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気付いてしまった。
気付きたくなかった。
多分、私は逃げ続けていたんだ。怖いから。
ずっと頭の中はグルグルと回り続けていて、今にも音が聞こえそうなほど心臓はドキドキしている。それに、なんだか気持ち悪い。
私が”気付いた”のは、ついさっきのこと。
昼休み、私は違うクラスの前の廊下へ行き、彩月を探した。
彩月は小学校低学年からの付き合いで、何かと気が合う友達だった。
学年が上がるごとにお互い友達も増えて距離は少しずつできていたものの、なんだかんだ仲の良い関係は続いていた。
彩月は「ルマ」というアーティストが好きだった。
私は別のアーティストが好きだったから、ルマを推してはなかったけど彩月のお金関係の相談とか、ライブの話とか、何かと気にかけていた。
一緒に買い物に行ったりとか、語り合ったりとか、そういうので私たちの関係は続いていたのかもしれない。
私たちは進級すると共に忙しい時期に入った。
私は家の都合で、彩月は部活関係で。
クラスも毎年離れて、気付けば一緒にいる友達も変わっていた。
それでも私は彩月と一緒にいたかったから、何度か遊びに誘ったんだ。
「空いた日でいいから、どこか遊びに行かない?」
彩月はやっぱり忙しかったけど、定期的に遊びに行って推しの話をして、私は関係が続いているから大丈夫だと思った。
大丈夫だと思っていた。
遊びに行く度に思ってしまった。
「沈黙気まずいな」
「なんの話すればいいんだろう」
昔はそんなこと考えなくても勝手に言葉が出ていたのに、今はもう不安で仕方ない。
私はしばらく、彩月と関わることを控えた。
彩月のことを思い出す度に不安な気持ちが渦巻いてしまうから。
だけど今日、久しぶりに話してみて気付いた。
私は廊下で彩月を見つけて話しかけた。
最初はテストの話。何点だったとか、どこ間違えたとか、そういう話。
久しぶりに話したから少しドキドキしていた。
少しして話す話題がなくなって、焦った私はすかさずルマの話題を出した。
「最近、ルマはどんな感じ?」
いつも通りグッズの相談を受けると思っていた。あるいはライブが決まったとか、そういう話を期待していた。
でも、彩月が発した言葉は予想外のものだった。
「あー…なんか忙しくて最近見てないんだよ。もう担降りしちゃうかも」
私はルマを推していたわけじゃない。
なのに、なぜかその言葉は私が思っている以上に私に刺さっていた。
「…え、そう…なんだ」
私はただそう言うしかなかった。
かける言葉が見つからない。昔の私ならなんて言っていたかな。昔の私なら…
そう思った瞬間、私は気付いてしまった。
“昔の私”って、なんだよ。
なんでそんなこと考えてるの?
なんで私は昔の私を求めてるの?
夏の廊下は気持ち悪いほど暑いはずなのに、心臓が、心が、ヒヤリと冷たくなっていくような感覚がした。
いつからだろう。
私たちは”変わった”。
私は”変わったことに気付いてしまった”。
あの頃の私たちとはもう違う。
変わるのは悪いことじゃない。
良いことでもある。成長できた証でもある。
でも、私にとってはあまり嬉しくなかった。
本当はずっと前から気付いてたのかもしれない。
ただ信じたくなかっただけ。気のせいだって思いたかっただけで。頭のどこかでは、もう変わってしまったことに気付いてたはずだ。
大丈夫だって。ずっとこの関係が続くって。
そんなわけなかった。
よく考えてみれば、当たり前だ。
もう私たちは子供じゃないんだ。
彩月はとっくに大人になっていた。子供なのは私だけ。
いつまであの頃に取り残されているのか。
情けなくて、恥ずかしくて、寂しかった。
思い返せば、さっき彩月が言っていた「担降りするかも」という言葉。
なんであんなに刺さってしまったのか、分かった。
あんなにルマのことを大切にしていたのに。グッズも沢山買って、ライブにも行って、あんなに楽しんでたのに。
なのに簡単に手放すようなことをする彩月にイラついてしまった。
グッズの相談も、ライブの話も、私は彩月から沢山聞いた。沢山アドバイスして、沢山聞いてあげた。
その私と彩月の時間は何だったのか、そう思ってしまったんだ。
私との関係も、そんな風に離れていっちゃうような気がしたから。
その後のことは、あんまりよく覚えてない。
授業は眠くてぼーっと聞いていた気がするし、休み時間は同じクラスの友達と笑いながら話していたような気がする。
帰りの会は進路についての手紙が配られた。
「進路決めたー?」
「まだ全然決めてないやー」
そんな会話があちこちで飛び交っている。
私は静かに息を吐いて、手紙をしまった。
もう、大人にならなきゃな。
今日は一斉下校なので、どの部活も、どの学年も同じ時間に帰る。
待ち合わせをする友達もいれば、さっさと帰る人もいる。
下駄箱で靴を履き替えていると、横から声がした。
「一緒に帰ろ」
彩月だった。
「…あ、うん」
最近は忙しくてあまり一緒に帰れていなかったけど、そういえば去年まで一緒に帰っていたなと思い出した。
帰り道はやっぱり沈黙が続いた。
正直誘われて嬉しかった。
でも、もう期待は――
「進路、決めた?」
彩月は唐突にそう言い出した。
今日配られた手紙のことだろう。
「ううん、まだ全然。彩月は?」
「いや、私も全然決めてない」
「だよね」
彩月は少し間をあけて、こう言った。
「大人になりたくないな」
聞き覚えがある言葉だった。
どこかで聞いたことがある。どこかで…
私はふわりと思い出した。
ヒヤリと冷たくなっていた心に暖かい日が差して、そこに心地の良い涼しい風が吹いたような感覚。
小4の夏、今と同じくらいの時期。
彩月は同じような言葉を言っていた。
「大人になりたくないな。ずっと子供のままでいたい」
「確かに。ずっと子供のままでいられたら幸せなのにな」
「じゃあ大人になっても、友達だからね」
純粋無垢な子供らしい会話だった。
今の私たちの会話は始まったと思ったら、また沈黙の繰り返し。
居心地が良いわけじゃなかった。
もうあの頃には戻れない。痛いほど実感する。
もう期待したくなかった。
でも、やっぱり期待してしまうんだ。
多分私はまだ大人になれない。昔のことを思い出して、その度に憂いてしまう。
多分これからもそうだ。
本当は大人になるべきだと思う。なった方が幸せなこともあると思う。
私だけが取り残されてると思っていた。
でも、なんだかんだ彩月も同じなのかもしれない。
私たちはあの頃と変わった。でも、大人になりたくないのはあの頃と変わらなくて。
「ねぇ、今日この後予定ある?」
「今日はないけど…」
「それなら」
私は本来帰る道とは別の道を指さした。
「――少しだけ、寄り道しようよ」
彩月は驚いたあとにほんのり笑って、頷いた。
大人になりたくない私たちが、もう少しだけ子供の我儘をしていられるように。
ほんの少しだけでも、一緒にいれるように。