※こちらはテノコン用として制作中の作品〔〘ダンジョン〙〕の作り終えた冒頭部分、プロローグの公開となります。
良ければご覧ください。
〔〘ダンジョン〙〕
プロローグ:絶望の最果て
俺は既に人としては死を迎えてしまった。何を言っているのか分からないとは思うが、死んでしまったのだ。
もちろん、こうして考える事ができているのだから、生物としてはまだ生きた状態にある。ただ俺の心は、もうきっとこの世界には無い。
俺は今、走っている。小さな腕を必死に振っている。腕が、脚が、全身が。多数の切り傷に水が染み込むように鋭く痛む。心臓は握りつぶされ、肺は凍っているかのようだ。身体は既に限界を超えたところにあり、一歩、また一歩と前に進む度に筋肉が切れてゆく感覚がある。当たり前であるが、痛い。それでも異常な事に俺は、走る事を止めてくれない。
俺はもうすぐ死ぬのだろうか。ああ、死ぬんだな。その事を考えるだけで、不思議と涙が溢れてくる。それは本来であれば、生きる事への心残りがあまりに大きくなり、表へ漏れ出た結果なのだろう。だが俺は生に対し、一切の離愁を感じてはいない。それどころか、何も思う事ができない。感情の喪失という、本来悲しむべき状況に置かれても、俺は何も思わず、感じずで、その事が何か大事なものを失ってしまったのだという事を実感させてくれる。
たぶん今の。いや、これからの俺はたとえ、一流と呼ばれるような大道芸人の最高のショーを目にしても、面白いとも、惨めとも思えないのだろう。この涙にはそんな俺の中に、僅かに残っているのであろう魂が、最期の抵抗を見せている証拠だ。
俺の心は死んでいる。こんなに辛いのに、何故俺は走っているのか。そんなつまらない問いにすら、答えを見いす事ができない。それにそもそも、始めから答えなんてものは存在していない。虚ろだ。俺はもう中身を失ったペラッペラッの紙人間。きっとゾンビの方がまだ人間らしさを持っているだろう。それほどまでに、俺は自身を人間視できなくなっていた。
人間”視”とは言ったが、今の俺は何も見ることができない。別に目が悪い訳では無い、むしろ視力はかなり良い方だ。問題なのは閉ざされている瞼の方。何日、何週間前のものかはわからないが、血がかたまってしまっている。だから正直、走ってはいるが、それに目的も意味も無い。あの場に佇むことがどうにも耐えきれなく、ドアを開けて外へ出てしまったというだけであって。
それと、肌に擦れる感覚でわかる事がある。おそらく俺が今している服も血が染み、固まっている。シャツもズボンもパンツも靴下も。いや、今の俺は裸足だったか。まあ、とにかく俺は全身に血を纏った状態にある。
誰の血か。なんて事は当然わかりきっている。俺の血だ。正確には、もう一人の血も若干含まれているのかもしれないが。確実にこの大半は俺の身体から出たものだ。
俺はこうして今、まるでファンタジーの世界のような姿で、無様を晒しながら走っている。だが、俺は知っているんだ。この程度はファンタジーでも何でも無いのだと。
この世界は、俺たちが思うよりもずっと狂っている。いや、俺たちが狂っているから、世界がそう見えるだけなのかもしれない。どんなサルでも理解できるこの世界の摂理。生物はいずれ死を迎える。それは知覚できないほど日常に溶け込み、常に俺らを知らぬ知らぬの内に脅かしている。俺が誕生日ケーキを食べる時、生ゴミを食しているような男もいる。俺がボール遊びをしている時、瓦礫の下敷きとなったような男もいる。俺が両親の帰りを待っている時、惨めな肉塊と化した女もいる。
どんなものにも終点があって、それは突然やってくる。それ自体は当然の事なんだ。でも、それでも俺は、その終わりはできるだけ良いものであるべきだと思う。どうせなら、美味い飯食って、たくさん寝て、いっぱい遊んで。その後に多くの人に最期を看取ってもらう。これを理想でしかないと、これこそファンタジーだろ、と思う者もいるかもしれない。だが、これが本来あるべき終わりなのだと、俺はそう信じていたいのだ。
俺もかつては夢を持っていた。俺は冒険者になりたかったのだ。両親のような立派な冒険者に。だが、もう俺は冒険者に。ダンジョンに夢を持つ事は決して出来ない。あの場所は存在してはいけない。
俺は既に人としては死を迎えてしまった。それでも、僅かな残り火が雨風に晒されながらも、まだ一つだけ残っている。俺はもう、神を信じない。神が創ったとされるダンジョン。それすら、幻想でしか無いのだと証明してやりたい。いや、幻想としてやりたい。ダンジョンの最深部、第五十階層。そこに眠る秘宝。封印されし宝珠。それはどんな願いも叶える、世界改変の力を有しているらしい。それさえあれば、神もダンジョンも無かったものにできる。この俺が世界を正しい終わりへ導いてみせる。その時まで死ね――
危ない。今一瞬意識が飛んだ。流石に身体に無理を言わせ過ぎたみたいだ。身体がびくとも動かない。それにおかしい。俺は今、壁に当たっているのだろうか。硬い煉瓦か何かと、爪先から頬まで完全に触れた状態にある。それと不思議な力が、俺をその場から離してくれないのだ。静かだ。先ほどまではまったく気にもしていなかったが、外は俺の知らない世界なのだろうか。そう思えてしまうほど、静寂と孤独が空間に漂っていた。
そうか、今は夜なのか。だから誰も俺を助けてはくれない。本当に俺はなんてツイていない男なんだ。わかってきた。壁だと感じていたもの。これは地面だ。俺は今、倒れているんだ。つまりは、もうすぐ死ぬという事。普通、こういう時は悲しむものなのだろうか。うん、きっとそうなのだろう。でも俺は別に悲しくはない。むしろ嬉しいくらいだ。ああ、遂に、やっと――
「やっと終われる」
安堵した俺は溜息をつくようにそう呟く。糸のようにか細いその声は、静かなこの街の空気を僅かに揺らした。俺の意識は身体を超え、その波と共に広がっていく。それは穏やかな最期と呼べるものだった。こんなにも不幸な少年は、終わりはより良いものであるべきだと考えていた少年は、納得できるような死を迎えるのだ。
俺はこの後、抜け殻になった後、野良犬や烏なんかの餌となって、このあたりに血と内臓をぶち撒けた状態で明日の朝に見つかるのだろう。ああ、それってなんて素敵な事なんだろうか。こんな俺の最期が、誰かの記憶の深くに刻まれてくれる。俺の死が、俺を食するヤツらの役に立って、ああ。ああ。
「……あれ?」
俺は瞼に違和感を覚える。
血で固まって開かないのだとばかり思っていた瞼。俺は固まっているのだと思っていた。だが、それは違ったのだ。そういえば、さっきだって俺は涙を流していた。流せるはずも無いのに。ああ、ああ! 俺の魂が再び脈打ち始め、溜り込んでいた涙と感情が一気に打ち寄せ溢れ出る。
俺は悲しいんだ。本当は死にたくなんか無いんだ。俺は泣いているんだ。
俺は目を開け、その瑠璃色の瞳で世界を捉えた。俺は見たくなかっただけだった。きっと怖かったんだ。自分がこれから死ぬって事が。独りだって事が。突然、笑いが止まらなくなる。だってそうだろう。こんなに面白い事があるだろうか。気取っていた少年は本当はただ、狼狽えていただけだっただなんて。こりゃ、傑作だ。
俺が最期に見る事になった景色。それはガラス越しに写った自分の姿だった。それは何とも無様で、笑う事でしか自己を保てなかった。身体がどうとかそういう事じゃなく、ソイツは酷い顔をしていた。もう、どうでもいいだとか、この世界が憎いだとか、そんな事でも言いたげな感じだ。これが俺だなんて信じられない。よく考えれば、自分の姿を見るのは久しい事だった。まさか、ここまで腐ってしまっていたとは、心底自分自身に落胆する。
そしてだ。何よりもコイツ。俺の酷く醜いところはだ。こんな理由で笑っているというのに、笑えたという事を内心嬉しく感じてしまっているところだ。とても不思議な感覚だ。どうしてこんなにも、幸せを感じてしまうのか。俺はもう駄目になってしまったのだな。
もう本当に、どうでもいいように思えてきた。俺は笑う。先刻までよりも、もっと大きく高らかに。俺を、両親を、世界を、全てを。嘲笑った。
「……大丈夫?」
俺は夢でも見ているのだろう。少女だ。ちょうど俺と同年齢あたりの、一人の少女が俺に向けて手を差し伸べてくれている。こんな時間だ。ほらつき歩いている訳が無い。それなのに、どうしてだろうか。彼女は、彼女だけは幻想であってほしくないと俺は感じている。綺麗な銀髪だ。月明かりのせいもあるのか、余計に美しく思えてくる。それと目でも悪いのか、彼女は両目を隠すように包帯を巻いていた。
本当に不思議だ。俺は気づけば彼女の手を取っていた。
何故かはわからない。だが、俺が意味もなく走っていたように、それとただ何ら変わらない行動なのかもしれない。それでも俺には、彼女が希望のように。英雄のように思えて仕方が無かった。
コメント
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読んでいて凄くワクワクしました! これからどうなるのかが気になる終わり方で、続きが待ち遠しいです! 改善点があるとすれば、もう少し改行を多めに入れた方が読みやすくなると思います。 あと、セリフ…というか主人公の息遣いなどを入れた方が、生死の境を彷徨っている感じが出ていいと思います。 語彙が豊富で、ストーリーにグッと惹き込まれました!これから頑張ってください! 長文失礼いたしました。
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