テラーノベル
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翌週の月曜、朝から曇り空だった。
校舎全体が薄暗く、チャイムの音もくぐもって聞こえる。
俺は教室に向かう途中、またあの視線を感じた。振り向くと、二宮先輩が廊下の突き当たりに立っている。
背中を壁に預け、ポケットに手を突っ込んだまま。目が合った瞬間、ゆっくりと歩いてくる。
「……おはよう。」
俺はぎこちなく返事をする。「おはようございます。」
すると先輩は、わずかに笑った。
「なんだよ、その距離感。俺らもう顔見知りだろ。」
そう言いながら、軽く俺の肩を押す。
この人は、こういう物理的な距離の詰め方が自然すぎる。
俺は歩調を乱しながら、心臓の音を抑えようと必死だった。
放課後。
昇降口で靴を履き替えていると、背後から声がかかった。
「笹原、今日ヒマ?」
顔を上げると、先輩がすぐ目の前にいる。
「……はい。特に予定は。」
「じゃあ、ちょっと付き合え。」
有無を言わせぬ口調で、俺はそのまま連れ出された。
向かった先は、校舎裏の古びたベンチ。ここは人通りが少ない。
「ここ、俺が一年の頃から好きな場所なんだ。」
そう言って、先輩はベンチの端に腰を下ろす。俺も隣に座ったが、また距離が近い。
無言のまま数秒が過ぎ、やがて先輩が口を開いた。
「笹原、お前、なんでそんなに俺から逃げる?」
「……逃げてないです。」
「嘘。廊下でも屋上でも、わざと視線外すだろ。」
図星だった。俺は息を詰め、何も言えなくなる。
先輩は片肘をベンチの背もたれにかけ、俺を覗き込んだ。
「俺、お前のことが気になる。……ずっと。」
低く響く声。俺は瞬きすらできなかった。
「気になるって……どういう意味ですか。」
「そのまんまの意味。男とか女とか関係なく、俺はお前を見てたい。」
耳が熱くなる。意味を理解するのに、少し時間がかかった。
「……それって、好きってことですか。」
先輩は笑わなかった。ただ真剣な目で頷いた。
その日から、俺たちは以前よりも頻繁に話すようになった。
昼休みに一緒に食堂へ行き、放課後は図書室で並んで勉強する。
先輩は相変わらず不意に距離を詰めてきて、俺の反応を楽しんでいるようだった。
ある日の図書室。
参考書をめくっていると、先輩の手が机の下で俺の膝に触れた。
「……先輩。」
「静かに。ここ図書室。」
小声でそう言いながら、膝に置いた手を離さない。
ページをめくる音と、時計の秒針がやけに大きく響く。
俺は集中できないまま、ページを空回しでめくり続けた。
期末テストが近づいたある日、先輩に呼び出された。
屋上の扉前、例の倉庫。あの日と同じ場所だ。
「笹原。」
「……はい。」
「俺、お前にちゃんと言う。」
先輩は真っすぐ立ったまま、少し息を吸い込んだ。
「俺、お前が好きだ。友達とか後輩とかじゃなく、恋人として。」
息が止まったように感じた。
あまりに直球すぎて、返事が出てこない。
けれど、心臓の奥が熱くなっているのがわかった。
「……俺でいいんですか。」
「俺は、お前じゃなきゃ嫌だ。」
その言葉に、何かが決壊した。
気付けば頷いていた。
先輩は少し目を細め、俺の頭を優しく撫でた。
それからの日々は、静かに、でも確かに変わった。
廊下ですれ違うとき、ほんの一瞬だけ手が触れる。
教室の窓からグラウンドを眺めると、先輩がこちらを見上げて微笑む。
誰にも知られない、小さな合図。
けれど、ある放課後。
先輩が他の女子に呼び止められているのを見てしまった。
笑顔で会話する姿に、胸の奥がざわつく。
俺はそのまま帰ろうとしたが、背後から声がした。
「笹原、待てよ。」
振り返ると、先輩が追ってきていた。
「……あの人、誰ですか。」
「生徒会の仕事の話だ。」
「……でも、楽しそうでしたね。」
先輩は眉をひそめ、俺の肩をぐっと掴む。
「お前、嫉妬してんの?」
言葉に詰まる。
「……別に。」
「じゃあ、俺が誰と話してても平気?」
「……平気じゃないです。」
そう言った瞬間、先輩は口角を上げた。
「じゃあ、もっと俺のそばにいろ。」
そのまま、人通りのない廊下で軽く抱き寄せられた。
制服越しに感じる体温が、耳まで熱を運んでくる。
冬。初雪が降った日。
俺たちは下校途中の公園で立ち止まった。
吐く息が白く溶ける中、先輩が小さく笑う。
「お前とこうして並んで歩くの、好きだ。」
「……俺もです。」
雪の静けさの中、二人の声だけがやけに鮮明だった。
そして先輩は、俺の頬に触れ、ゆっくりと顔を近づけた。
触れたのは一瞬。でも、全身が熱くなる。
「これからも、俺から逃げんなよ。」
「……逃げません。」
灰色の廊下から始まった関係は、白い雪の中で確かに形を持った。
この先も、きっと。
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