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「館長、このイベントのモデル、どう思う?」
「ああ、あの……早坂アイリですね……」
意味深に言った始を、芳也はジロリと睨んでから手元の資料に目を戻した。
「いいと思いますよ。人気もあるし、ウェディングドレス、よく似合いそうじゃないですか」
そう言葉を続けた始に、芳也はため息をついた。
22時を過ぎ、館内に残っているのは、今日視察に訪れていた社長の芳也と、館長の始だけになっていた。
「なあ、始。確かに俺の勝手な言い分でモデルを変えるのはいけないとは思うけど、アイツと関わると面倒なんだよ」
「幼馴染だっけ?」
始も、芳也が言葉を崩したことで、友人としての口調に変わった。
ふたりは中学からの友人だ。芳也の誘いで、始はこの会社に入社し、芳也を支えてきた。
今回もこの大きな事業の中心人物として、現場での指揮を取る責任者に芳也は始を任命した。
「ああ、2つ年下だ。昔は常に付きまとってきて……ここ数年は全く会ってなかったのに」
本当に嫌そうな表情をした芳也に、表情を変えることなく始は言葉を発した。
「お前のことが好きなだけだろ?」
「それが迷惑なんだよ」
「冷たいな。お前の素を一般社員が見たら、驚いて腰抜かすぞ」
その言葉に芳也は小さくため息をつき、「仕事は円滑に回したほうがいいに決まってるだろ?」と呟いた。
そして、言葉を続ける。
「誰も幸せにできない人間を、いつまでも好きでいさせるほうがかわいそうだ」
呟くように言った芳也の言葉に、始はため息をついた。
「もう帰るか?」
芳也の言葉に、始も頷くとチラリと芳也を見た。
「俺は最終的な全館の施錠を確認するから、先に帰ってくれ。モデルは誰でもいいよ。女に興味ないし」
「お前って……せっかくのその顔が台無しだな。サンキュ。じゃあ先に行くぞ。お疲れ」
芳也は「やれやれ」といった感じで軽く手を振ると、事務所を後にした。
広い敷地内をゆっくりと歩きながら、芳也は駐車場に向かっていた。
緑の木々、花をこれでもかと多く配置し、非日常を演出することに力を注いだこの会場は敷地も広く、東京の街の喧騒が嘘のように静かだった。
(ようやくここまで来たな。あと少しだ……)
芳也は空を見上げ、明るく輝く月を仰いだ。
オープンをあと3か月後に控え、準備も大詰めだ。
本社スタッフも式場スタッフも、連日準備に追われていた。
ただ、オープン前にはマスコミ向けに大きなイベントも予定されており、そのキャスティングの調整が難航していた。
「アイリか……」
芳也は呟くように言うと、ため息をついて歩く速度を少し速めた。
早坂アイリは、主要銀行の頭取の娘であり、芳也の幼馴染でもある。
小さい頃からずっと芳也に好意を持っていることは知っていたが、芳也にとっては妹のような存在で、それ以上の感情を抱くことはどうしてもできなかった。
さらに、アイリはお嬢様気質で、自分の思ったことはどんな手段を使っても実行する、少し強引な面もあった。
仕事で関わることは芳也にとって面倒で、本意ではなかった。
そのため、芳也は絶対に起用する気はなかったが、上がってきた企画書を見ると、堂々とアイリの名前があり、「やっぱりか」とため息をついた。
もちろん、人気も実力も申し分ないため、企画したスタッフにどうこう言えるものではないことは分かっていたが、これからまた関わると思うと、憂鬱だった。
個人的な理由で肩書きを使うことも、芳也は嫌っていた。
(この数年は実家も幼馴染も、なるべく避けてきたのに……面倒なことになりそうだな……ん? なんだ??)
芳也は駐車場に向かう途中、正門の前に黒い影を見つけ、そっと近づいた。
(酔っ払いか? こんなところに……こんな寒い中じゃ、死ぬぞ……警察……)
そこまで考えてチラッとその黒い影を見ると、芳也は唖然とした。
(水崎?!)
慌てて外側にまわり、倒れている人物の顔を確認すると、やはり今日挨拶を交わした麻耶だった。
頬が赤く染まり、目を閉じて正門にもたれかかっている麻耶を見て、芳也は言葉を失った。
(女がこんなところで何してるんだよ……)
少しの苛立ちとともに、麻耶の頬を軽く叩くと、「うーん」と鬱陶しそうに手を払われ、芳也は呆然と麻耶を見下ろした。
始に電話をしようと携帯を手にするが、麻耶の荷物に目がいった。
(大きなスーツケース……こんな場所で酔っぱらって寝ている女……)
携帯をポケットにしまい、コートを脱いで麻耶に掛けると、そっと抱き上げて車に乗せた。
(協力してもらうよ。家出娘さん)
ニヤリと笑った芳也は、麻耶のトランクケースを車に積み込み、黒のドイツ車をゆっくりと発進させた。