【新規事業開発室】扉にはそう掲げられていた。
廊下の窓からあの女性を探す…あ、いた!奥の窓辺で上司らしい人と話しているのが見えた。
入り口で、近くにいた女の子に尋ねる。
「すみません、あの、あちらの窓側で話してる紺色のジャケットの女性なんですけど…」
「あー、森下さんですね。なにか?」
「えっと、今朝とてもお世話になったのでお礼を言いたくて、その、呼んでもらってもいいですか?」
「はい、ちょっとお待ちくださいね」
入り口で待たされたまま、森下と呼ばれたその女性を待った。
「はい、森下ですが…あ、あなたは今朝の」
「はい、あの時はありがとうございました。おかげで入社式に間に合いました。それで、このスーツや靴をクリーニングして返そうと思ったんですが、名前も何も聞いてなかったので…」
「それ?いらないわ、あげる。ちょうどサイズも合うみたいだしね」
「え?これ、会社のものとかでは?」
「まさか。たまたま私のロッカーにあったものよ。緊急で礼服が必要になったときに、用意しておいたもの。もういらないから、あ、げ、る!」
_____男物を緊急用に用意しとくってことは、これはもしかして?
「あの、これ、もしかして森下さんの恋人のものとかでは?はうっ!!!」
恋人と言ったあたりで、どん!と胸を押されてドアにぶつかった。
「いってぇー、なんで?」
「余計なこと言わない、用事が済んだらさっさと帰って!私はぼんやりした新入社員の相手をしてるほど、暇じゃないの」
「あ、すみません。じゃあ、あのこれ、ありがたく…」
「はい、さようなら」
バタンとドアを閉められた。
_____俺、何か言ってはいけないことを言っちゃった?
「おい、そこ邪魔だからどいて!どいて!」
段ボール箱を抱えた男性が入って行こうとしていたが、両手がふさがっていてドアを開けられない。
「あ、どうぞ…」
代わりにドアを開ける。
「お、サンキュー」
ドアが閉まって、もう一度プレートを見た。
【新規事業開発室】
_____よし、決めた
新入社員は、1ヶ月間の研修の後、それぞれの部署に配属される。配属先は第一希望が優先されると聞いている。俺はここを希望することにした。
理由は…
気になったから。
あの森下という女性のことが、何故かとても気になった。朝、工事の責任者と話をしていた時も、着替えを渡してくれた時も、そして今も、俺の目にはとても凛々しく見えた。
_____カッコいい!
そう思える女性に会ったのは初めてだし、パンツスーツにジャケットに、腕にはキラリと光る小ぶりな腕時計が見えた。
今時の人は、スマホで時間を確認するからと腕時計をしない人が多いけど、仕事ができる人は時間の確認もスマホではなく腕時計でする。
それに。
上司と打ち合わせをしてる時も、革のカバーの手帳を使っていた。なんでもかんでもスマホに記録するのとは違って、それがまた大人の女性の仕草だと感じるし、そこになんというか…
_____色気があるんだよなぁ…
なんて一人考えながら、エントランスまで来た。
自動ドアの手前まで来たとき、
「あ、あの、新入社員の方ですよね?」
後ろから女の子二人に呼び止められた。
「はぁ」
「朝見た時に、すっごいイケメンだと思って探してたんです!よかったら、お友達になっていただけませんか?LINEの交換とか…」
またか、と思った。学生の頃からよくあることだ。ただの友達でいいのなら別に何人いたって構わない。
「いいですよ、あ、でも俺、めんどくさがりなんで、既読スルーが多いよ」
「いいです、それでも」
じゃあ、と交換する。
「?」
どこからか視線を感じて見渡したら、歩きながらこちらを見て、首を傾げる女性がいた。
「あ、森下さん!」
声は聞こえたようだが、肩をすくめて行ってしまった。
_____なんだか、呆れられたような?
誤解されたかも?って、そもそもなんの誤解かわからないけど。
「ごめん、もう行くから」
俺は慌てて森下さんの後を追った。けど、もうどこにも姿は見えなかった。
それから、研修期間のあいだも、時間を見つけては4階のフロアに出かけた。特に用事もないので、ただ男子トイレに入ったり。
わけもなく【新規事業開発室】の前を通ったりして、森下さんを探した。
いつ見ても、忙しそうにしていた。
「LINEでも交換しませんか?」
なんて話しかける隙なんか、ありゃしない。このままじゃ、何の接点もないままだ。
とんとん!
「へっ!」
いきなり肩を叩かれてびっくりした。振り返ったら優しそうな女性が立っていた。
「よくここに来てるよね、何か用事でも?」
「えっ、あ、別になんでも」
「それとも中の誰かを見てるとか?ストーカー?」
「ちっ、ちがいます、森下さん…」
うっかり名前を出してしまった。ふーんと言いながら俺の頭から足先までをじっくり見ている。
「森下を見てるのね?」
「見てるとかじゃなくて、とてもお世話になったんだけど、お礼もしてなくて、どうしようかな?って」
「あー、もしかして君?水溜りのプリンスは」
「は?」
「ううん、こっちのこと。で、森下と話したいの?」
「えっと、言葉でのお礼は伝えたんですけど、何かカタチでした方がいいのかな?って。でも、俺、あの人のこと何も知らないので」
「別にお礼なんていいんじゃない?下手に絡むと痛い目に遭うよ、あの人は男に対してガードが固いから」
「ガードが固い、だからあの時怒られたのかな?」
「ふーん、もうすでにやっちゃってた?」
「え、まぁ」
「森下茜、32、O型、蠍座、独身彼氏なし。あ、もうすぐチーフに昇格すると思うよ」
サラサラと個人情報を教えてくれた。
「ありがとうございます、えっと…」
「私?私は進藤早絵。茜と同期。だけどもうすぐ育休に入るけどね、よろしく、新人君」
何故か右手を握手の形で出されて、思わず握手をした。
「俺は、結城宏哉です。院卒の24です」
「院卒?顔だけじゃなくて、頭もいいのね、じゃ」
そう言うと、部屋の中へ入って行った。こちらを振り返りそうになった森下さんが見えたから、慌てて自分のフロアに戻った。
_____あの頃からずっと、追いかけてるんだけどなぁ…
3年前の出来事を去年のことのように思い出していた。
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