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京介の家で、些細な騒ぎが起こっているとは露知らず、二代目は、不機嫌なまま、往来を歩んでいる。
店でもある家へ、戻ってもよかったが、店番をしている父親の話し相手をするのが面倒。西条家の火事現場、男爵邸、岩崎の家へと走り回った疲れもある。挙げ句、近所のおかみさん達に、岩崎が出兵するのか確かめてこいと走らされ 、正直なところ、やる気が失せていた。
足は自然、亀屋に向かっている。
寅吉が豪語しているように、亀屋は、この辺りの駆け込み寺、と言うより、溜まり場になっていた。
「まったく、月子ちゃんも、なんなんだ。はっきりしねぇし。まっ、見合いだから、仕方ねぇってのはあるけど、それにしても、なんで、京さんなんだよっ」
愚痴りつつ、二代目は、盛り蕎麦で一杯やるかなどと思いながら歩んでいると、先で、おかみさん達が集まり、ワイワイ、キャーキャー騒いでいる。
「なんなんだい?ありゃ?!また、厄介な事に巻き込まれそうなんですけど?!」
良く見れば、寅吉が、お咲を引き連れ、何かをやっていた。
パチパチとおかみさん達が拍手しながら、お咲を囲んでいる。
「ちょいと!寅さん!なにしてんだっ!」
「おっ!二代目!お咲のお披露目だよっ!」
寅吉に続いて、凄いね、凄いねと、おかみさん達がお咲を誉めている。
そこへ、紳士ぶった中年の男が現れ、お咲へ声をかけた。
「お嬢ちゃん!おじさんの所へ来ないか!お嬢ちゃんなら十分やれる!キャルメル買ってあげるからっ!」
必死に食い下がる様子が鼻についた二代目が、その男へ近づいて行く。
「あれ?花園劇場の支配人じゃないの?」
ん?と、男は振り返り、二代目の姿を確認すると、
「ああ!田口屋の二代目!ちょうどよかったよー!この子、この子、なんとか、雇えないかい?!」
いきなり、二代目へ泣きついた。
「はあ?雇うって、お咲は、確かにうちが手配したけど、それは、手違いで……だけど、色々あって、もう、先約済みというか、雇われちまってるんだが?!って、子供なんだよなぁー、雇われとか、良いのかねぇー」
「いいんだ!!二代目!!この子には、才能があるっ!!」
二代目に、すがっている男は叫んだ。
その勢いに、寅吉含め、おかみさん達は、何のことやらと固まりきる。
「ちょっ、待った!待て!そもそも、あんたら、何、してたんだよ!おかみさん達までっ!」
「お?お咲に唄わせてたんだよ。ぴーぴーぴーが、お龍に好評でねえ。ご近所の、おかみさん達にも聞かせなきゃいけねぇってことになってなぁ」
亀屋で、オムレツを食べていたはずのお咲は、岩崎が乗り込んで来て、月子と飛び出して行った後、ぴーぴー唄ったようだ。
その唄声に、びっくりしたお龍は、寅吉へ言い付け、井戸端会議中のおかみさん達に聞かせに来たらしい。
そこへ、通りかかったのが、大通りで小さな演芸場──、花園劇場を経営している支配人と言うわけで……。
支配人は、お咲を、劇場の舞台に立たせたいとやっきになっている。
「……なるほどねぇ。って、あんたら、無茶苦茶だろうがっ!」
二代目が、吠えた。
その頃──。
まさか、お咲が、劇場の支配人に才能を認められているなどと、夢にも思っていない岩崎と月子は、揃って人力車に揺られていた。
岩崎は、今日は仕事が休み。明日から、教鞭を取らねばならず、時間は、今日しかない。ということで、あれから、芳子に散々怒鳴られ、着替えを済まし、西条家へ見舞いに向かっているのだった。
「無理に来なくてよかったのだよ?」
岩崎は、隣に座る月子を見た。
火事の後、華美な格好では、佐紀子の気分を逆撫でるだろうと、月子は、芳子が用意した着物に着替える事もなく、粗末な木綿の着物のままだった。
「……ですが、やはり……」
自分も行った方が良いだろうと、月子は譲らない。
佐紀子の存在、というよりも、おそらく、西条家と岩崎家との兼ね合いを考え、共に赴くと言っているのだろうと岩崎は思い、月子の考えを尊重した。
「とにかく、見舞金を渡すだけだから、月子、何も心配はいらない。いいね?」
岩崎は、月子の緊張を解こうとしているようで、心配するなと繰り返し言った。