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フェキタスシティの教会には孤児院があり、マテュー達はそこへ預けられることになった。
空きがたくさんあるというわけではなかったものの、マテュー達三人くらいは受け入れられる状態で、連れてきたミラル達はお礼を言われる程だった。
スラム地区に住んでいる子供達については教会側も把握出来ていない部分が多く、今後の課題であるようだ。
そんな孤児院の中庭で、チリーは木の上に寝そべって下にいるマテュー達と話していた。
「お前暇そーにしてるけどいいのか?」
「うっせーな、今はやることがねえンだよ」
王宮に関する調査は、現在ミラルとラズリルが行っている。特に今回の作戦はチリーには不向きで、やることがなくなったチリーはラズリルの家で寝泊まりしながら適当に待機している状態だ。
孤児院に顔を出すのもただの暇つぶしである。
「ま、お前強いだけで調べ物とか向いてなさそうだもんな。掃除や皿洗いも出来なさそーだし」
「うるせーほっとけ」
「チリー兄ちゃん遊ぼう!」
そんな会話をしていると、中庭で遊んでいた子供達がチリーのいる木の下に集まってくる。
「遊ばねえよ散れ散れ」
「じゃあチリー兄ちゃんが鬼ね!」
チリーのぶっきらぼうな態度など、子供達は毛ほども気に留めていない。勝手に遊びを始めると、それぞれ勝手気ままに走り出していく。
「日暮れまでに全員捕まえられなかったらチリー兄ちゃんの負けね!」
「あ?」
負け、という言葉に、チリーはピクリと反応を示す。
そう、子供達は知っているのだ。
勝ち負けを引き合いに出せばチリーがわりと簡単に乗せられることを。
「上等だガキ共……この俺に勝てると思うなよ!」
勢い良く飛び降りるチリーを見て、子供達ははしゃぎながら逃げていく。
そんな様子を遠巻きに眺めながら、シスター達が微笑ましそうに目を細める。
「あの人、いつも子供達と遊んでくれて助かるわぁ」
「……でも、結局誰なのかしら?」
なんだかよくわからないが定期的に現れて遊んでくれる謎の男である。
***
ミラル・ペリドットは本気で頭を抱えていた。
まさかこれ程までに自分に方向感覚が備わっていないとは思っても見なかったからである。
場所はアギエナ国王都にあるアギエナ城。ミラルは着慣れないメイド服に身を包み、どうしてこうなったのかと深く溜息を吐いた。
ラズリルが立てた作戦は簡単なもので、王宮へ使用人として雇ってもらい、潜入調査を行うというものだった。
いくら使用人とは言え、王宮の使用人だ。そう簡単には採用してもらえまいとミラルは思っていたのだが、あれよあれよという間にラズリルが話を進めていつの間にか二人共採用されるに至っている。丁度使用人が数人やめて人手不足だったのもあるらしいが、それにしても話が早い。ラズリルは詳しく話してくれなかったが、王宮内にコネでもあるのだろうか。
ミラルとラズリルが王宮に行く前、チリーは一度だけミラルに「ラズリルに気をつけろ」と注意している。どうもチリーはラズリルを信頼していないようで、ミラルも半信半疑と言ったところだ。
持ち場が違うため、ミラルとラズリルは行動を共にしていない。宿舎も部屋が違うので、情報共有はまだほとんど出来ていない状態だ。
使用人の間でも、ランドルフとクリフのどちらが王位を継ぐかは話題になっており、ほとんどが口をそろえてクリフ殿下が継ぐべきだと言っている。ランドルフの思想に好感を持つのは、一部の貴族くらいのものだろう。使用人や平民のような下の階級からすれば、ゲルビア相手に戦争なんぞされればたまったものではない。負け戦を応援する気など誰にもないのだ。
クリフはアギエナ国最北で国境を守っている公爵家との外交で留守にしたまましばらく戻ってきていない。
ある程度調査は進んでいるが、結局のところ決定的な情報はほとんど出て来ない。おまけに王宮内で道に迷って途方に暮れる有様である。
「……私ほんっとに方向ダメなのかも知れない……」
ミラルは元々、家の周辺より外に出ることはほとんどなかったのだ。道に迷うも何も知らない場所をうろつくことがなかったのである。
ペルディーンタウンまでは無我夢中で走ってきただけで辿り着いたのは偶然だ。その後のフェキタスシティまでの道はほとんどチリーがナビゲートしてくれていた。情けないことに、今この状況に至るまでミラルは自身の方向音痴を全く自覚していなかったのだ。
そうして城内を彷徨う中、不意にミラルは心臓が僅かに脈打つのを感じた。
(えっ……?)
この感覚は初めてではない。
異様にハッキリとしたこの鼓動は紛れもなく、あの日チリーに出会った時に感じた時と同じものだ。
チリーが近くにいるのかとも思ったが、あの日以降ほとんどいつもチリーと一緒にいたがこの感覚になったことは一度もなかった。
あの日と同じように、ミラルの足を急かすように鼓動が高鳴る。
不可解な感覚に導かれるままにミラルが歩いていると、反対側から男が歩いてくるのが見えてきた。
あまり見慣れない風貌の男だった。少なくともこの王宮内では初めて見る。
やや黄色に近い肌色で、黒い短髪のその男はミラルを見た途端ピタリと足を止めた。
生気の感じられない、冷めた黒い瞳だ。
男が近づくと、ミラルの鼓動は止まっていた。
(この人は……?)
つい、まじまじと見つめかけたが、ミラルは慌てて頭を下げる。今のミラルはこの王宮の使用人だ。王族や貴族、その関係者を前にして突っ立っていたのでは首が飛びかねない。王族にしては地味だが、使用人の服装でもない。町を歩いている少し身なりの良い市民と言ったところだろうか。王宮という場所とズレたその姿は、景色の中で浮いているように見える。
男は、ミラルが頭を下げた後早足で近づくと、その顔を右手で強引に上げさせた。
「ティアナ……?」
そう呟くと同時に、男の瞳が憂いを帯びた。
だが呟くその名には、全く聞き覚えがない。
困惑するミラルをしばらく見つめて、男は落胆したように目を伏せる。
「誰だ、お前は」
その言葉には、微かに威圧感があった。
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やや気圧されかけるミラルだったが、この男にはどうしても聞かなければならないことがある。
もしさっきまでこの男に感じていた鼓動が、チリーに感じていたものと同じなのだとしたら。
チリーとこの男が、二人共ミラルを誰かと誤解したことには何か関係があるのかも知れない。
「……私は、ミラルです。ティアナって、誰なんですか?」
過去に関して、チリーはほとんど口を閉ざしている。
踏み入られたくないのは見ればわかったため、ミラルはなるべく過去については詮索しないようにしていた。
だが気にならないと言えば嘘になる。
あの日チリーがミラルに向けた目が。
この男がミラルに向けていた目が。
どうしようもないくらいに悲しそうだったから。
「君には関係ない」
しかし案の定、この男もチリーと同じだった。閉ざすだけのチリーと、突き放すこの男。
(……段々ムカついてきたわ……)
そもそもチリーもこの男も失礼なのだ。
勝手に誰かと間違えて、勝手に落胆してこの態度である。
ティアナが彼らにとって何なのかは知らないが、初対面でこのような態度を取られる筋合いはミラルにはない。
「この人もチリーも、何なのよ……」
思わず、苛立ちが呟きとして漏れてしまう。
「……ッ!」
しかしそれを、青年は聞き逃さなかった。
「今チリーと言ったか?」
突如、男の目つきが変わる。
「奴は生きているのか?」
ミラルの肩を掴み、グイと引き寄せて男はそう問いかけた。
その問いに答えるべきなのか、ミラルには判断が出来ない。しかし沈黙は男にとって肯定と変わらなかった。
「生きているんだな?」
瞬間、ミラルは抱きかかえられる。
当然抜け出そうともがくミラルだったが、抵抗は一切意味をなさなかった。
「放して! 放してください!」
ミラルの言葉には応じず、男はミラルを抱えたままどこかへ歩いて行く。
その様子を、物陰から見つめる女がいた。
「……これはまずいね」
女――ラズリルはそう呟きつつ、男の後を追いかけた。
***
男に抱えられ、ミラルが連れ込まれたのは地下牢だった。
薄暗い地下牢に半ば乱暴に放り込まれ、そのまま鍵をかけられる。扉に飛びついて男に抗議の目を向けるミラルだったが、男の方は冷えた目で見つけるだけだった。
この男が王族、或いはその親族やそれに準ずる立場の人間であると仮定すれば、使用人の態度としてミラルの態度はまずかっただろう。それに対する罰だとすれば、納得はいかないがあり得る話だ。
しかしミラルには、どうもこの男がそういうタイプの貴族であるようには見えなかった。彼が反応したのはミラルの態度ではなく、チリーという名前に対してだ。
そのことについて問いかけようとするミラルだったが、男はミラルへ背を向けると地下牢を出ていく。
「待ってください! せめて理由を教えてください!」
「……奴をおびき寄せる」
追いすがるように背中へ叫んだミラルに、男は振り返りもせずにそう答えて去って行く。
やがて扉の閉まる音がして、薄暗闇の中に厭な沈黙が訪れた。
地下牢の中は、入り口の燭台にロウソクが二本立てられている以外に明かりはない。
重苦しい岩壁と錆びた鉄の牢は、早くもミラルの精神を蝕みかけていた。
その上牢の中には血痕が残っている。一体この地下牢で以前何が行われていたのか、想像するだけでも恐ろしい。
ミラルが恐怖を堪えて唇を噛み締めていると、正面の牢から声が聞こえてきた。
「……大丈夫? 一体何をしたの?」
女性の声だ。
驚きながらも誰かがいることに喜びを隠せず、ミラルは牢に飛びつく。
そこでハッとなる。今この王宮に囚われている女性を、ミラルは一人だけ知っているからだ。
そしてミラルは恐る恐る問いかける。
「もしかして……ラウラ・クレインさん……ですか?」
女性は、ミラルの問いには答えなかった。
警戒されている。そう感じたミラルは、すぐに自分の名を伝えた。
「私、ミラル・ペリドットです。アルド・ペリドットの娘です」
「あなたが……?」
薄暗くて顔ははっきりと見えなかったが、女性が反対側の牢からこちらへ視線を向けているのがわかる。
「……ええ、私はラウラ・クレインよ」
そして静かに、そう名乗った。
***
ティアナ・カロルは太陽のような女だった。
賢者の石というあるかどうかもわからない伝説を追いかける旅路の中、面白半分でついてくるようになって、いつの間にかそばでずっと照らし続けていた。
黒く艷やかなロングヘアで、少しだけ上背がある。長い前髪で片目が隠れた彼女は、そのミステリアスな風貌とは対象的によく笑顔を見せる女だった。
「ずっとこの旅が続けばいいね」
ああ、そうだ。ずっとこの旅が続けばいい。終わりなんて来なければ良かった。
「……この旅が続く限り、俺はお前を守り続ける」
そう誓ったあの日、いつもは淀みなく話し続ける彼女が一度だけ口ごもった。
照れくさそうに笑って、長い髪を忙しなくなでて、ただ一言。
「ありがとう」
その時の笑顔に、今でも苛まれ続けている。
いつだってこの記憶は、最後は赤く染まる。
血に塗れた彼女を救いたくて、あの日願ってしまった。あの力に縋ってしまった。
何も叶わず、太陽は堕ちたまま、|赤き崩壊《レッドブレイクダウン》は全てを奪い去った。
***
見慣れた悪夢から目を覚まして、チリーは微かに息を荒らげながら額の汗を拭った。
こんなことなら眠らなければ良かった。眠らずにいられた、フェキタスシティまでの数日間が少しだけ恋しくなる。
「……クソ」
一人悪態をついて、チリーはベッドから身体を起こす。
ミラルとラズリルが王宮で潜入調査をしている間、待機中のチリーはラズリルの家で寝泊まりしている。
スラム地区の中にあるとは思えない程備蓄があり、この二日間チリーは何十年ぶりともわからない普通の食事と睡眠を取っていた。
それがいけなかったのだろうか。
忘れるなと言わんばかりに記憶が夢でチリーを苛み始めた。
胸糞の悪さを吐き出すように深呼吸をして、チリーはベッドを出て立ち上がる。
安息を求めてはいけないのかも知れない。あの日の元凶を破壊するまでは。
当て所なく彷徨い歩き、ペルディーンタウンの森で三十年も過去から逃げ続けた。
エリクシアンであるチリーを排斥しようとする町の人達へ一切の抵抗もせず、チリーは森の片隅の洞窟で鎖に繋がれたまま眠りについた。
「……あいつらは何も変わっちゃいなかったな」
ペルディーンタウンは貧しい田舎町だった。余所者を嫌い、半ば閉鎖的に暮らす小さな町だ。それ故に、ゲルビア帝国の軍服を着た人間に逆らえないのも、三十年前は人相書きが出回っていたチリーを恐れて排斥するのもある意味自然な話だった。
そこまで考えて、チリーはかぶりを振る。今更ペルディーンタウンや三十年前のことを考えても大した意味はない。
一人で大人しくしていると、考えなくて良いことばかり考えそうになる。出来ればチリーも情報を集めたいのだが、下手に動いてランドルフに勘付かれればラズリル達が動きにくくなる。待機しておけとうんざりする程言いつけられたチリーは、不服ながらも納得して待機に甘んじていた。
こうしてジッとしていると、さっきの悪夢のように三十年前の惨劇が脳裏に焼き付いて離れない。
あの日失った何もかもがよぎれば、胸に空いた空白に目を向けなくてはならなくなってしまう。そこに吹く隙間風が嫌いだった。埋める術がないまま、凍えてしまいそうで。
思考に埋没しかけていると、不意に玄関で音がする。
ミラル達が戻ったのだと思ったが、足音は一人分しか聞こえなかった。訝しみながらそのまま待っていると、程なくして部屋に入ってきたのはラズリルだった。
「ただいまチリーくん」
「ミラルはどうした?」
すぐさま問うと、ラズリルは小さくため息をついて見せた。
「それがラズにもよくわからないんだ。謎の男に捕まった」
「はぁ?」
肩をすくめ、あっけらかんとした様子で答えるラズリルに、チリーは眉をひそめる。
「囚われている場所は恐らくラウラくんと同じだろう。流石に中までは見れなかったけど、地下牢があるのは間違いない。ミラルくんのおかげで場所も確認出来た」
王宮には、現在使われていない地下牢がある、というのはラズリルが他の使用人から聞き出した情報だ。
ランドルフとクリフの関係はラズリルの予想通りで、王宮内での評価も概ね予想通りだったと言える。
それらの情報をチリーと共有し、ラズリルは一息つく。
「王宮内の間取りはある程度把握したよ。簡単な地図も書ける。流石に警備の状態までは調べられなかったが……まあ、君なら問題ないだろ?」
エリクシアンの身体能力と戦闘力があれば、多少の警備は強引に突破出来る。元々これを前提とした救出作戦だ。
「ただ、ランドルフが新しく護衛を雇ったという話もあった。何者かはわからないが、エリクシアンだという噂もある。一応用心してくれたまえ」
ラズリルの話を、チリーは腕を組んだまま黙って聞いていた。
そしてラズリルへ、半ば睨むような視線を向ける。
「……随分と手慣れてやがるじゃねえか。この二日間でよ」
「褒められると照れちゃうね」
「茶化すな。テメエ、ミラルを囮に使っただろ?」
ラズリルがこれだけ調べられるなら、わざわざミラルまで潜入させる必要はないハズだ。調査だけなら、ラズリルだけでも十分に行える。
それでもミラルを潜入させたのは、撹乱のためだろう。
ラズリル一人で潜入すればマークされる可能性が高い。それを少しでも分散させれば、ラズリルが動きやすくなる。
「悪いね。その方が都合が良かったんで……」
ラズリルがそう言った瞬間、チリーの右手がラズリルの胸ぐらを掴んだ。
「テメエは最初《ハナ》っから気に入らなかったンだ。毎度毎度|飄々《ひょうひょう》と茶化しやがって」
怒気の込められたチリーの言葉に、ラズリルは動じない。二色の眼で、静かにチリーを見つめていた。
「いいか? トンズラこくなよ。ミラルとラウラの救出にはテメエも来い。次妙な真似しやがったらぶちのめす」
吐き捨てるようにそう言って、チリーはラズリルから手を放す。
「……すまない」
チリーの予想に反して、ラズリルはすぐに謝罪の言葉を述べる。
いつもの底の見えないおちゃらけた言い方とは違う。それに気づいて、チリーはわずかに目を見開く。
「ラズは今必死なんだ。ラウラくんを助けるためなら何だってやる。そのためなら罵られたって構わない」
静かに、ラズリルはチリーの前で膝をつく。
「ミラルくんが囚われたのは計算外だ。本当にすまなかった」
そのまま頭を垂れ、ラズリルは言葉を続ける。
「君の力はどうしても必要なんだ。ミラルくんの救出にも最大限協力する。だから力を貸してくれ」
それはまるで祈りのようだった。
居心地が悪くなって、チリーはラズリルから目をそらす。
「けっ、言われなくてもそのつもりだ」
元より、チリーにはラウラを助けないという選択肢は持っていない。
ミラルもラウラも、まとめて助け出す。それだけだ。
「さっさと行くぜ。ガキの相手ばっかで退屈してたところだからな」
ラズリルに背を向けたチリーに、ラズリルはもう一度改めて頭を下げる。
「……ありがとう」
小さくそう告げて、ラズリルは立ち上がった。
***
時は、ミラルが捕らえられた直後まで遡る。
「どうしてあなたがここに……?」
アギエナ城の地下牢で、反対側の牢からラウラ・クレインがミラルに問う。
「それは……色々と事情があって……」
ひとまずミラルは、ペリドット家に起きた事件とここに至るまでの経緯をかいつまんで話した。
薄暗くて表情までは見えなかったが、ラウラはすぐに申し訳なさそうな声音で謝罪の言葉を告げる。
「……ごめんなさい。私を捜してこんなことに……」
「それはラウラさんのせいじゃないです……。それより、お父様は何故あなたに会えと……?」
「……ここでは誰が聞いているかわからない。申し訳ないけど、今話すことは出来ないわ」
すぐに一つの仮説を立てて、ミラルは生唾を飲み込んだ。
「それは賢者の石や……エリクサーに関わる話なんですか……?」
「……ええ」
これはつまり、ミラルとそれらが関係あるということに他ならない。
アルドがミラルを逃したのは、やはり賢者の石と関係があったのだ。今こうして捕まっている自分の迂闊さに歯噛みするミラルだったが、現状を打開する術は思いつかない。
どんな秘密があるのかはわからないが、何としてでもラウラと共にここを脱出する必要がある。
ラズリルがこのことに気づいてくれていれば、恐らくチリーに知らせてくれるだろう。今ミラルが出来ることは、二人を信じて待つことだけだった。
「あなたの父、アルドは元々ゲルビア帝国に所属する軍人だったことは知ってる?」
「えっ……?」
思いもよらない言葉に、ミラルは息を呑む。
「私がゲルビア帝国から逃げる手助けをしてくれたのは……アルドなのよ」
語られ始めた父の過去に、ミラルは動揺を隠せなかった。
***
ラズリルが城から帰還した日の夜、チリーとラズリルはすぐにアギエナ城へ向かった。
フェキタスシティから王都までは距離も短く、夜が更ける頃には丁度城門付近へ辿り着くことが出来た。
当然見張りがおり、城壁は非常に高い。だがエリクシアンとしての身体能力を持つチリーにとって、通常の城門は障壁足り得ない。
チリーはラズリルを背負うと、軽々と城壁の上へと飛び上がる。
「お前意外と重いな」
「む、レディに対して失礼だね君は」
「バーカ、体重だとは思ってねえよ。……何隠し持ってンだ?」
「手品師ってのは種を明かさないものさ」
「道理でいつも胡散臭えと思ったぜ」
「ふふ、みんなには内緒だよ」
そんな軽口を叩いた後、二人は城内へと忍び込んでいく。
衛兵達に全く見つからずに進むことは困難だったが、その肝心の衛兵が相手にならない。エリクシアンであるチリーは勿論だが、普通の人間であるラズリルも慣れた手付きで衛兵達を始末し、次々に気を失わせていく。
乱暴に正面から殴り倒すチリーに対して、ラズリルの手際は鮮やかだった。
音もなく近づいたかと思えば、次の瞬間には衛兵が気を失っている。チリーでさえ、少しでも気を抜けば見逃してしまいそうな速さだ。
なるべく気配を消し、見つかり次第見張りや見回りの衛兵を気絶させ、チリーとラズリルは暗い城内を進んでいく。
エリクシアンであるチリーは暗闇でもある程度目が見える。ラズリルの方もマジックフレームの効果があるのか、暗闇をほとんど気に留めていない様子だった。
「……お前一人でも出来たんじゃねえのか?」
小声で問うチリーに、ラズリルはとんでもないとかぶりを振る。
「ラズ一人じゃ、まず城壁を越えられないよ」
「はしご扱いか?」
「強くておしゃべりも出来る、最高のはしごさ」
すっかりいつもの調子を取り戻しているラズリルに、チリーはもう悪態をつく気も起きない。
「地下牢はこの先だ。急ごうじゃないか」
先導するラズリルに、チリーは黙ってついていく。
しばらくすると、チリーもラズリルも同時にピタリと足を止める。行き止まりの通路だが、古びた扉が左側に一つある。
「スムーズにここまで来たつもりだったけど……」
後方から複数の足音が聞こえてくる。チリーとラズリルは振り返って身構えた。
「どちらかというと踊らされてたっぽいね」
「……らしーな」
舌打ちするチリーと肩をすくめるラズリルの前に、六人の武装した男達が姿を現す。男達の内一人が持つトーチの明かりが二人を照らした。
「そういうことだ」
そしてその内の一人が、えらく尊大な態度でそう言う。
その男だけは軽装で、ブロンドの短髪の端正な顔立ちの男だ。
体格の良いその男は、白を基調とした軍服のような衣服を身に纏っており、二人を見てニヤリと笑って見せる。
この男こそが、ランドルフ・レヴィンである。ラズリルはすぐにそのことに気づき、小さく嘆息した。
「コソコソと嗅ぎ回るネズミがいることくらい、この俺が気づかないとでも思ったのか?」
「思ってたよ」
「王族に対してその言葉……忘れるなよ」
「善処しまーす」
小馬鹿にしたような態度を見せるラズリルだったが、ランドルフは平静を保ったままだ。
「……チリーくん、地下室へは君が行きたまえ」
「あ? 普通逆だろ。数なら俺が引き受けるぜ」
隠密行動の得意なラズリルの方が、混乱に乗じて脱出しやすい。チリーは並の人間が相手なら、余程囲まれでもしない限りは負ける理由がない。
しかしラズリルは首を左右に振る。
「この中にエリクシアンはいるかい?」
「……この中にはいねえな」
「もし噂通りエリクシアンの護衛がいるとしたら、地下牢を張っている可能性がある。そっちは君じゃなきゃ倒せない」
「はっ、まるでこっちはお前でも倒せるみてェな言い方だな」
チリーがそう言うと、ラズリルは不敵に口角を吊り上げて見せる。
「倒せるとも。手品でね」
ラズリルがチリーに向かってウインクする。それを合図と受け取ったチリーは、すぐさま地下牢へ向かって走り出す。
ラズリルはチリーへ背を向けたまま、迫り来る衛兵達に対して身構え――――すぐにその場からかき消えた。
突然のことに、衛兵達が困惑して辺りを見回す。そうしている内に、衛兵の内一人が音を立ててその場に崩れ落ちた。
すぐに、トーチの明かりがその衛兵の方へ向けられる。
煌々と燃えるトーチの明かりをその身に受けながら、ラズリルは芝居がかった動作で両手を広げた。
「これよりラズリル・ラズライトの、一世一代の高速マジックショーをお見せしちゃうぜ~」
おどけるラズリルに、再び衛兵達が迫りくる。それをラズリルは一瞥し、今度は衛兵達に対してわざとらしくウインクして見せた。
「見逃すなよ?」
***
ラズリルに衛兵達を任せ、チリーは地下牢の入り口へと向かう。
当然扉は施錠されていたが、チリーは強引に腕力で鍵を破壊し、力づくで扉を開ける。
階段を駆け下りると、剥き出しの岩壁が目立つ薄暗い空間が広がっていた。
「おい! ミラル! あとラウラ! いるか!?」
すぐさま声を荒らげてミラルを捜したが、チリーは暗闇の中で一つの気配を感じ取って表情を変える。
「…………ッ!」
「チリー!」
すぐにミラルの叫び声が聞こえたが、もうほとんどチリーの耳には入っていない。
地下牢の奥から歩み寄ってくる足音と気配に、チリーは自然と全神経を集中させていた。
ろうそくの火で薄っすらと照らされたチリーの顔が、驚愕に歪む。ここまであからさまに動揺したチリーをミラルが見るのは、初めて会った時以来だろうか。
暗がりに浮かび上がるようにして現れたその男を、チリーは凝視する。
「……久しぶりだな。ルベル」
言葉に反して、その声音から再会を懐かしむような感情は汲み取れない。錆びついた怒りのように感じられる。
それをあえてそのまま飲み下し、チリーはまっすぐに男を見据える。
「その名前で呼ぶんじゃねえよ……青蘭(せいらん)」
男――――青蘭の冷えた瞳に、わずかに火が灯ったように見えた。