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私は、水の魔女。湿り気を帯びたジャングルを抜け、視界が開けた先にその村はあった。
入り口で迎えてくれた村人たちの笑顔は、水面に映る月のように穏やかで、どこか浮世離れした温かさを湛えていた。
「ようこそ、旅の魔女様。さあ、中へ」
案内された宿で荷を解いていると、村長が私を訪ねてきた。
「魔女さんや、少し来てくれんかの。お見せしたいものがあるんじゃ」
連れられて向かった村の中央広場。そこには、私の旧友であるカレンの石像が立っていた。
「この魔女を知っていますか?」
「ええ、よく知っています。私の大切な友人です」
「本当か! それは良かった……。どうか、彼女をここに呼んではくれまいか」
私は水晶を介してカレンを呼び出した。
「誰〜? 私、今すっごく眠いんだけど……」
画面越しに映るカレンは、いつも通りの、少しお転婆で生意気な小娘の表情だ。
「今、森の先の国にいるの。村の人たちが、カレンに会いたいって」
その瞬間、カレンが「ギクッ」と凍りついたのを私は見逃さなかった。
「……どうしたの?」
「……なんでもない! とりあえず、すぐ行くからそこで待ってて!」
数刻後、空を切り裂くような勢いでカレンが箒で突っ込んできた。
「バチャーン!」
着地の衝撃で、泥跳ねが私のローブを汚す。
「きゃあ! ……カレン、もう少し静かに降りてください」
「ごめんごめん!」
私は指先から出した清らかな水で泥を洗い流した。カレンは落ち着かない様子で村長の耳元で何かを囁き、村長は深く、深く頷いた。
「皆の衆! カレン様がお戻りだ! 今夜は宴だぞ!」
その夜、村は魔法のような活気に包まれた。
燃え上がるキャンプファイヤー。踊る人々。だが、不思議だった。火の粉が舞っているのに、私の肌に届く風は少しも熱くない。食事の香りも、音楽の響きも、どこか遠い記憶の底から響いてくるような、透明な質感を帯びていた。
「楽しんでいただけておるかな? 貴方様も、カレン様を連れてきてくれた恩人じゃ」
村長が目を細めて笑う。
「昔な、この村は酷い猛暑に襲われた。水は枯れ、大地は裂けた。その時、カレン様が救ってくださったのじゃ。我らは、お礼を言う力すら残っていなかった。それが、ずっと心残りでのう……」
私はカレンの横顔を見た。火影に照らされた彼女の瞳は、小娘のそれではない。幾百年の月日を見届けてきたような、深く、枯れた色をしていた。
翌朝。
木のベッドの硬さと、鋭い陽光の熱さで目が覚めた。
だが、目を開けた私の視界に飛び込んできたのは、宿の天井ではなく、果てしなく広がる青い空だった。
「……何が、起きたの?」
そこには、宿も、石像も、村もなかった。あるのは、風に揺れる背の高い夏草と、崩れかけた古い墓標。まるで最初から何もなかったかのように。
傍らでは、カレンが地面に膝をつき、声を殺して泣いていた。
「よかった……無事に、成仏できたんだね……」
彼女の涙が、乾いた土に吸い込まれていく。
カレン。本当は知っていましたよ。あなたがこの村の英雄になったのが、もう何十年も、あるいはもっと前のことだなんて。
水の魔女である私は、あなたの涙に含まれた「時の重み」を感じ取っていた。それは救いきれなかった後悔と、長い孤独を耐え抜いた者だけが流す、祈りのような雫。
「カレン、何があったのですか?」
あえて尋ねた私に、彼女は慌てて袖で顔を拭い、いつもの「お転婆な小娘」の仮面を被り直した。
「何が? ……じゃあ、私は帰るから! またね、水の魔女!」
逃げるように箒で去っていく彼女の背中に、私は「お元気で」と手を振った。
彼女は私に悲しい思いをさせたくなくて、自分が「年老いた大魔女」であることを隠し、愉快な友人を演じ続けている。ならば、私はその優しさに騙され続けよう。
あの一夜の宴は、死者たちの願いと、彼女の慈愛が交差した、古墳に眠る記憶のような幻。
私は、カレンが守りたがっている私の心を清らかな水のままに保ち、杖を手に取った。
次の街へ。彼女に聞かせるための、とびきり明るい土産話を探す旅へと歩き出した。