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翌日、公園に行くとまたあの子がアリを見ていた。幼い小学生がアリの集団自殺を眺め続けているのに耐えきれなくなったわたしが、声をかける。
しゃがみこんで、目線を合わせ。
お姉さんと何か別のことをしようと誘導すると、少し驚いた顔をして従った。
そういえば、行動を止めるより、別のことをしようと意識を逸らした方がうまくいくのだと、児童心理学の授業で教授が言っていたっけ。
話してみると、その子はKと言う女の子だった。
薄汚れたTシャツ短パンという男子みたいな格好をしていて、帽子を脱ぐと、ろくに手入れされていない長い髪が落ちる。毛先の赤みがかった長い茶色を黒い地毛が押し上げていた。
笑うことがなく、ぼそぼそとしゃべる子だった。話かけるとフリーズするので、見ていると不安になる。
色々と問題を抱えていることに想像がついた反面、Kは自分のことを話さなかった。誰だって根掘り葉掘り聞かれたくはないだろう。
たとえば、服装が男子的なのは、心の問題かもしれない。
こういうことは、とやかく言わず。そっとしておいた方がいいはずだ。
このKとわたしの関係はそれから半月ほど続いた。
夏休みを利用してうまくお互いのヒマ潰しができれば御の字だろうと思って始めたこの関係は、想定以上の広がりを見せることになる。
公園に二人といっても限界がある。Kは活発な方ではなかったので、男子小学生のように走り回るというわけにもいかない。
Kもわたしと同じように、居場所がないから仕方なく公園にいるだけだったのだろう。
そこでわたしは草花の本を借りてきて植物の名前を教えたり、公園の植物を調べ尽くすと、道端や水路を歩いたり。昆虫の本を借りてきたり。
それでもKが笑うことはなかったけれど、新しい知識を得る度に、少しだけ輝くその瞳は宝石のように美しかったのを覚えている。
そんなことをしてあちこち歩き回るうちに、わたしとKは夏休みで暇をしている大学の連中に鉢合うようになる。
わたしが少女を連れ回しているという噂は一斉に広まり、普段あまり話したことがなかった教育学部、二回生の連中がわらわらと集まってきた。
こうして集まってくる教育学部生はみんな子供好きだ。みんなKを猫かわいがりし、ファミレスでしこたま食事を与えて、大学の図書館に連れて行った。
この炎天下に外にいるなんてあり得ないと言われたっけ。
かわいい服を買ってやろうぜ。なんて思い立った連中がカンパを募り、白いワンピースを着せたりしたこともある。
Kがそのワンピースを着たのは一度きりだったけれど。それもKの意思だからということで、みんな納得した。
宿題を手伝おうという話になっても、Kは学校のことを一切話さない、というか一度話さないと決めると、その日はずっとだんまりを決め込むので、誰も学校について聞かなくなった。
夏休みも4分の3を過ぎた頃だ。
わたしは「これ、もうわたしいらないよな。」と思い、その集団から去った。
Kには何か問題がある。
だとしても、わたしごときがいなくたって結果に何も変わりはないはずだ。やるべきことはすべて、わたしでない誰かがやってくれるだろう。
みんな優しいし、行動力があるし。
何より、その行動の一つ一つを精査してみて、何も間違っていない。
これだけ正しい前提ばかりが積み上がれば、きっと正しい結果になるだろうと、そう思っていた。
わたしがあの集団から去った日。
ふと、Kと出会った公園に入ると。アリはまだ集団自殺を繰り返していた。
規模を増し、多くのアリを巻き込んで進む死の行軍は止まる様子がない。
ぐるぐる、ぐるぐると。
同じ場所を死ぬまで回り続ける。
それでも皆、正しいことをしていると思っているのだろう。
正しいと思っているから止まらないのかもしれない。
いや、人間はアリとは違う。
人間には知性がある。知性があるのだから、どこかで「これはおかしいぞ」と考えを改めることができるはずだ。
そう思い直して家路につく。
家からは I のあえぎ声がした。
嫌悪と寂しさが、身体を内から焼いている。
これは嫉妬なのだろうか。
I にも、あの集団にも、関わりたくない。
人を欲しているのに、まるで人を好きになれないのが不思議だった。
何か、あのアリの群れを遠巻きに眺めているような気持ちになるのだ。
わたしだけでなく、みんな気づいていながら、気づかないフリをしているような気がするのだ。
思い至りそうになると、思考が引っかかって止まってしまう。
ただ、漠然と危険は感じる、震源地から距離をとって何かを回避しようという気持ちがある。
これは一体、どういうことなのか。
そんなことを考えながら、わたしは夕暮れに沈む街を徘徊する。
ただ、何かとても卑怯なことをしているという自覚だけがあった。