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何故、こんなところにウサギが?
騎士団の誰もがそう思ったことだろう。
ウサギにしては大きい。
後ろ足で真直ぐに直立しているのだが、その全高は自分達の腿の高さに迫るほど高く、その四肢は石のようなものに覆われている。
体の大きさも相まり、このウサギが只のウサギでは無いことを、騎士団達は即座に理解した。
シルエットだけ見れば微動だにしていないため精巧な置物のようにも見えるが、何かを咀嚼しているらしく、口元だけは激しく動いているため生物であることは間違いない。
目を閉じているため、自分達に気が付いているかどうかは分からない。
このウサギの四肢が石のようなものに覆われていなければ、そして、このウサギが一般的なウサギの大きさであったのならば、宝麟蜥竜人《ジュエルケイルリザードマン》達が捕らえた食料として見ることができたのかもしれない。
だが、その可能性は極めて低い。
仮に”死神の双眸”の魔力反応に紛れて宝麟蜥竜人達が集落を集団で離れたと仮定して、食料を置いて集落から離れるだろうか?そもそも、食料だと言うのであれば、集落の中心でああも奔放な振る舞いはできないだろう。
何より、この”楽園”にて一切の魔力を感じられない生物が、あまりにも不気味なのだ。
武器を構え、警戒しながらウサギに近づき、周囲を取り囲む。
ここまで近づいても、ウサギは相も変わらず口元以外は微動だにしていない。目も開けず、魔力も感じられないままだ。
ウサギの喉が動く。咀嚼していた物を飲み込んだのだろう。食事が終わったのか、ウサギの口元すら動かなくなり、いよいよ置物のように見えてきた。だが、そんなことがある筈がない。
口元が動かなくなってから少しして、ウサギの目がゆっくりと開かれる。
蹂躙が始まった。
話は少し遡る。
“楽園”の上空、レイブランとヤタールの足に掴まれてラビックと宝麟蜥竜人の戦士が彼等の集落へと移動している。
〈蜥蜴人《リザードマン》。集落の者達全員、一度集落から離れてもらうことはできますか?〉
「可能ではあるでしょうが、理由を聞いてもよろしいですか?」
ラビックと宝麟蜥竜人の戦士が会話をしている。
集落に住まう者達を集落から全員退去させてほしいという要望に疑問を感じ、宝麟蜥竜人の戦士は素直にラビックに理由を訊ねる。
〈人間達の目的が貴方方の体、ないし鱗である場合、人間達にとって最も不都合なことは貴方方の不在です。それに、私が全力で戦闘を行う場合、貴方方を巻き込みかねません。貴方方も人間達と最後まで戦いたいかもしれませんが、姫様が貴方方を助けると言った以上、貴方方を傷付けるわけにはいきません。レイブランとヤタールが集落を通過するのに合わせて、彼女達の力に隠れて集落から移動していただきたいのです〉
「我等では、足手まといですか…」
ラビックからの要望に、宝麟蜥竜人の戦士は自身の力が不要と判断されたようで、失意のあまりうな垂れながら小声で声をこぼしている。その声色は、とても悔しそうだ。
片や”楽園最奥”有数の強者で、片や”楽園浅部”でも比較的弱い部類に入る種族だ。力の差は歴然である。
ラビックは、宝麟蜥竜人がノアに謁見した際に見せた無念と悲嘆の入り混じった感情に対して感銘を受け、強く憐れんだ。
彼等に手を差し伸べたい、力になりたいと強く想ったからこそ、ノアに自分が打って出ることを申し出たのだ。
宝麟蜥竜人が持つ無念さも理解できる。仲間の命を奪っていく者達に対して、決着が付くまで戦いに参加したいことも、それが叶わないのであれば、せめて見届けたいということも、理解はできるのだ。
だが、ラビックにとって最優先にすべきはノアの言葉だ。
彼女が宝麟蜥竜人を助けると言った以上、その役目を自分が引き受けた以上、宝麟蜥竜人達を負傷させるような事態は何としても避けたかった。
それ故に、自分の発言が彼の心を傷付けることを承知の上で、先程のような要望を出したのだ。彼の心を傷付けずに納得させる言葉も、傷付いた心を慰める言葉も、ラビックは持ち合わせていなかった。
〈レイブラン、ヤタール、私と蜥蜴人で先行します。集落へ向けて、私達を投げ飛ばして下さい〉
〈ここから投げても集落までは届かないわよ!どうするの!?〉〈投げられるのよ!でも届かないのよ!何をするのよ!?〉
〈姫様に稽古をつけて頂いた成果、貴女達に真っ先に御覧に入れましょう〉
宝麟蜥竜人達の集落まではまだ距離がある。
レイブランとヤタールの脚力は”楽園最奥”の魔獣だけあって極めて強力である。だからといって今の距離から両足で掴んでいる彼等を投げたところで、集落までは届かない。
2羽の問いに対して、稽古の成果を見せると言ったラビックの表情と声色は、とても自信に満ちている。
彼女達は、そんな自信に満ちたラビックの言葉を信じることにした。
〈何をするか分からないけど頑張りなさい!〉〈ケチョンケチョンにしてやるのよ!〉
〈蜥蜴人。口を閉じておいた方が良いですよ?跳びます!〉
「えっ?跳っ?えっ?どういゥブェッ…!」
投げ飛ばされた宝麟蜥竜人を、同じく投げ飛ばされたラビックが両前足で掴むと、彼は自身の足元に薄い石の板を作り出し裏側から自分に向けて『風爆』を発動させた。
指向性を持った空気の爆発を石の板が受け止め、ラビックと宝麟蜥竜人を集落に向けて一気に押し出し始めたのだ。
更にそこからラビックが全力で集落に向けて跳ねるように石の板を蹴りつけた。
弾き飛ばされるように飛び出した勢いは凄まじく、集落の近くに矢よりも速い弾丸として着弾するかのような勢いとなった。
詳細を知らされなかった上、あまりの勢いに宝麟蜥竜人の戦士は、危うく舌を噛みそうになるところだった。
集落に到着したラビックは最初は集落の者達に訝しがられたが、同行していた宝麟蜥竜人の戦士が割入って説明たことによって、すぐさま信用された。
「皆の者!!”黒龍の姫君”様より助力を頂いた!!この方はかの御方に仕える方だ!!我等にとっての救世主であるぞ!!」
宝麟蜥竜人の戦士がラビックを紹介する。
ラビックからは、至近距離にいるにも関わらず、全く魔力を感じ取ることができない。彼等は、その時点で、ラビックが自分達とは隔絶した強さを持つことを見抜いた。
本来ならば有り得ないのだ。この”楽園”で魔力を全く感じない生物というのは。
それができるのは、自身の魔力を完全に意のままに制御できる者のみである。少なくとも、この”楽園浅部”にてそんな芸当が出来る者は誰もいない。
ラビックは、自分のことを紹介もらっている間に周囲を見渡す。
彼等の住居は石を積み上げて作られた蔵の表面に泥を塗りたくり、滑らかな均して半球に近い形状をしている。入り口には彼等の鱗が張り付けられていて、その鱗が住居の所有者を示しているらしい。
更には乾燥させた細長い草を編み込んで作られた縄で装飾が施されている。この装飾も、住居によって形が様々であり、明確な文化を築き上げていた事が分かる。
もしも平時にノアがこの集落を見たのならば、彼等の文化に強い興味を覚えて一日中集落を眺めていたかもしれない、とラビックは思った。
しかし、集落は現在閑散としていて、此処に住まう宝麟蜥竜人達の表情は、暗いものが多い。
〈集落の広さに対して、住民の数があまりにも少ない…。今生存しているのは、100と少しといった所でしょうか?本来はどの程度の数がこの集落にいたのですか?〉
「子供を含め、総勢で500程が生活していました…。”黒龍の姫君”様に仕えし御方、この度は我らの窮地に駆けつけて下さり、感謝の言葉もありません…」
集落の長なのだろう。年老いた宝麟蜥竜人がラビックの質問に答え、助力に対して深く感謝の言葉を述べた。それに対して、ラビックは礼に答えるのではなく、これからの行動を伝える。
〈直に貴方方が監視者と呼ぶ者達が、力を放ちながらこの辺りを通過します。彼女達の力に乗じて、一旦この集落から離れて下さい〉
「それでは、貴方様お一人に任せることになってしまいます…」
宝麟蜥竜人達の表情はやはり難色を示している。
助力を求めはしたが、その相手に頼りきることなど、到底出来るものでは無かった。力及ばずとも、例え命を失うこととなってでも、決着を見届けたい気持ちがあるのだ。
〈長よ。姫様は貴方方を『助ける』とおっしゃいました。生きて下さい。散っていった者達の無念に付き沿うのではなく、彼等の悲しみを背負って下さい。そして、その悲しみを後世に伝え、貴方方の集落を栄えさせて下さい。それが、姫様の望みであり、姫様に助力を求めた貴方方の義務です。散っていった者達と、貴方方の無念は、私が晴らします〉
「かたじけのう……ござい、ます…」
ラビックの言葉に感極まり、宝麟蜥竜人の長が感謝を述べる。その瞳からは、涙が零れていた。
実際のところ、ノアは特に彼等に何かを望んでいるわけでは無い。
彼等が栄えることがノアの望みと語ったのは、ラビックのでまかせである。だが、こうでも言わなければ、彼等はラビックの言葉に従わなかっただろう。
彼等をこれ以上傷つけたくないラビックとしては、何としても彼等を集落から遠ざけたかったのだ。
集落から離れることに合意が確認できた時、ラビックの腹が”きゅぅ”、と鳴り出した。今日はまだ、彼は昼食を取っていなかったのだ。
「お口に合うかは分かりませんが、よろしければ此方をどうぞ」
そう言って若い宝麟蜥竜人の女性から渡されたのは、彼等の指ほどの太さがある濃い緑色の棒状の固形物だ。
発言からして食べ物であることは間違いないだろう。特に臭みは無く、手に持った感触からして噛み応えがありそうだ。手渡してくれた宝麟蜥竜人が説明をしてくれた。
「栄養価の高い草木の実と、虫の肉を細かくすり潰して練り固めたもので御座います」
普段自分が食べている物と比べれば、味は格段に落ちるだろう。だが、彼等が純粋な善意で渡してくれた物を無下に扱うわけにはいかない。ラビックは、その場で棒状の固形物を齧ってみることにした。
カリカリとした食感から舌を刺激するのは、ほのかな複数の甘みとそれを上回る旨味だ。噛めば噛むほど味が溢れ出てきた。
思っていたほど悪くはない。それどころかむしろ、ラビックにとっては間食にちょうどいい食感と味だった。
大きさも宝麟蜥竜人の体に合わせたサイズのため、全て食べきる前にラビックの腹を十分に満たしてくれた。
空腹を満たし、宝麟蜥竜人が集落を離れていくのを確認すると、ラビックは集落の中心に移動して目を閉じた。
後は、譲ってもらった食料を味わいながら、ゆっくりと人間達がこの集落に訪れるのを待つだけだ。
人間達が集落の入り口まで入ってくる頃には、受け取った食料は口の中に残る物だけとなっていた。存外と気に入った味を最後まで楽しむために、ラビックは長めに口の中の食料を咀嚼し続けた。
音から伝わる人間達の動きは、ラビックが想定していたものよりも、かなりゆっくりだ。
十分に食料の味を楽しみ食料を飲み込んだ時、ラビックはその理由を理解する。
あらゆる生物に魔力は宿っているのだ。
姿が見えているのに全く魔力を感じない相手というのは、不可思議極まりないのだ。しかも、ここは魔力が極めて豊富な”楽園”である。常識的に考えて、全く魔力を感じない相手に警戒するのは、ある意味当然だった。
己の失敗に恥じながら、人間達の数と位置、魔力をラビックは把握する。
これだけの距離があれば、誰一人として逃すことは無いだろう。
ラビックはゆっくりと目を開いた。
正面に対峙したウサギが目を開いた瞬間、危険極まりない気配を本能的に感じ取った団長は、ほぼ無意識の内にウサギに対して手にした剣で突きを放とうとした。
だが、突きを放とうとしてほんの僅か体を動かした時には、団長の胸部に炎を纏ったウサギの右前足が突き刺さっていた。
団長のすぐ近くにいたスカイムも、団長の僅かな気配の変化に気付いて体を動かそうとするが、彼の意識はそこで途絶えた。
団長と同じく、胸を貫かれたのだ。そのまま、炎を四肢に纏ったウサギは、素早く他の騎士達の胸を立て続けに穿って行く。
周りの騎士達は、何が起きているのか理解ができていない。ウサギからは、相変わらず魔力を感じられない。その場から姿が消え、幻かと思った矢先、次々と仲間の騎士達が倒れ始めたのだ。
心臓を貫かれれば、大抵のものは死に至る。だが、即死はしない。その筈にも関わらず、胸部を貫かれた騎士達は微動だにすることなく倒れていく。
これは炎を纏ったウサギ、ラビックが彼等に前足を突き入れた際に、自身の魔力を瞬間的かつ大量に相手の体内全体に送り込んでいることが原因だ。急激に魔力を流し込まれ、意識そのものを吹き飛ばされているのだ。
そして、これほどまでにラビックの動きが速いのは、ウルミラの『入れ替え《リィプレスム》』を参考にして彼が開発した、指定した場所と自分の現在地の距離を縮めて移動する短距離移動魔術『距縮《ディシュタリンク》』によるものだ。
そうして瞬く間に騎士達が倒れ続け、残りの騎士が僅か三人になった時、ようやく一人の騎士が事態を呑み込みラビックの姿を探そうとする。だが、首を動かそうとした時点で、騎士団全員の意識は途絶えてしまった。
愛する者達を想う強い気持ちが、必要以上の欲を生み、その結果、全てを失うこととなったのだ。
カークス騎士団は、誰にもこの悪夢を伝えることができずに全滅してしまった。