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シオンは自分の状況を理解するのに数秒を擁した。
「ぇ?」
蚊のように細い声が漏れた。
重力は感じるが、宙吊りになっている。
恐る恐る、視線を下に向けた。自分の腹から太い棘のようなものが突き出ていることに気付き、ようやく肉体が痛みを認識する。内臓を掻き回されるような不快感と握り潰されるような痛み、そして焼け付くような熱さが同時に襲ってくる。
自分を貫いたのが邪龍の骨格だけの翼だということに気付くまで、数秒の時を必要とした。
「ぁ、があ……」
痛みで呻くと更に激痛が走る。そして身じろぎすれば傷口が抉られ、やはり痛い。泉のように噴き出る血液が邪龍の背中を赤く汚す。
激痛は理解の追いついていなかったシオンに状況の理解をさせた。
(全く……見えなかった)
邪龍の翼は木の枝のようであり、同時に骨格だけの翼にも見える。そしてこの翼はシオンが想定したよりも可動域が広く、何より速い。
あまりの激痛で初めは痛い以外考えられそうになかったが、徐々に思考が冷えてくる。
(刀は、取り落としたか。俺も死んだな)
シオンは明確に死を感じた。
この傷では逃げることも難しい。時間を置けばデミオンにより活性化された代謝能力で傷口も再生すると思われるが、それまで邪龍が見逃してくれるとは思えない。また傷を受けた際に刀も落としてしまった。一矢報いることもできないというのは悔しいばかりだ。尤も、完全な不意打ちですら刀が折れるという結果に終わってしまったので、どちらにせよ不可能だったが。
力が抜けていく。
姿勢を維持できず、首を上げることもできない。
自然と視線は赤髪の少女に向かう。血で白い服が汚れているが、少女のものでないことは確かだ。少女を運んでいたRDOのドラゴンスレイヤーが潰されたときの血、そして先程飛び散ったシオンの血の二つだ。
(守れたか。あんまり意味がなかったような気もするな……)
自分が死ねば、次は少女だ。
今の邪龍は長い首を回してシオンを見つめている。食事の邪魔をしてくれた愚か者をどうしてくれようかと考えているのかもしれない。
素早く骨格だけの翼が広げられる。
その勢いでシオンも抜けた。
「ぐっ」
そのまま地に落ち、呻く。背中から腹にかけて穴が空いているため、そこから大量の血液が流れる。普通なら即死の傷だ。ドラゴンスレイヤーの代謝能力のお蔭か傷口では細胞分裂が始まっており、出血は止まりつつある。血液も生成されており、すぐには死なない。
しかし脱水症状で頭痛と眩暈が酷い。また全身が酷い空腹を訴えていた。
確かにドラゴンスレイヤーは再生能力とも呼べる治癒性能を有するが、その治癒に必要な栄養は摂取しなければならない。
視界もおぼつかない中、シオンは地を這って落とした刀を目指す。
(せめて刀を)
シオンの役目は撤退が完了まで邪龍をここに留めること。少しでも長く生きのび、戦い、この場に押し留めなければならない。
歪む視界と傷の激しい疼きに堪えて、何とか膝立ちになる。
顔を上げて睨みつけるが、邪龍は最早シオンに興味がないらしい。少女へと目を向け、大きく口を開きながら頭部を寄せていた。
(俺じゃなくそっちを食べるつもりか!)
今はまともに動けないほど肉体が弱っている。
それを誤魔化すために、ポーチをまさぐった。そして二本目のDアンプルを取り出し、腕に打ち込む。強制的に体内デミオンが増加し、多少は傷もましになる。致命傷から重症に戻った程度でも今はありがたい。
(うご、け、ぇ……!)
折れた刀に手が届き、即座にデミオンを流し込む。
赤い刃はデミオンで変質した特別な素材。デミオンに反応し、竜に対する特攻効果を得る。様子見の加減もない。全てを注ぎ込む全力だ。
「が、ぁ」
体を起こせば腹から血が流れ出る。
それでも歯が砕けるかと思うほど強く噛みしめ、力いっぱい踏み出した。地面は破裂し、シオンは弾丸のように打ち出される。筋力と共に動体視力や反応速度も強化され、景色がゆっくりと流れた。
しかし邪龍はシオンの攻撃をしっかりと眼で追っており、鋭い翼で迎撃する。
(見える)
翼による攻撃があると分かっていれば、注意を払うことができる。そして強化された今の状態ならば、先は見えなかった攻撃を見抜くこともできた。
迫る鋭い一撃に沿わせるよう刀を置き、受け流す。
着地し、二度目の踏み込み。
力を入れすぎるあまり腹部の傷から血が噴き出た。喉の奥も熱い。
だが更に加速して邪龍の懐へと飛び込む。
(奴の死角は真下。そこに潜り込めば……)
シオンは見ていた。
この邪龍は少女を喰らおうとしているが、少女が真下にいる間は気付いていなかった。だが背後から迫るシオンには即座に気付き反撃を仕掛けた。つまり邪龍の視覚はほぼ全方位だが、真下は見えていないということである。
だが邪龍もただでは接近させてくれない。
躱したばかりの翼が折り返しで背後から迫っていた。勿論、シオンも邪龍の翼の付け根を見ることで攻撃を察している。逆方向へ折り返した攻撃であるにもかかわらず、シオンの速度を上回るという時点で邪龍の攻撃速度は異常だ。
しかしやはり、来ると分かってさえいれば回避できる。
邪龍の視界からシオンが消えた。
「ッ!?」
驚愕した仕草が何とも人間らしい。しかし邪龍も馬鹿ではない。むしろ知能は高いと言って良い。すぐに死角に消えたのだと気付き、視点を下げる。
邪龍は一瞬とはいえシオンを見失っている。
その僅かな時間でも見逃せば、勝機を作れる。
シオンは地面を背に、散弾銃を突き付けていた。勿論、躊躇うことなく即座に発砲する。弾丸にデミオンを注入することも忘れない。
(デミオンを全部ぶち込む!)
シオンに散弾銃の発砲に伴う反動を抑え込む力はない。仮にそのまま撃てば確実に狙いは逸れる。散弾銃なので多少は当たるかもしれないが、最大ダメージは狙えない。
だから敢えて近づく必要があった。
死のリスクがあっても、遠距離から撃つだけでは勝てないから。
トリガーを引くと同時に、耳が割れそうな音と内臓が掻き回されるような衝撃を味わう。だが背中を地面で固定しているお陰で狙いは逸れず、至近距離で邪龍に全弾命中となった。
「ギャッ!?」
一切の刃を通さない無敵の竜鱗を持つ邪龍が悲鳴を上げる。
それも当然だ。
如何に堅い鎧があっても、衝撃までは防げない。
ただ打撃はドラゴンにとって死因となり得ないものだ。殺す方法は心臓かコアを潰すことだけ。
(この一撃で隙はできた! なら)
シオンは銃を捨てて、ポーチから閃光弾を取り出した。大きさや形状は手榴弾と同じだが、ピンを抜くと一秒後に激しい音と閃光でドラゴンを惑わせる。ドラゴンの知覚能力である視覚と聴覚を同時に潰すことができる貴重な道具だ。
閃光弾を地面に落とした後、シオンは即座に折れた刀を拾い直し、転がっている少女を抱える。元々ドラゴンスレイヤーの膂力が大きいこともあるが、何よりも少女は痩せており軽かった。
しかし都合はいい。
シオンは少女を抱えたまま逃げる。ここまでで一秒だ。つまりここで閃光弾が破裂し、周囲に激しい音と光を放出する。いかに凶悪な邪龍といえど、この妨害には抗えない。
そしてシオンは少女を抱えたまま、樹木の間へと紛れる。奥へ奥へと進めば、少女と共に逃げることもできるかもしれない。
(死ぬほど痛い。それに耳痛い……絶対に鼓膜が破れた。あと息苦しいし、目を閉じていたのにまだ瞼の裏がチカチカする。覚悟の上の自爆とはいえ、きつい)
即死級のダメージに加えて、無茶な動き、怪我を負った状態での発砲、そして至近距離での閃光弾。これだけでも肉体としては限界だ。加えて死の危険が精神的にも追い詰めてくる。
「はぁ……はぁ……はぁ」
呼吸が荒くなる。
抱えている少女が時間と共に重くなっているようにすら感じる。それは逆説的にシオンの体力が失われているということだが、シオンは考えないようにしていた。一度でも疲労を認めてしまえば、坂を転がり落ちるように瞼が重くなっていく。
「邪龍は、どう……なった?」
鼓膜が破れたせいで邪龍が迫っているのか、追跡を諦めたのか判断できない。仕方なく、余計な動作と分かっていながら振り返った。
木々に隠れて邪龍の姿は確認できないが、明らかに揺れている。また木々が吹き飛んでいる。狭い樹木の間を力づくで通ろうとする邪龍が透けて見えるようだった。
(畜生……まだ追ってきている。囮役って意味では立派に果たしているけど! 次に奴の視界に入ったら確実に殺される!)
死を覚悟して囮役を引き受けたのは確かだ。
それが償いだと覚悟もした。しかしその時が訪れれば、本当は死を拒絶する。
「は、は……死にたく、ねぇな」
足に草が絡まり、身体が木にぶつかり、息を切らしながらも走る。もはやどの方向に向かっているのかも分かっていない。竜の巣から出る方向かもしれないし、更に奥へと向かっているのかもしれない。
だがここまで追い詰められて少女を捨てることができないのは、生きる理由になるからだ。
自分一人なら諦めてしまうかもしれない。
でも少女を助けるためならば、まだ力を絞り出せる。
「……勝手に、俺がこの子の命を終わらせる訳にはいかない。最期ぐらい、は……」
どれだけ大きく息を吸っても、肺に酸素が送り込まれている感覚がない。一歩ごとに血が冷めていくようにも思える。向かう場所が死であるようだった。
向かう先も死ならば、背後から迫るのも同じ死だ。
徐々に鼓膜も再生し始めたことで、邪龍という死の破壊音も聞こえつつある。それに死はそれだけではない。多少は感知に余裕ができたことで、上にも気を配ることができた。
(あれだけ竜がいるなら、木の上を飛び移るのも難し……そもそも今の俺の体力では無理か)
複雑で歩くのも困難な樹海を走り続けるのは無謀に近い。しかも少女という荷物を抱えている。木々を薙ぎ倒しながらとはいえ、このままでは邪龍に追いつかれてしまうだろう。
だが、不意に背後の音が消えた。
邪龍が地を鳴らす音も、木々を破壊する音も、怒りの咆哮も。
(撒いた?)
シオンはすぐ隣の大樹に隠れ、少女を膝に乗せて座りつつ背を預けた。そして様子を見るべく、そっと顔を出す。
だが、やはり音はない。
その代わり、視界全体が深紅に光っているように見えた。
(なんだ? 目がおかしい?)
目に血でも入ったのかと思い、左手で擦る。
だが不可思議な赤色は消えない。元から血の流し過ぎで水分不足に加えて酸素不足だ。視界は初めから安定していない。それが原因にも思えたが、シオンにはこの赤色に覚えがある。
「竜の、赤色?」
深紅の光は徐々に視界の中心へと集まっている。
それに気付いた時、シオンはある答えに辿り着く。そして何か思うよりも早く、少女を地面に寝かせ、シオン自身も覆いかぶさるようにして伏せた。
ほぼ同時に、光が炸裂する。
音速など軽く突破した深紅の光線が左右に薙ぎ払われ、樹海の木々が粉砕される。更には急速に地面や草木の竜結晶化が進み、周囲が赤色に染まり始めた。
「ぐ、うぐぅぅぅ……」
シオンの背中に幾つも破片が当たるが、歯を食いしばって耐えた。キサラギの装備品は強化繊維で織られているので、至近距離でも拳銃程度なら通さない。破片が装備を突き破って肌に刺さらないことだけが救いだ。ただ邪龍に貫かれた部分だけは露出している上に傷が塞がり切っていないの激痛が走る。
何も考えず、ただ身を伏せて地面と同化することだけを考えた。
千切れ飛んだ樹木がシオンの背中に落ちる。
「ぎっ……」
しかし根性で支え、少女に重みが伝わらないようにした。そして次の瞬間にはシオンの上に圧し掛かっている倒木も吹き飛ぶ。
(ちょっとでも身を起こしたら死ぬ……)
シオンはこの攻撃を知っている。
ドラゴンスレイヤーならば誰もが知っている。
大型以上のドラゴンでなければ使用してこない即死攻撃、デミオンブレスである。
高濃度デミオンを圧縮して放つという効率最悪の攻撃だが、この攻撃に触れると即座に身体が竜結晶化して死ぬ。赫竜病など通り越し、赤い彫像と化す。また炸裂地点周囲のデミオン濃度が急上昇するというおまけつきだ。何より音速など軽く凌駕するデミオンブレスを見てから回避することなど不可能であり、それゆえ即死攻撃と位置付けられている。
(何だよこの馬鹿げた威力……これが、邪竜)
とても怖くて顔を上げることはできないが、音から鑑みてかなり広範囲が破壊されている。またデミオンブレスが真上を通過する度に背中がチリチリと焼けるような感覚までするのだ。高濃度デミオンによって背中が侵食され、シオンの体質で排出されているために起こっている。
(早く終われ。早く、早く……)
シオンもデミオンブレスを直接見たことはない。五年半前に東京で暴れた超大型ドラゴンがデミオンブレスを使っている映像を見ただけだ。その時のブレスは数秒で終わる上に連射もなく、注意していれば回避できたのだ。
だが邪龍のブレスは持続時間が長い上に威力も桁違いで、射程も比較にならない。
明らかに格が違う。
高濃度デミオンを圧縮放射するブレス攻撃は大量のデミオンを消費するので、大型や超大型ドラゴンでも安易に使えない切り札のようなもの。規格外ということだろう。
(だめだ。意識が薄れる)
元々限界だった。
追撃とばかりに背中を襲うダメージが体力を奪っていく。
「んぐっ!?」
そしてトドメといわんばかりに再度倒木が直撃し、遂にシオンも気を失った。