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それからは表向き平穏な日々が過ぎて行った。
有賀さんとは先日の件に触れないまま同僚として上手くやってるし、雪斗も今までと変わらずに優しくしてくれる。
でも心の中では、雪斗がいつ春陽さんに会うのか気にしてばかり。
少し憂鬱だった。
私は楽しくて幸せなだけの恋は出来ないのかな。
何も心配することなく、ただ好きな気持ちだけで幸せに暮らせたら楽なのに――。
「美月、今週の土曜、出かけて来る」
夕食を終えると、雪斗がそう切り出して来た。
「……仕事じゃないよね?」
「ああ……春陽と会う。用を済ませて多分八時頃には戻るから」
春陽さんの名前を聞いた途端、気分が重くなった。
黙って会われるのは嫌だけど、こうやって宣言されても辛いのに変わりは無い。
「ごめんな。日曜は美月と行きたい所に出かけようか?」
「春陽さんとどこに行くの?」
具体的に聞いても仕方ないけれど、知りたくなる。
「……実家」
「えっ? 実家って……」
「俺の実家。用を済ませたらすぐに帰るからあまり心配するなよ」
心配するなって……確かに一般的なデートとかそんな雰囲気じゃ無いのは分かるけど、でも行き先が実家と言うのはショックだった。
私はまだ彼の実家に行ったことがないし、家族に紹介もして貰っていない。
そのことが少し気にはなっていたけれど、具体的な結婚話が出ているわけじゃないから挨拶に行きたいとは言えなかった。
だから雪斗の実家は私にとっては遠いところだ。
それなのに春陽さんのことは連れて行く。
元々夫婦なんだからお互いの実家を行き来していたんだろう。分かっているけど、今までで一番疎外感を感じている。
「美月……来月になったら仕事も落ち着くだろうし、有給取って旅行に行かないか?」
「……え?」
「まあ休めても一日位だろうけどな」
雪斗は苦笑いを浮かべながら言い私の身体に腕を伸ばした。
大好きな力強い腕に包まれる。
「美月の好きな所に行こう。考えておけよ」
雪斗は優しい。
隠す事なく愛情表現もしてくれる。
この先も私と一緒に居ると言ってくれる。
春陽さんとのことさえ無かったら。
私がもっと自信を持って雪斗を信じられたら。
心の中が見えたらいいのに。
雪斗の心の中に居るのが私だけだって分かったら、もう何も恐くないのに。
一年中恋愛の事で悩んでる訳じゃ無いけれど、私の中で雪斗の事は大きな問題で、気が緩むとつい溜息が出そうになる。
「何で暗いの?」
気を張り詰めていた仕事中とは違って、気楽な成美とのランチではつい素が出てしまう様で、早速指摘されてしまった。
「ちょっと、いろいろ有って」
「藤原さんと喧嘩した?」
成美が身を乗り出す様にして聞いて来る。
興味深々といった様子だ。私も吐き出したいから素直に答えた。
「心配事が多くて。でも喧嘩にはならないの」
雪斗が見事に喧嘩回避して来るから。
私を大事にしてくれるし、春陽さんの事も隠すこと無く言って来る。
そんな風にされると、疚しいところが無い雪斗に私が思いこみで嫉妬している様な形になってしまうから、感情的に喚く事なんて出来なくなる。
イメージが伝わった様で成美は大きく頷いた。
「なんか分かる。藤原さんって大人だし頭いいし、女の扱い慣れてそうだもんね。美月なんて上手く丸め込まれそう」
丸め込まれてるって……でも似た様なものなのかな。
「でも美月達上手くいってると思うよ。羨ましいくらい」
「そうかな?」
「うん。正直、藤原さんがここまで真面目に女の子と付き合う人だとは思わなかった。今までは結構噂が有る人だったし」
「……」
「今は美月との付き合いをオープンにしてるし、他の子を寄せ付けないし。藤原さん絶対結婚考えてるよね? 少しはそんな話出てるんでしょ?」
成美は早口で言い、期待の籠もった目を向けて来る。
端から見たら、私と雪斗は結婚前提に見えるということ?
実際は実家の場所すら知らないって言うのに。
雪斗と結婚出来たら、こんな風に不安になったり悩んだりする事から解放されるのかな。
でも、以前雪斗は直ぐに結婚する気は無いと言っていた。
結婚を視野に入れているのと、実際するのでは全く違う。
今の私は雪斗に大切にして貰ってはいるけど、先の保障は何も無い状況だ。
「そう言えばさ」
考え込んでいると成美が思い出したように言った。
「この前湊君に会ったよ」
「え、どこで?」
「仕事終って会社出たところで。美月に用が有るのかと思ったんだけど、何か声かけ辛くて素通りしちゃった」
「……私は会ってないけど」
「そうなの? じゃあ何してたんだろ?」
「私も分からないけど……」
「湊君、うちの会社に美月以外の知り合い居るのかな?」
成美は首を傾げたけれど、深く考えている様子は無かった。
もしかして有賀さんに会いに来たのかな?
気にはなったけど、わざわざ確かめる気にはならなかった。
以前の様に有賀さんの恋愛の行方を心配する気も無くなっていた。
水原さんがこの先何をしても有賀さんなら大丈夫。
私よりよっぽど強い心を持ってるし、自分を持っいる……羨ましいくらいに。
午後は仕事に追われ、あっと言う間に定時を迎えた。
雪斗は外出していてまだ戻らない。
一人会社のビルを出て駅に向う。
なんだか疲れてしまって身体が重いから寄り道しないで早く帰ろう。
夕食は冷蔵庫に有るもので簡単に作って……そんな事を考えながら駅前に到着し改札口に向う前に声をかけられた。
「美月さん」
この声って……目を遣って一気に気分が落ち込んだ。
予想したとおりそこに居たのは、水原奈緒さんだったから。
ため息を飲み込んで口を開く。
「……有賀さんを待ってるんですか?」
「はい、彼もそろそろ帰れるって連絡が有ったから」
もしかして有賀さんと水原さんは一緒に住んでるのかな?
でもそれを彼女に聞く気にはなれない。他に話す事も無い。
沈黙が訪れると、水原さんは気まずそうにしながら切り出した。
「少し話せませんか?」
「話?……どんな事ですか?」
「……そこに座りませんか?」
水原さんが指した先に木で出来たベンチが有った。
「時間が無いので、手短にお願いします」
私はそう応えながらベンチに向った。
別に話を聞く必要なんかない。
有賀さんが真剣に付き合ってる相手だからほんの少しの遠慮は有るけど、でも今までの事を無かったことにして親しくすることはない。
でも、彼女の話を聞いてみたい気持ちも有った。
彼女が何を思って湊を捨て、有賀さんと真剣に付き合ってるのか……それからもう一つ。
以前からの気がかりがある。
ベンチに少しの距離を置いて座ると水原さんが軽く頭を下げた。
「あの、急に時間を作って貰ってごめんなさい。美月さんとは前からちゃんと話したかったの。偶然会ってもいつも話はできなかったから」
彼女のごめんなさいに、はいと言う事はできない。
「偶然というかよく駅にいますよね。どこかの店で待ち合わせはしないんですか?」
水原さんはなぜか恥じ入る様に目を伏せた。
「お店に入ると余計なお金を使うし……外で待つの私苦痛じゃないから」
「そうですか……それで話って言うのは?」
「あの、先日の事を謝りたくて」
「先日? 湊と水原さんが揉めていた時の話ですか?」
「そうです。巻き込んでしまったようで、本当にごめんなさい」
本当に悪いと思っているらしく、水原さんは罪悪感に苛まれる様に顔をしかめた。
「別に……私はこの前は偶然居合わせただけですし、水原さんに謝って貰う必要はありません」
心底、私とは考え方が違うんだと感じた。
謝るならもっと別のこと……私と湊の別れの原因になる行動をしたことじゃないのかな。
「でも、美月さんは迷惑そうな顔をしてたから」
「それは正直言って嫌な気持ちにはなりましたけど……」
「まさか湊があんな行動に出るとは思わなかったんです……悩んでるのは知っていたけど」
「そうだとしたら少し楽観的過ぎたんじゃないですか?」
私の言葉に、水原さんは驚いた様な顔をする。
私は構わず、いつもより大分冷たい声で続ける。
「こんな短期間に新しい相手を作って、今までの付き合いは無かったことにされたんじゃ湊だって我慢出来ないでしょ? 湊の行動は正しいとは言えないけど気持ちは分かります」
「……湊に悪いなって気持ちは有ります、でも仕方ないでしょ?」
「仕方ない?」
「人の気持ちは変わりますよね?」
私につられるように、水原さんの口調が段々とキツイものに変わって行く。