部屋に帝国の白い花、|雪《スニフ》を飾った。
初めて会ってから、二年待った――ようやく、シルヴィエ皇女が嫁いでくる。
レグヴラーナ帝国から第一皇女が嫁ぐことが決まると、ドルトルージェ王国王宮内は騒がしくなった。
侍女たちは張り切って、王宮の庭で、一番いい薔薇を選んで飾り、カーテンを新調し、絨毯に汚れがないか、端の端まで、確認する。
「ヴァルトル、来い」
空から、風の神の化身である鷹のヴァルトルが降りてくると、大きく広げた翼を閉じて、腕に止まり、お互いの額を合わせる。
こうすることで、ヴァルトルが集めた情報を得ることができるのだ。
シルヴィエ皇女を乗せた馬車が、どこを走っているのか、ヴァルトルが視た風景が再現される。
兵士たちに囲まれた馬車が、もうじき、王都へたどり着く。
「ちょっと出かけてくる」
「アレシュ様! お待ちください! 皇女様のお好きな食べ物はなんでしょうか?」
「クッションの柄はおかしくありませんか?」
「カーテンの色は?」
侍女たちは微妙に違う色と柄のクッションを見せた。
しかも、今日に至るまで、何度も悩みに悩んで選んだ物ばかりだというのに、まだ悩んでいる。
「……任せる」
侍女たちは冷めた目で俺を見る。
「まー! アレシュ様! 奥様になった皇女様に、どちらがいいか聞かれたら、ちゃんとお答えしてくださいね。そういう無関心な旦那の態度は、冷えた関係の始まり、夫婦の亀裂!」
「そうですよ。うちの旦那なんて、なにを着ても似合うよなんて言うけど、あれは裏を返せば、なにを着ても一緒ってことですよね!?」
「そうそう。わかるわぁ。美味しいかまずいか聞いても、お前の料理が一番だよなんて言うけど、あれは逃げよ、逃げ。面倒だから、その一言で済ませてるの!」
――ドルトルージェ王国は平和である。
王宮は通いの使用人が多く、親が王宮の侍女、祖父母に代から、その以前より王宮で働いていたという者ばかりだ。
なので、俺のことは子供か、孫だと思われている節がある。
「あのな……。それはさすがに、ひねくれたものの見方だろう。褒めているんだから、旦那の言葉をちゃんと受け止めてやれよ」
侍女たちは俺の言葉を鼻先で、フッと笑った。
この青二才が、まだまだ未熟者よと言われているような気がする。
「学問優秀、剣術でも敵なしのアレシュ様も夫婦事情には、お詳しくないみたい」
「ひよっこというところですね」
「私たちがしっかりアレシュ様を補佐し、皇女様にこの国とアレシュ様を気に入ってもらえるよう頑張りましょう!」
俺を無視して、侍女たちは気合いの入った声を出す。
その様子を見ていたカミルが、笑いながら近づいてきた。
「祭りのようににぎやかですね」
「そうだな。まあ……。シルヴィエ皇女が過ごしやすいよう整えてくれて助かる」
「はい。でも、アレシュ様、ご結婚おめでとうございます……と、言っていいのでしょうかね」
結婚が決まり、カミルも喜んでいたが、気にかかることがあるらしく、ずっと浮かない顔をしていた。
「カミル、どうした?」
「いえ。あまりに早く決まったものですから……。アレシュ様と皇女の結婚は、両国の和平のため、いいことではあるんですが」
和平の証として、レグヴラーナ帝国に第一皇女との結婚を申し込んだ。
帝国側が出した条件は、シルヴィエ皇女が過ごしやすいよう侍女たちをつけるということくらいで、他にはなかった。
そして、すぐに承諾の返事を返したのが、カミルは気になっているらしい。
「あのプライドの高いレグヴラーナ帝国が、田舎の小国だと侮っているドルトルージェに、なんの思惑もなく、第一皇女をすんなり嫁がせますかね」
俺はシルヴィエ皇女の境遇を目で見て知っているが、カミルは話だけで、実際に見ていない。
罪人のように閉じ込められたシルヴィエ皇女は、大切にされているように見えなかった。
申し込めば、向こうはすぐに承諾するだろうと予想していたが――
「帝国側に、なにか思惑があるかもしれないな」
「わかっていて、なぜ……」
「俺がシルヴィエ皇女を妃にすると決めたからだ」
俺の返答に、カミルは呆れていた。
「よし! カミル。花嫁を迎えに行くぞ」
「えっ! ま、待ってください!」
ヴァルトルの目を使い、シルヴィエ皇女を連れた帝国の隊列を確認したから、どこにいるのか、すぐにわかる。
「アレシュ様っ! おとなしく王宮で出迎えてくださいよ!」
「じっとしていても、やることがない。退屈だ。ヴァルトル、先に行け」
腕を前に出すと、ヴァルトルは翼を広げ、矢のように真っ直ぐ飛んで行った。
なにかあれば、戻って来るだろう。
|厩《うまや》に行くと、いつでも馬を出せるよう準備されていた。
落ち着きのない主をわかっているのか、馬は俺の姿を見るなり、出かけられるとわかって喜ぶ。
「アレシュ様。馬が走らせてほしがってましたよ」
茶色の滑らかな毛をした俺の馬は、昔からいる|厩番《うまやばん》が世話をしている。
馬だけでなく、俺の性格も把握している腕のいい厩番だ。
「いつも悪いな」
「アレシュ様の馬は、主に似て活動的ですから、走らせてやったほうが、馬も喜びます」
「主と一緒で、体力が有り余って手におえないということですよ」
そう言ったカミルの馬も、俺の馬同様に用意されている。
だが、俺のほうが早い。
ごちゃごちゃ言っているカミルを待てず、置いて先に出る。
「あっ! 待ってくださいよ!」
ドルトルージェ王都へ向かうシルヴィエ皇女の隊列を目指して、駆け出した。
隊列はすでに王都の手前までやってきている。
レグヴラーナ帝国の紋章付きの馬車が、隊列中央にいるのが見えた。
すでに上空には、先に向かわせたヴァルトルが飛んでいる。
空から俺の姿を見つけたヴァルトルが、滑るように空から降りてきて、戻ってきた。
「ヴァルトルを普通の鷹だと思っているようだな」
護衛の兵士たちは、空に目を向けておらず、隊列を乱すことなく、ただ前を進む。
光の神だけを信仰する帝国は、他の神々を追い出し、古い伝承の数々を消した。
帝国だけでなく、領土を広げるため、各国はこぞって、神々との約束を忘れて、今では古い神々を残し、教えを守っているのは、ドルトルージェ王国だけになってしまった。
「古い物語を捨てるから、血を流すことになったのだ」
ドルトルージェに残る記録では、レグヴラーナ帝国はおとぎ話も言い伝えも許さず、徹底的に光の神以外の神々の物語を国中から消した。
その多くの物語を燃やす火は、やがて他国を焼く炎に変わったという――
「ドルトルージェ王国とレグヴラーナ帝国は真逆の道を進んだな」
領土を広げたが、戦費に苦しむレグヴラーナ帝国と小国のままだが、着実に繁栄しているドルトルージェ王国。
考え方もまったく違う。
だから、シルヴィエ皇女に会うまでは、帝国から妻をもらおうと考えていなかった。
もちろん、両親や大臣たちからも反対された。
閉じ込められているのには、理由があるだろうと言われ、危険だ、やめろとも。
「だが、ヴァルトルは俺にやめろとは、言わなかったんだよな」
ドルトルージェ王国の王族は、国を守る力として、生まれたその日、神々から加護を受ける。
俺に与えられたのは風の神の加護。
それぞれ、加護の力は違い、幼い時から少しずつ力の扱い方を学んでいく。
成人した自分の力は、以前より強く、危険があれば、風の神が告げるはずだが、ずっと沈黙していた。
まるで、成り行きを見守っているかのような。
ヴァルトルの翼が、動き、目線が隊列へと向く――
「そこにいるのは、何者だ!」
ようやく俺の存在に気づいたらしく、護衛の兵士が声を上げた。
「この馬車には、レグヴラーナ帝国第一皇女シルヴィエ様が乗っていらっしゃる! 近づくなら容赦はせんぞ!」
兵士たちは隊列を止め、剣や槍を構え、前へ出る。
たかが単騎。一人でやってきた俺に対し、異常なまでの警戒を見せた。
「ドルトルージェ王国第一王子アレシュ。シルヴィエ皇女の夫となる者だ」
名乗っても兵士たちの警戒が解けない。
それは馬車に乗っている侍女たちも同じだった。
こちらは敵国の王子だが、単身で赴いているというのに、この厳重な警戒の意味がよくわからなかった。
「シルヴィエ皇女に挨拶をしたいのだが?」
「申し訳ありません。アレシュ王子。シルヴィエ様は長旅でお疲れです。身だしなみを整えてから、改めてご挨拶させていただきますわ」
紺色の地味なドレスを着た侍女が降りてきて、代わりに答えた。
「そうか。残念だな」
馬車の窓は厚いカーテンで覆われ、隙間ひとつない。
「アレシュ様! やっと追い付いた!」
カミルが追い付いた頃には、すでに隊列は動き出し、王宮へ向かっていた。
「もしかして、シルヴィエ皇女に挨拶させてもらえなかったんですか?」
「ああ」
首を傾げ、カミルは隊列を見送る。
多くの兵士と侍女たちに囲まれたシルヴィエ皇女の身。
レグヴラーナ皇宮で見た鉄格子、周囲の警戒。
――彼女には、なにか秘密がある。
それがなんであるか、不明のまま、彼女を迎え入れたのだった。
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