「おはよ。」
「おはよ〜。」
「おはよう。」
春休みが始まり、数日が経った。
あの日、大学の帰り道で元貴との微妙な雰囲気は、家に帰った後も続いたけど、 次の日には、まるで何もなかったかのように、元貴は“いつもの元貴”に戻っていた。
涼ちゃんと、『どこのグランピング行くー?』なんてはしゃぎながら、スマホを見せ合って笑ってる。
その様子を見た時、おれは、 昨日のことは、もう忘れよう、って思った。
そうやって、また冗談を言い合って笑ったり、のんびりソファーで寝転がったり、 “いつも通りの日常”に、おれたちは戻った。
でも…
ほんのときどき。
ふとした瞬間に、元貴があの日と同じ表情で、おれのことをじっと見る気がして、目を逸らしてしまう。
たぶん、気のせいだ。
気のせいにしてしまいたい。
それでも、あの日の事を“なかったこと”にしたのは、きっとおれの方で…
元貴は、まだ、少しもあれを忘れてないんだろうなって、気づいている。
なのに、気づかないふりをしてしまう。
それが、おれの精一杯だった。
ソファーに深く腰掛け、元貴と涼ちゃんの笑い声を聞きながら、 おれは天井を見上げて、息を吐いた。
“好き”って、言ってしまえば、こんな風に笑い合うことも、全部終わってしまうんじゃないかって…
それが、今は、ただただ、怖く思う。
「ふあーっ、課題がない休みって最高すぎる!」
明るい声を上げながら、ソファーに座るおれの膝の上に、頭をぽすんと預けてくる元貴。
そのまま仰向けになっておれを見上げ、にこっと笑った。
つられておれも笑顔を返す。
ごく自然に見えるその仕草に、ふと現実へと引き戻される。
パッと見、それは本当に“いつも通りの日常”だ。
「来週のグランピング楽しみだねぇ。」
向かいの一人掛けソファに腰かけた涼ちゃんが、おれ達の様子を眺めながら穏やかに言った。
「ね!めちゃくちゃ楽しみ!バーベキューも出来るんだよね?!」
「うんっ。そのプランで予約したよ〜。」
「どうせ、元貴は食べる専門でしょ?」
「う、うるさいな!ぼくもちゃんと手伝うしっ。」
「じゃあ、僕は食べる専門になろっと〜。」
「おれもおれも。」
「ちょっとー!」
元貴の抗議の声に、俺と涼ちゃんは顔を見合わせて笑った。
部屋に響く声と笑い声。
テレビの音。
朝の白く淡い光が、カーテン越しにやわらかく差し込んでいる。
こんな風に、三人で笑っていられる時間が、 このままずっと続けばいいのにな、なんて思ってしまう。
でも、それだけじゃ、満たされなくなっている自分が居る事にも、もう気づいている。
おれは、膝の上に頭を乗せたまま、ころころと笑う元貴の髪に、
無意識に手を伸ばして、そっと撫でた。
たぶん、ほんのささいな仕草だった。
でも、元貴は一瞬だけ動きを止めて、
それから、何も言わずにまた目を細めて笑った。
涼ちゃんはその様子を、何も言わずに、ただ見ていた。
いつものように、穏やかな笑みを浮かべたままで。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
きっと誰も、なにも言わない。
この“いつも通り”を壊したくないから。
…でも。
それでも、もう、少しずつ“いつも通り”じゃなくなってきてるのに、みんなどこか気が付いている。
二人の笑い声が、ほんの少しだけ、胸に沁みた。
・・・
午後は、涼ちゃんは勉強。
おれと元貴はのんびりゲームをしながら三人ともリビングで過ごした。
あっという間に夜になり、夕飯も済ますと、元貴はお風呂に入りにリビングから出ていった。
テレビの音だけが、ぽつぽつと流れている。
特に興味もないけど、やる事もないおれはそれを眺めていると、パタンと分厚い本を閉じた涼ちゃんが顔を上げた。
「お疲れ。」
視線に気が付いたおれは、テレビから涼ちゃんに目線を移すと、今日一日勉強をしていた涼ちゃんに労いの言葉を掛けた。
涼ちゃんはいつもの柔らかな笑顔で『ありがと。』と答えると、その分厚い本をテーブルの上にそっと置いた。
そして、一呼吸置いてから、穏やかな口調で、言った。
…まるで、会話の続きのように。
「え。」
涼ちゃんの言葉を聞いた時、あまりにも日常会話の延長のような話し方に、理解が追いつかなかった。
けれど、そのいつもと変わらない口調とは裏腹に、涼ちゃんの真っ直ぐな視線と、そこに宿る静かな決意に、本気なのだと気づいた。
「ふふっ、なんて顔してんの。」
涼ちゃんが、おれの顔を見て悪戯っぽく笑った。
どんな顔をしてるのか、自分でも分からない。
笑われてることに気づいても、なにも言い返せなくて、動揺しているのを誤魔化すように頭を掻くしかなかった。
なにか言わなきゃ。
そう思って、喉の奥に引っかかった言葉をどうにか引きずり出そうとした、その時…
「お風呂上がったよー。」
タオルを頭に乗せた元貴が、何も知らない顔でリビングに入ってくる。
一気に現実に引き戻される感覚。
開きかけた口を、慌てて閉じた。
一瞬だけ、涼ちゃんと目が合う。
その目には、さっきと同じ静かな熱が宿ったままだった。
「ふふっ。」
小さく笑った涼ちゃんは、立ち上がると軽やかに言った。
「ま、そういうことだから〜。じゃ、僕、お風呂入ってくるねぇ。」
それだけ言い残して、ひらりとリビングを出て行った。
なんでもないふうに。
けれど、おれの中には、さっきの言葉がずっと、残り続けていた…
コメント
5件
今回も最高すぎました(*^^*) 涼ちゃんは最後若井さんになんて言ったんだろう?でも大森くんがお風呂から出てきたら話やめたから、大森くん関連なのかな?次回楽しみすぎる!! 続きも楽しみに待ってます(*^^*)
りょ、りょうちゃん何を言ったの···?気になります〜!🥺