって、気付けば自然と笑顔になっていた。
「若井ー、涼ちゃんー、起きてー。」
動こうとすると、またゆらゆら揺れだしそうで怖かったので、ぼくは二人に挟まれたまま動かずに、寝ている二人に声を掛けた。
「…ん、んん…あつっ。」
「んぅ〜…ん?…あれ、寝ちゃってたぁ?」
「二人ともおはようー。ちょっとさ、暑いから退いてくんない?」
「今何時? 」
「何時だろ〜。お腹減っちゃったぁ。」
「確かに。朝ご飯食べてないしね。」
「お昼何にする〜?」
「んー、暑いし素麺とかどう?」
「いいねぇ。あれ!若井が前に作ってくれた中華風のやつ食べたい!」
「ちょっと!無視すんなあ!二人は端っこだからいいけど、真ん中のぼくは、めちゃくちゃ暑いんだからねっ!」
「あはは、ごめんごめん。なんか、動くの面倒くさくなっちゃってぇ。」
「分かる。でも、お腹空いたから家に戻るかー。」
・・・
「ふあー!涼しいー!」
二人の体温から解放されたぼくは、文明の利器に心から感謝しながら、エアコンの冷たい風を全身で浴びていた。
その間、若井と涼ちゃんはキッチンでお昼の準備を始めていたけれど、どうやら涼ちゃんは“戦力外通告”を受けたらしく、若井にキッチンから追い出されてしまっていた。
少ししょんぼりした様子でリビングに戻ってきた涼ちゃんと、僕は並んでソファーに座る。
最近は、涼ちゃんが隣に来る事もあるけど、基本は、若井がぼくの隣で涼ちゃんが一人用のソファーというのが、いつもの定位置。
だから、こうして涼ちゃんがすぐ横にいるのが、なんだかちょっとムズムズする。
何となしにテレビをつけてみたけれど、特に興味のある番組はやっていなくて、結局、画面をぼんやり流しながら、他愛もない話をして過ごした。
しばらくすると、キッチンの方から若井の元気な声が響いてきて、ぼくと涼ちゃんは、ソファーから勢いよく立ち上がった。
「出来たよー!」
「やったあー!お腹空いたあー!」
「わぁ〜!僕、若井のこれ大好きなんだよねぇ。」
涼ちゃんはパタパタとキッチンに駆けていき、ぼくもそのあとを追う。
テーブルにつくと、若井が茹でたての素麺をたっぷり盛った丼ぶりをひとつずつ、目の前に並べてくれた。
鼻をくすぐるごま油とにんにくの香り、そして焼いた豚肉のこんがりした匂いが混ざって、思わずお腹が鳴りそうになる。
「前に作った時、元貴は塩っぱいて言ってたけど、今日のは丁度いいと思うよっ。」
そんな僕の反応に気づいたのか、若井は少し得意げに笑いながらそう言った。
「「「いただきまーす!」」」
“若井特製中華風素麺”は、得意げな顔をしてただけあって、とても美味しかった。
ごま油の香ばしさと、しっかり味のついた豚肉と最後にちょこんと乗せられた卵の黄身が素麺とよく絡み、、箸が止まらない。
涼ちゃんなんて、食べてる途中からもう『また作って〜!』と、次のリクエストをしていたくらいだ。
あっという間に三人とも完食して、食後の余韻に浸っていた頃。
ふいに、涼ちゃんがぽつりと呟いた。
「そういえば、元貴のロコモコ丼も美味しいんだよねぇ。」
その言葉を聞いた瞬間、若井がガタン!と椅子から身を乗り出し…
「なにそれ!?おれ、食べたことないんだけど!?」
と、若井が騒ぎ始めた。
そういえば、ロコモコ丼を作る時って、なぜかいつも若井が合宿に行ってる時ばかりだったな…と、ぼくは思い出す。
「言われてみれば、若井に食べさせたことなかったかも。」
なんて呟いたら、ぼくの隣で、今度は『涼ちゃんばっかズルいよ〜』と拗ね始めた。
その言い方がちょっと可愛くて、涼ちゃんがクスクス笑っている。
そして気づけば、お昼を食べたばかりだというのに、今夜のご飯は、ぼくのロコモコ丼に決定していた。
・・・
冷蔵庫を覗くと、ロコモコ丼に必要な材料は何も入ってなかった。
そこで僕たちは、日中の暑さを避けて、太陽が傾きはじめた頃を見計らい、スーパーへと買い出しに出掛ける事にした。
大学の前を通る時、ぼく達は久しぶりに“連中”の姿を見た。
飛び込み男は、ぼく達に気付いたようだったけど、以前のように絡んでくる事はなく、むしろ気まずそうに目を逸らして、その場から離れていった…
余計な邪魔も入らず、無事に買い出しを終えた僕たちは、空腹を感じながら急ぎ足で帰路についた。
家に着くと、すぐに夕飯の準備に取りかかる。
スーパーへ行く前にスイッチを押しておいた炊飯器から、ちょうど『ピピピピピッ』と炊き上がりの音が鳴った頃、上にのせる具材の準備も整っていた。
盛り付けを済ませた僕は、リビングで談笑していた二人に声を掛けた。
「ご飯出来たよー!」
ぼくのその声に二人とも勢いよくソファーから立ち上がり、こちらにパタパタと駆けてきた。
昼間のぼくもこんな感じだったのかな、と思うと、なんだか可笑しくて笑いそうになってしまった。
「お!これが例のロコモコ丼!めっちゃ美味そうー!」
「美味しんだよ〜!」
三人共、自分の席に座り、せーので『いただきます』をしてから食べて始める。
初めて食べた若井は『めっちゃ美味しいじゃん!』と目を輝かせて言ってくれたけど…
(レトルトを乗せただけなんだけどな)
そう思って素直に受け取れない自分は、やっぱり捻くれてるなぁと、少しだけ苦笑い。
でも、二人の嬉しそうな顔を見れるのは、やっぱり嬉しいんだけど。
夕飯を済ませたあとは、それぞれ課題をしたり、スマホで動画を観たり、ゲームをしたり…
思い思いに時間を過ごした。
そして、日付が変わる頃、いつものようにリビングに敷いた布団に潜り込む。
若井がパチンと電気を消すと、部屋はふわりと静けさに包まれた。
耳をすませば、外からは虫の声。
そういえば、あんなに響いていたセミの声は、もう聞こえず、代わりに、涼やかなスズムシの音が夜を彩っていた。
午前中、うっかりハンモックで寝てしまったからか、全然眠たくなる気配がなく、ぼくは暗闇の中、二人に声を掛けた。
「…まだ起きてる?」
もし寝ていた時に、起こしてしまっては申し訳ないので、小さめの声で、そう囁くと、両側から返事が返ってきた。
「なんか全然眠くないんだけど。」
「分かる。」
「僕も〜。」
こういう時は、誰かが寝落ちするまで、適当に話をするのがいつもの流れ。
話題はほんとにいろいろで、どうでもいいことから、ちょっと真面目な話まで…
不思議なのは、普段なら中々言えないことや、聞きたくても聞けなかったことなども、この暗闇の中だと、するすると口から出てしまう事。
思えば、涼ちゃんのカミングアウトも、この時間だった。
「涼ちゃん、あのさ…」
暗闇の中で、ぼくは思い切って、ずっと聞けずにいたことを口にした。
「ん?な〜に?」
涼ちゃんの声は、いつも通り柔らかかった。
別に、聞きづらかったわけじゃない。
ただ、聞くタイミングをずっと逃してしまっていただけ…
「涼ちゃんの“奥の手”ってなんだったの?」
あの日。
飛び込み男に、涼ちゃんは何を言って、何を見せたのか。
あれだけしつこかった人間を、一言で黙らせた“何か”。
実はずっと、それが気になっていた。
「あ〜…あれね。まぁ、二人にならいっかぁ。」
そう言って、涼ちゃんは枕元に置いていたスマホを手に取ると、ぽちぽちと画面を操作し始めた。
暗闇の中、スマホの灯りに照らされて浮かび上がる涼ちゃんの横顔。
その横顔は、何かを探すように、ゆっくりと画面をスライドしていく。
「あ、これこれ。」
しばらくすると、涼ちゃんがぽつりと呟き、スライドしていた指が止まる。
どうやら、目当てのモノを見つけたらしい。
そして、そのまま、スマホの画面をくるりとこちらに向けてきた。
何が映ってるんだろう――そう思って画面を覗き込もうとした瞬間、
ぼくの背中に、ピタッと何かが張り付いた。
「…若井?」
振り返ると、いつの間にか若井が背後に来ていて、ぼくの肩越しから、涼ちゃんのスマホを一緒に覗き込んでいた。
ずっと黙ってたけど、やっぱり若井も気になってたらしい。
その気配がなんだか可笑しくて、ぼくはちょっとだけ笑ってしまった。
改めて、一緒に涼ちゃんのスマホを覗き込むと、そこに映っていたのは、 まるで想像もしていなかった光景だった。
「…え、これって。」
驚きすぎて言葉が喉につかえて出てこないぼくの代わりに、背後の若井が続けた。
「この、男の人とキスしてんのって、アイツだよね?」
そう、画面には、飛び込み男が見知らぬ男性と路上でキスをしている写真がはっきりと映っていた。
「うん。まぁ、2年くらい前の写真なんだけどね」
涼ちゃんはどこか淡々とした口調でそう言った。
「こういう界隈の人が集まる場所があってさ。たまたま飲みに行った時に見かけて。…で、何かあった時のために、撮っておいたって訳。」
写真を撮った頃には、涼ちゃんはもうイジメを受けていたらしく、 自衛のために、黙って“切り札”を用意していたのだという。
「男の人とキスしてるって事は、アイツも“そう”だって事だよね?」
若井が問いかけると、涼ちゃんは軽く頷いた。
「うん、多分ねぇ。」
「じゃあ、なんで涼ちゃんにあんな事…。」
自分が当事者なら、人と違うことで感じる生きづらさも、痛みも、分かるはずなのに。
なのにどうして、同じ苦しみを知るはずの人間が、傷つけるような真似をするのか。
ぼくの胸はギュッと苦しくなった。
「人って不思議だよね。…きっと、ぼくを貶める事で、自分を守ってたんじゃないかなぁ。」
そう呟いて、涼ちゃんはスマホの画面をそっと消した。
スマホが消える瞬間、涼ちゃん顔は少しだけ悲しそうだった。
まるで、そうする事でしか自分を守ることが出来なかった人間に哀れむような…
そんな表情だった。
暫く沈黙が流れた後、涼ちゃんは、しんみりした空気を断ち切るように、わざと明るい声で口を開いた。
「ってか、以外と居るもんでしょ?セクシャルマイノリティの人って。 」
「…本当だね。言ってないだけで、本当はもっと周りに居るもんなのかな?」
テレビの中で見る世界の話だと思ってた。
イベントやパレードを見かけても、どこか“遠い話”のように感じていた。
涼ちゃんも含め、身近に居るとは思ってもいなかった…
「もしかしたら、若井もそうかもよ〜?」
涼ちゃんが、いつもの冗談っぽい口調で、横になって黙っていた若井に視線を向けた。
その言葉が放たれた瞬間…
ぼくの中で、何かがピンと張った。
…若井は、なんて答えるんだろう。
なぜか、無性に気になった。
涼ちゃんの冗談にどう返すのか、それだけのことなのに、ぼくの心は静かに騒いでいた。
「…んな訳ないじゃんっ。」
涼ちゃんの問いかけに、若井も冗談ぽく、軽い口調でそう返した。
涼ちゃんも若井も冗談で言っているのは分かってる。
分かってるのに、なのに…
若井のその一言が、心の奥のずっと奥…
何か大事に蓋をしていた場所を、不意にかき乱してきたような気がした。
ぼくは当事者じゃない。
“その立場”じゃないのに、
なぜか、どこか切り離されたような気持ちになっていた。
まるで、『自分とは関係ない世界の話』…
そんなふうに静かに線を引かれてしまったようで。
どうしてこんなに胸が苦しいのか、自分でも分からない。
でも確かに、ぼくは今、傷ついている。
しかもそのことに、一番驚いているのは、自分自身だった。
両隣では、いつもと変わらない調子で会話が続いていた…気がする。
でも、その声はもう、ぼくの耳には届いてこなかった。
何を話しているのかも分からない。
まるで、言葉をすべて忘れてしまったみたいに、 ぼくは暗闇の中で、ただ静かに黙っていた。
胸の奥が、じわりと滲むように痛いのに…
その痛みさえ、どう感じたらいいのか分からなくて…
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