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教室は机が横六列、縦七列に整然と並べられ、その真ん中に教師の本間が座っている。
前の席の机と椅子を向い合せにし、本間と対面する。
年の功は40歳前後といったところだろうか。
若々しいふさふさの黒髪は、もしかしたら染めているのかもしれない。
大柄で色黒で、古文の教師というより、体育教師というなりをしている。
さて。どうすればいいのだろうか。
『相手と対等な関係で』
『共感こそ相手が話をする手段』
『始めは事件と関係ないことを』
いつか誰かが話していた取り調べの極意が耳の奥で響いてくる。頭が白くなる。
「無駄なことは考えるな。やったかやってないか。それだけだ」
壱道の耳打ちにやっと焦点が合った気がした。
もしこの教師が櫻井を襲ったのだとしたら、当時は二十代半ば。
それでもこの体格からすると、華奢な櫻井とは、倍ほどの体重の差があったかもしれない。
か細い泣き声を、滝沢から聞いた胸糞の悪い話を、思い出す。
暴く。絶対に。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございます。松が岬警察署、捜査一課の木下です」
わざと一課であることを明かす。青山純の場合は反応があったがーーー。
しかし本間は表情を変えないまま
「どうも!」と深々と頭を下げた。
「簡単でかまいませんので、自己紹介をお願いします」
本間は筋肉質で大きな胸を余計に張って、はきはき答えた。
「はい!中沼東中学校、3年2組担任、本間耕介です。こう見えて教科は古文を担当しています。昭和53年12月10日生まれ、今年で40歳になります。四年前に結婚、子供なし。よろしくお願いします」
こんなところでいいですか、と言いながら頭を掻く。
第一印象では、快活でさわやか。絵に描いたような熱血教師だ。
「結構です。本日はとあることを伺いに参りました。本間さんだけではなく、先生たちみなさんに伺う予定ですので、肩に力を入れず、リラックスして答えてください」
「はい、僕に答えられることであればなんなりと!」
今流行している刑事アニメの、敬礼を崩したようなお決まりポーズの真似をする。
「突然ですが、この音声を聞いてください」
おもむろに例の音声テープを流す。
響く雑音に、本間がうるさそうに一瞬耳をふさごうとするが、こちらを見て、眉間に皺を寄せながらも我慢して聞いている。
櫻井少年の泣き声が聞こえ始めると、
「うちの生徒なんですか?」と小さく口を挟む。
無言で口に人差し指を当てると慌てて何度も頷く。
これは素なのか演技なのか、今はわからない。
音声は続く。激しい雑音、少年の泣き声、それにまじって言葉は聞き取れないが低い男の声が聞こえてきた。
わざとそこで音声を切る。
本間は小さく頷いて、こちらの言葉を待っている。
「この音声、聞いたことありますか」
ぶしつけに聞いてみるが、本間は「いえ」と首を振った。
「今聞いていただいたのは、先日、この中学校のパソコンに送られてきた音声データです」
わざとつい最近送られてきたかのような言い方をしてみる。
実際に送られたのは、去年の5月だと壱道は言っていた。
だがこちら側のパソコンにはそのメール自体消されていた。
もしそれが事実なら櫻井のメールに気が付いた、教師本人が消した可能性が高い。
つまり、データが送られてきた時期、当人なら知っている。
だが本間の態度に不振な点も見られない。
こちらは無関係で、怪しいのはもう一人の教師なのか。
「しかし、わけのわからない音声ですな。何せ音割れがひどい」
本間が耳をほじる真似をする。
いや、わからない。すべてが演技にも見える。
「そうなんです。雑音がひどい上に、録音状態が悪いので、分析が困難なんです」
「んー。でしょうねぇ」
ほっとした表情も出さない。
犯罪者というものは、捜査一課の人間を目の前にして、こんなに自然体で演技できるものだろうか。
カマをかけてみるか。
「この音声には、二人の男性の声が入っているんですけど、それはお分かりいただけましたか」
「なんとなくですが、わかりました」
「二人の関係性は、被害者と加害者です。実はこのデータの送り主が、その被害者の方なんです。わからないのは、加害者が誰かということなんですが、この声に心当たりはありませんか」
「うーん」
本間は少し考えるように顎に手を当てた。
「そうですね。もう一度聞かせてくれますか?もしかしたら心当たりとはいかなくても、何かわかるかもしれません」
壱道のほうを見る。窓際に寄りかかり、こちらを見ている。
琴子は勝負を仕掛けることにした。
「本間さん。この音声の加害者は、あなたですね」
本間は狐につままれたような顔をする。
「おっしゃっている意味がわかりませんが」
「私は言いました。被害者はもうわかっていますと」
「はい。だから加害者の声をよく聞こうと」
「普通、そう言われたら、疑問に思いませんか。『なんで、その被害者に加害者の名前を聞かないんだろう』と」
当惑している顔をする。
「あなたは知っていたんじゃないですか?この音声の被害者がもう、この世にいないことを」
「そんな!知りませんよ!」顔を上気させた。
「なんださっきから、わけのわからないことを!」
「単純な話です。二人の男がいる。被害者はもうわかっている。加害者を知りたい。その状況では、被害者から名前を聞くのが普通でしょう?」
今度は馬鹿にするように笑う。
「それは、あなた達の勉強不足だ。いいですか?警察であるかぎり、それも刑事であるならばなおさら、犯罪や被害者の心理というものを、もう少し学んだほうがいい」
その表情からは余裕すら感じる。
「性被害に合った人間と言うのは、そのことを人に話したがらない。
誰からどんなことされたのかも言えないことが多い。
だから予想したまでですよ。その被害者もそうなんだろうなと。
その声が誰で、生きてるも死んでるも知りませんよ」
かかった。
「本間さん。私は確かに被害者、加害者という言葉を使いました。だけどいつ性被害なんて言いましたか」
「え、それは」
本間の顔色が変わる。
「この音声には続きがあります。
確かにこの続きを聞けば、強姦されている音声と予想することはできる。
だからわざと止めたんですよ。
ここまでだったら、ひどい雑音の中、男と男が会話している。
一人は泣いている。それくらいしかわからないはずです」
目線が琴子から机に落ちる。
探している。逃げ道を。
一気に畳み掛ける。
「あなたは少なくてもこの音声の続きを知っているということになります。ご説明いただけますか」
机に置かれた手が握られる。
二つの目がこちらをまっすぐに見ると。
「すみませんでした!」
廊下まで聞こえるような声で本間が叫び、机に頭を擦り付ける。
「嘘つきました!僕、この音声、聞いたことあります!」
「どういう意味ですか」
「去年の今頃だったと思います。
何とはなしに学校のメールチェックしてたときに見つけました。
このメール。件名も、本文もなくて、何だろうと開いてみたら、少年が男にレイプされてる音声が出てきて、僕、びっくりして。しかも加害者側の方の声に、聞き覚えがあったので、これが問題になったらやばいと、深く考えないで消してしまいました。本当にごめんなさい」
琴子は目の前の男を見つめた。
話に不自然なところはないが。本当にこの男ではないのか。
「なるほどな。その理屈なら通らなくはない」
沈黙を守っていた壱道が口を開いた。
「だが少々詰めが甘かったな」
おもむろにパソコンを開く。先ほど長谷部から預かったものだ。
「これは被害者のパソコンから、今朝、俺が再送したメールだ。添付された音声データを開こうとすると」
画面を本間に向ける。
「表示を読め」
有無を言わさない静かな声で壱道が言う。
「こ、このファイルを」
「聞こえない」
「『このファイルを開けません。climbは不正なファイルオーブロックしました』」
「パソコンは専門外だから詳しいことはわからんが、ここ数年でウイルスソフトも進化し、不審なアドレスから送られてきた危険なファイルは開けないように一旦ブロックするみたいだな。
解凍するファイルを入れれば聞くことは可能らしいが、そのファイルをダウンロードした履歴もなかった」
パソコンがパタンと閉じられ、壱道と本間を遮るものがなくなる。
「お前は、いつ、どこでこのデータを聞いたんだ」
追い詰められているはずの本間がにやりと笑った。
「ここ数年のウイルスバスターの進化は目まぐるしいですからね。
何を隠そう僕自信が、このパソコンに入れたんですよ。この春休みに。
刑事さんは『専門外』でいらっしゃるかもしれませんが、僕はそこそこ詳しいのでね。
学校のコンピューター系は一任されてるんですよ。ウイルスバスターソフトのダウンロード履歴を調べていただいても構いません。
なんなら、履歴の見方をお教えしますよ」
勝ち誇ったように笑っている。
ため息をつきながら、壱道が胸ポケットからもう一つレコーダーを取り出した。
「親切にどうも。履歴の見方なら知っている」
停止ボタンを押す。
「悪いが今までの会話を録音させてもらった」
「べ、別に構いませんよ。何も疚しいことなんかないので!」
「録りたかったのは内容じゃない。今度はこっちの専門の話だ」
押し黙る本間に壱道が続ける。
「ここ数年で進化したのは、ウイルス対策ソフトだけじゃない。
音声分析技術の進化も目を見張るものがある。それは数年前のデータであろうが、音声と雑音を切り離し、大きく、クリアに抜き出すことができる。
さらにそれを、データ化した他の音声と照らし合わせることにより、同一人物のものか科学的に証明する、いわゆる声紋認識が可能だ。
ペラペラ喋ってくれたからデータも十分録れた」
言いながらレコーダーを操ると、額に大粒の汗を浮かべた本間の目の前に置く。
「今日は2月上旬並の気温らしいが。そんなに暑いか」
壱道が無表情で問いながらレコーダーを自分の方に引き寄せ、胸ポケットに収める。
それを弱々しく目で追ってから本間があきらめたように呟く。
「僕は、強姦罪で逮捕されるんですか」
オチた瞬間だった。