その夜、風が止んだ。
静寂に包まれた神殿の回廊を、足音ひとつ響かせずに歩く影があった。
本田菊は、眠れない夜を何百、何千と過ごしてきた。
その日もまた、いつもと変わらぬ夜だったはずだった。
……ただひとつ、“監視役”が変わったことを除けば。
渡り廊下の先、池のほとりにある小さな東屋に彼は座っていた。
膝の上に乗っているのは、小さな箱。
蓋を開けると、細工の施された小さな鈴が三つ、静かに光を放っていた。
「……どれも、もう、鳴らないと思っていたのに」
一番手前の鈴が、微かに揺れた。
それは昼間、ルートヴィッヒと出会ったときに鳴ったものだ。
菊の中にある三つの鈴。それはかつて、自身の中の“春の神”が
「愛に目覚めかけた」瞬間に鳴ったものだった。
“それ”は感情に反応する。
誰かに触れたいと思ったとき。
優しい言葉を求めてしまったとき。
孤独を、怖いと思ってしまったとき。
——神は、目覚めようとする。
「……また、間違えるところだった」
菊は自嘲するように目を伏せる。
もう誰にも期待しないと決めていたはずだった。
人を愛すれば、破滅が来る。
それが千年前の春の神が残した罪の記録。
彼は、その贖いとして生きている。
自分を殺すことで、世界を守る器として。
「だというのに……あの方の瞳は、」
そのとき、背後に気配が現れる。
「眠れないのですか」
振り向くと、そこにいたのはルートヴィッヒだった。
驚くでもなく、菊は目を細める。
「……まさか、監視は寝ずの番だとでも?」
「任務ですから」
「ご苦労さまです。私などに時間を割くのは、無駄ですよ」
「そうは思いません」
ルートヴィッヒの声が、わずかに強くなった。
その一言に、菊の中で鈴が――また、鳴る。
——チリン。
彼の表情が少しだけ揺れたのを、ルートヴィッヒは見逃さなかった。
「……その鈴は」
「“感情”の揺れに反応するものです。
私の中に封じられているものが、反応しているのでしょう」
「なぜ、そんなものが……」
「これは“目印”です」
菊は静かに言う。
「私が……この世界にとって、
“危険な存在”であることを忘れないための、ね」
ルートヴィッヒは言葉を失う。
その瞳は菊を見ていた――まるで、人間として。
けれど菊は、ほんの少しだけ微笑んで、目を逸らした。
「……怖いですか?」
「違う。私は……あなたが、そうやってすべてを諦めていることが、怖い」
それは、不器用な剣士が初めて見せた“感情”だった。
その声が、温度を持っていた。
そして、また——鈴が鳴る。
——チリン、チリン。
ルートヴィッヒははっとする。
「これは……!」
「これは、“予兆”です。封印が少しずつ緩んでいる……ということ」
空を見上げると、満開の桜が、風もないのに花を散らしていた。
それは春の兆しでも、祝福でもない。
神が目覚めようとしている印だった。
「……もう、すぐです」
菊は小さく呟いた。
「もうすぐ、“春”が私の中で……完全に目を覚ましますね…」
コメント
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もぅ😡題名も良いし中身もいいとかまじ意味不明なんだけど😡 お前神だろ😡