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「ああ、そりゃもちろんそうでしょう。彼女が優秀だったのは色々うちでも噂になってたましたからね。ねぇ、七瀬さん」
黒木部長は小馬鹿にした様に言った。私は悔しくてただ俯いて黙って黒木部長の話を聞く。黒木部長が何の噂を意味しているかはっきりわかる。男を誑かして仕事をしているという噂と朝比奈さんの事に違いない。
「桐生さんも隅に置けないなぁ。こんな可愛い秘書を置いちゃって」
冗談のつもりなのか下品に笑いながら私の肩を撫でている。その後、黒木部長は社長の方に近寄ると、小声で囁いた。
「でもね、桐生さん、こういう男を誘惑する様な女には気を付けなきゃなりませんよ。なんと言っても彼女うちの会社でも色んな男を誑かせて、挙句の果てには不倫騒動起こして会社を辞めたんですから」
黒木部長の小声で言った言葉は意図的なのか私にもはっきりと届いている。
「……黒木さん、申し訳ありませんが私と彼女はまだ食事中でして」
社長はじっと私の様子を見ながら、黒木部長にここから去るように促した。
「ああ、これは失礼しました。では会長にもよろしく。……それじゃ七瀬さんも」
そう言って黒木部長は私の肩をもう一度揉むと去って行った。
私は力なく椅子に座り込んだ。社長の視線が突き刺さるがショックで顔を上げることもできない。
「七瀬さん、大丈夫か。さっきのことなら──」
「社長が桐生グループの御曹司だとは知りませんでした」
先ほど黒木部長が言った言葉を思い出す。
なぜ気づかなかったのだろう。桐生なんて珍しい苗字でもないがそんなに一般的な苗字でもない。
どうりで会社の資金繰りがうまくいくはずだ。それに仕事も大手からの依頼が多い。きっと大企業との繋がりがあるのだろう。もしかすると受注のいくつかは桐生グループの子会社からのものもあるのかもしれない。
私はそんな彼の顔に泥を塗ったのだ。私の様な女といる事でこうして不快な思いをさせてしまった。
「七瀬さん、いいか── 」
「……社長、ごめんなさい。私ちょっと気分が悪くて」
息がつまってきて、ガタンと思わず立ち上がった。
「ちょっと待て、今送るから」
社長も慌てて立ち上がる。私は必死に涙をこらえると社長を見た。
「ごめんなさい、社長に迷惑をかけてしまって。私、1人で帰れますから」
そう言い終わるなり、お金をテーブルの上に置くと逃げるようにレストランを出た。急いでエレベーターに乗ると、こらえていた涙が一筋流れて落ちた。
黒木部長が朝比奈さんの事を社長にあんな風に話した事が信じられない。
せっかく忘れられたかと思っていたのに、結局はこの運命から逃れることはできない。どこに行っても悪夢のように後から追ってくる。
── 私、どうしてこんな目立つ容姿で生まれてきたの?どうしてもっと醜く生まれなかったの?
エレベーターを降りると涙を必死に拭きながら最寄りの駅に向かって歩き出した。すると後ろから追いついて来た社長に腕をつかまれた。
「七瀬さん……。蒼、落ち着け。大丈夫だから」
「何が大丈夫なんですか?」
私は涙で霞む目で彼を見た。
「こんな容姿好きで生まれたんじゃない。もっと醜く生まれれば良かった」
社長に触られたくなくて、腕を強く振りほどいた。
「社長は男だから分からないんです。私がこの容姿のせいでどれだけ嫌な目にあっているか。一生懸命努力したって、何したって結局はこの容姿のことしか言われない。私だって本当はお洒落したいのに、そんな格好をすれば誘惑してると言われる。さっきの黒木部長みたいにセクハラ的なことを言われたり最悪触られたり、そんなの日常茶飯事。その上不倫男からストーカーされたり……もうたくさん……」
急に悔しくなってその場で泣き出した。そもそもどうして女として生れたんだろう。きっと社長みたいに男に生まれていれば、顔が良くてもこんな嫌な目にあうことはなかったのかもしれない。
「蒼……」
泣いている私を見ながら、社長は途方に暮れた様にもう一度手を伸ばした。
「触らないで!!」
男性である社長に触られることに拒絶反応を起こし、思わず大声で叫んだ。彼のせいではないとわかっているのに、精神的に体が受け付けない。
「ごめんなさい……。しばらく1人になりたいんです。……ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
そう言うと、私はその場から逃げるように走り去った。