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昔むかし、あるところにキリギリスがおりました。キリギリスには将来を約束した相手がおりました。
「君と一緒に、ずっと一緒にこうしていたいね」
春が過ぎた初夏の草むらで、オスのキリギリスはバイオリンを弾きながら、誰に恥じることもなく高らかに愛を歌います。メスのキリギリスは隣に座って、うっとりとそれを聞いています。
「あなたの歌声が大好きよ。ずっとずっと、聞かせてちょうだいね」
2匹は寄り添ってたくさんの時間を過ごしました。空気の冷えた朝の静けさ。お日様の照り付ける昼下がり。雨が草の葉を打つ音に合わせて歌ったり、背丈のある草の上で少しだけ鳥に怯えながら夕日を見たりして過ごしました。いずれ2匹で命を紡ぎ、そして、ひっそりと死んでいく。誰に教えられたわけでもありませんでしたが、そういうことをどこかで感じながら、2匹は日々を歌と共に穏やかに過ごしました。
昼と夜が幾度もめぐり、太陽と月が何度も彼らの上を通り過ぎて行きました。巡る星々のように物語が流れることを誰しもが心のどこかで願います。しかし、ものごとの順番というものは、ときにあっけなく狂うものです。その日もオスのキリギリスは、いつものようにお気に入りの場所に向かっていました。そこで2匹で寄り添って時間を過ごすのが決まりごとでした。今日は何を歌って聞かせよう。オスのキリギリスはメスのキリギリスの音楽を聞くときの表情が大好きでした。それを思い浮かべながら意気揚々と歩きます。と、草陰からアリたちの掛け声が聞こえます。よいしょ、よいしょ。アリたちはいつでも働き者です。晴れた日は餌を探して歩き回り、大きなものは協力して運びます。よいしょ、よいしょ。彼らの働きぶりは有名でしたから、オスのキリギリスもすぐに、「ははぁ、また何か大きなものを見つけて皆で運んでいるんだな。熱心なことだ」と思いました。ほどなくして先頭を歩くアリの姿が見えました。今日は何を運んでいるんだろう。メスのキリギリスに話したら面白がってくれるかもしれない。オスのキリギリスは立ち止まって見物していくことにしました。それはもしかしたら、虫の知らせというものだったのかもしれません。
ガタン。運ばれているものを見たオスのキリギリスは、驚きのあまりバイオリンを落としてしまいました。アリたちが一生懸命に運んでいたそれは、世界で一番愛おしい、大好きなメスのキリギリスだったのです。