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ね む 湯 。
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神に愛された聖女の血は、本当に金色なのだろうか。
そんな下らない疑問が、深夜の静寂に浮かんで消えた。
シーツが擦れるわずかな音。シアは気配を完全に消したまま、大理石の床を滑るように進み、豪奢な天蓋付きベッドの傍らに立った。月の光が、広く冷たい寝所を青白く照らしている。シアは、夜気よりも冷たい黒塗りの短剣を逆手に握り直した。
昼間、民衆の歓声の中で見た彼女――聖女エルゼは、触れれば壊れそうなほど美しい、完璧な神の偶像だった。傷ついた兵士に微笑みかけ、その身に宿る神聖な力で奇跡を起こす。誰もが彼女を崇め、縋り、聖堂の奥へと押し込めた。
だが今、寝台に横たわる白い身体は、ただの、あまりにも小さな一人の少女のそれだ。
「……遅かったわね」
銀の髪が揺れた。
驚きも、怯えもない。エルゼはゆっくりと身を起こすと、寝所に忍び込んだ暗殺者の顔を真っ直ぐに見つめ、ひどく穏やかに微笑んだ。
「ずっと待っていたの、シア。あなたが来てくれてよかった。……これで、やっと休める」
向けられた声音のあまりの優しさに、シアの指先が、ぴくりと凍りついたように震えた。
シアは一ヶ月前、教会の侍女としてこの聖堂に潜入した。目的は聖女の暗殺。毎日のように彼女の着替えを手伝い、食事を運び、その一挙手一投足を特等席で観察してきた。
だから、知っていた。
民衆の前で見せる完璧な微笑みの裏で、彼女の細い首筋から背中にかけて、神の力を酷使した代償である痛々しい「聖痕」が、黒い痣のように広がっていることを。夜、一人になると、その激痛に耐えかねて、声を殺して泣いていることを。
世界を救う器として祭り上げられた彼女の周りには、彼女の苦痛に気づく者など誰もいなかった。誰もが「聖女」を愛し、「エルゼ」という少女の孤独には目を向けなかった。
「何、してるの……? 早く、刺して」
エルゼが自ら法衣の襟元を緩め、白い首筋を差し出してくる。その無防備な仕草に、シアの胸の奥が、引きちぎられるように痛んだ。
殺せばいい。それが任務だ。この可哀想な少女を義務から解放し、自分も組織での役目を果たす。それだけの簡単な仕事のはずだった。
なのに、ナイフを握る手が小刻みに震えて止まらない。冷徹な暗殺者だったはずの指先が、彼女の命を奪うことを拒絶している。
「どうして……手が震えているの? 怖がらなくていいのよ。私はあなたを、怨んだりしないから」
エルゼが、震えるシアの手首にそっと手を重ねた。冷え切ったエルゼの手の温もりが、シアの肌を通して心臓まで突き刺さる。その温かさに、シアの中で何かが決定的に壊れ、そして組み変わった。
「……ふざけないで」
シアは低く、掠れた声を絞り出した。
「私は暗殺者よ。あなたに同情されて、赦される筋合いなんてない」
「シア……?」
「死にたがっている人間を殺すなんて、私のプライドが許さないわ。……エルゼ」
シアは掴まれていた手首をひねり、逆にエルゼの細い手首を強く握りしめた。そして、もう片方の手に持っていた短剣を、躊躇なく床へと投げ捨てた。甲高い金属音が、静かな寝所に響き渡る。
「殺せないなら、私をどうするの?」
エルゼが、困惑と、ほんの少しの期待が混ざった瞳でシアを見上げる。
シアはフッと不敵に笑い、エルゼの華奢な身体を抱きすくめるようにして、ベランダの窓へと向かった。窓を開けると、夜の冷たい風が二人の髪を激しく揺らす。
「あなたを救うために殺すんじゃない。――世界から、あなたを奪いに来たの」
「え……っ?」
「明日も明後日も、世界のために身を削って死ぬのを待つだけなんて退屈でしょう? 私の逃避行に付き合いなさい、聖女様」
エルゼの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。それは苦痛の涙ではなく、生まれて初めて、自分のために差し伸べられた手への、救いの涙だった。エルゼはシアの首にぎゅっと腕を回し、その胸に顔を埋めた。
「うん……、連れていって、シア」
シアはエルゼをしっかりと抱き抱えたまま、躊躇なく夜闇の底へと飛び降りた。
神の偶像を失った世界が、明日どれほど大騒ぎになろうと、知ったことではない。今、シアの腕の中には、世界よりも重く愛おしい、一人の少女の温もりだけがあった。
コメント
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読ませていただきました……もう、最初から最後まで目が離せませんでした。特に「♡♡♡ないなら、私をどうするの?」ってエルゼが問うシーン、あそこ本当に胸が震えました。死にたがる聖女を“♡♡♡”のではなく“奪う”という選択、シアのプライドと優しさが滲んでいて、すごく好きです。二人の関係性がここからどう変わっていくのか、続きが気になって仕方ないです……!