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「こんな素敵なところがあるんですね」
私は窓から見える美しい夜景に感嘆の溜息を漏らした。
今日はボルダリングをした後、社長と一緒にホテルの最上階のレストランで夕食を取ることにした。ここは美味しいパエリアで有名なスペイン料理店で私の為に彼がわざわざ予約をとってくれた。
「どうだった?ボルダリングを初めてやってみて」
「思ったよりも集中力と頭を使うんだという事がよくわかりました」
私は笑いながら社長に答えた。
「そうだな。考え過ぎで壁に張り付いたまましばらく動けなかったもんな」
社長も笑いながらワインを一口飲んだ。
「考え過ぎじゃなくてただ初心者だからコツが掴めなかっただけです!」
私は顔を赤くすると社長を軽く睨んだ。
「七瀬さんはすごい慎重だな。何ていうか石橋を叩いて渡るタイプだな」
「社長は迷わずどんどん上に登っていきますよね。下から見ててハラハラしました。」
パエリアを食べながら、社長の登っていく姿を思い出した。
彼はかなりの上級者で、どんな壁も難なく登っていく。果敢に挑戦して登っていくその姿は彼の性格を良く表していてとてもかっこいい。
「登る前にまずホールドの位置などを確認してルートのシミュレーションを頭で思い描くんだ。そうして登ると途中で迷う事が少なくなる」
「そうなんですね。もう一度やってみようかな」
登りきった時の達成感を思い出す。
一つ一つ挑戦してそれを全て成し遂げた時の清々しさと、頂上まで登りつめて下を見た時に、社長やインストラクターが私に拍手を送ってくれた時の嬉しさが忘れられない。
「きっと七瀬さんならできる。そうやって一つ一つ色々な事に挑戦して苦手な事を克服するともっと視野が広がる。次はどんな事にチャレンジしたい?」
── どんな事かぁ。なんだろう?
うーんとしばし考える。自分の苦手な事……。何か自分の殻を突き破るもの……。それはおそらくこの内向的な性格かもしれない。
私はいわゆる英語で言うところの『Introvert』だ。人見知りと言うわけではないが、人に気を使いすぎて疲れてしまうので1人でいる方が気が楽なのだ。
誘われればパーティーでも飲み会でも行くのだが、周りの人間に自分のエネルギーを使い果たしとにかく疲れてしまう。
私には年の離れた兄がいるが、彼は私と反対の『extrovert』だ。彼の場合外で人と会って遊んだり話したりすることで、逆にエネルギーをもらう。多分社長も兄と同じタイプで外で遊ぶことでエネルギーを補っているに違いない。
今まではこの人を寄せ付けない性格を何とも思わなかったが、最近社長の秘書をやっていてこれではいけないと感じる時がある。
それに週末社長と遊び歩いてみて、こうして人と過ごすことも悪くないと思い始めた。
「そうですね……。もっと勇気を出して人と接してみたい…です」
「例えば…?」
社長は注意深く私を見つめている。私はしばらく考えた後口を開いた。
「もっと友達を増やしたり、誰かと付き合ってみたり……」
「誰かと付き合ってみたい?」
社長は以前一緒にメキシコ料理を食べに行った時と似たような質問をした。
あの時は誰か男の人と付き合ってみようかなんて考えもしなかった。とにかく男性絡みのありとあらゆる問題から遠ざかり静かに平和に暮らしたかった。
しかしあれから社長と一緒にこうして出かけたり、また職場でも五十嵐さんや八神さんのようないい人に囲まれて仕事をしているからか、あれだけ傷付いたのにそれが次第に薄れていく。
「よくわかりません……。でもいつかはしたいなと心の何処かで思っているのかも」
そんな風に思える自分に少し驚く。社長は射抜くような目で私を見つめた。
「七瀬さん、前から言おうと思ってたんだが俺達── 」
「やあ、これは桐生さん!」
私の後方から誰かが社長を呼ぶ声が聞こえ、2人して顔をあげた。
振り返って見るとなんと高嶺コーポレーションで私にセクハラを何度もしてきた黒木部長だった。
「これはこれは、お久しぶりです。会長はお元気でいらっしゃいますか?」
「黒木さん、お久しぶりです。」
社長は立ち上がって黒木部長に挨拶をした。私も社長と一緒に席から立ち上がるが、お辞儀をした後俯いたままで顔を上げることができない。
── どうして黒木部長がこんなところにいるの。しかも社長と知り合いだなんて……。
「いやー、奇遇ですね。こんな所でお会いするなんて。今日はこちらにはお二人でお食事を?」
そう言いながら黒木部長は興味津々で私を覗き込んだ。すると彼もびっくりしたように目を瞬いた。
「……君は七瀬さんじゃないか……!」
「お久しぶりです。黒木部長……」
だんだんと顔が青ざめていくのがわかる。社長はそんな私と黒木部長を交互に見た。
「お二人はお知り合いですか?」
「いやいや、知り合いというか、七瀬さんは昔うちの高嶺コーポレーションで働いてたんですよ。ねぇ」
黒木部長は私の頭の天辺からつま先までにやにやしながら見ていて彼が何を考えているか大体わかる。
「そうですか。彼女は今私の会社で秘書をしてるんです」
「ああ、そうですか。なるほどねぇ。まあ七瀬さんは昔からほら、可愛いからねぇ。最近随分色っぽくなったんじゃないの? んん?」
黒木部長はぽんっと私の肩に手を置いて肩を揉んだ。その手つきがゾッとして思わず硬直する。昔散々セクハラ的な事を言われたり触られた事が次々と蘇ってくる。
「へぇー。そっか。君今は桐生さんの会社にいるのか。まぁよかったじゃないの。いい会社に雇ってもらって。何と言っても桐生グループの御曹司が社長の未来ある会社だ。やっぱり美人だといいねぇ。何というか色々と得するなぁ」
黒木部長はそう言いながらククッと笑った。
「黒木さん、彼女は優秀な秘書です。彼女の容姿とは関係ありません」
社長は静かに黒木部長を見つめている。