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その日の業務を終え、20時を少し回ったところで麻耶は会社を出た。
職場である式場を一歩出ると、一気に都会の喧騒が聞こえた。
楽しそうに行き来する人たちの中を、少し早足で抜けて駅へと急いだ。
最近は帰宅時間が23時や日をまたぐことが常だったため、足取りも自然と軽くなる。
麻耶の家は職場から電車で30分ほどのところにある、築12年の2DKのマンションだ。
大学卒業と同時に上京し、当時から付き合っている鈴木基樹と一緒に暮らしている。
同棲のつもりだったが、最近はお互いの休みがまったく合わず、もう1年前からはルームシェアのような状態になっていた。
(寝室を別にしたのはいつだっけ?)
電車に揺られながら、窓の外の景色をぼんやりと見つめ、麻耶はそんなことを考えていた。
学生時代は、優しくていつもニコニコしている基樹といると安心でき、穏やかな時間だった。
しかし、お互い働き始めてからは、ケンカすらできないほどすれ違っていた。
基樹からは「仕事を少しセーブして、一緒の時間を」と何度か言われたが、どうしても仕事がおもしろく、のめり込んでしまった。
(私が悪いのかな……でも今日はいつもより早いから、夕食でも一緒に食べようかな……)
そんなことを思いながら、麻耶は家のドアに手を掛けた。
(あれ? 鍵かかってる。珍しいな。まだ帰ってない?)
麻耶は特に疑問に思うことなく、カバンから鍵を取り出してドアを開けた。
そして、一瞬にして背筋が冷たくなり、しばらく玄関に立ちすくみ、並べられた黒のパンプスを見つめた。
くるっと踵を返し、外に出ようと思ったが、このままの状況はきっとお互いのためではないだろうと思い直し、大きく息を吐くと、家の中へと足を踏み入れた。
リビングの机の上には、食べ終わったのだろうテイクアウトの料理と赤ワインが並んでいた。
しかし人影はなく、麻耶は基樹の部屋の前に立ち止まった。
(いや……さすがに彼氏と浮気相手?の真っ最中を見るのはな……)
変に冷静な自分に驚いたが、こうなることは自分でもわかっていたような気がして、ゆっくりと中の人たちに声を掛けた。
「基樹、さすがにふたりの家に女を連れ込むのはルール違反だと思う。荷物はまた取りに来るけど、今までありがとう」
それだけ声を掛けると、中からバタバタと物が落ちるような音がして、「麻耶!」という声が聞こえた。
麻耶は自分の部屋で、当面必要になりそうな物をスーツケースに放り込み、天井を見上げてため息をついた。
(あっけないな……。4年が終わる瞬間って)
「麻耶……」
後ろから声が聞こえ、振り返ると、慌てたように下にズボンだけを履いた基樹が立っていた。
特に掛ける言葉も浮かばず、麻耶はその横を通り過ぎて玄関に向かった。
「麻耶……どこに行くんだ?」
その言葉に、麻耶は基樹を睨んだ。
罪悪感からか、目の前にいる基樹は今まで知っている人とは別人に見えた。
「どこ? そんなのわかんないわよ。私の居場所はここにあるの?
基樹たちの行為が終わるのを待っていればいいの?
そして私が基樹たちのいる部屋を片付けるの?
それはあまりにもひどくない?」
静かに靴に目線を落としながら麻耶は言うと、扉に手を掛けた。
「麻耶……ごめん! ごめん! でも……」
何か言い訳のような言葉を後ろで聞きながら、麻耶は玄関の扉を閉めた。
麻耶はあてもなく、また電車に乗ると、無意識に表参道にいた。
(習慣って恐ろしい……)
毎日見慣れた駅で電車を降りると、コロコロとスーツケースを引きながら、賑わう街を眺めつつ歩く。
(何してるんだろ……)
今さらながら現実を噛みしめて、涙が落ちそうになった。
(いつからなんだろ? 家にいきなり連れてくることはないだろうから、もう随分長いのかもしれない。
そんなことすら気づきもしなかったし、こんなことが自分に起こるなんて、全く思っていなかったな……)
目についたカフェに入り、店の隅の席に座ると、ゆっくりと息を吐いた。
(これからどうしよう……とりあえず食べて、ホテルでも今日は探そうかな。ネットカフェとかはちょっと怖いしな……)
そんなことを思いながら、普段は舐める程度しか飲まないビールと、「オススメ」と書かれたパスタを注文し、一気に胃に流し込んだ。
空っぽの胃に流し込まれたビールとパスタは、麻耶の体温を一気に上げ、バクバクと心臓の音が耳に響いた。
涙が落ちそうになるのをなんとか耐え、少しふらつく足取りでホテルでも探そうと店の外に出た。
(やばいかも……)
ふらふらと歩きながら、携帯で周辺のホテルを検索していたところで、意識が薄れた。
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