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永遠に続く闇の中を、ウイルとエルディアは肩を並べて歩く。
反響する足音。それらは天井、壁、地面で反響するため、慣れるまでは少々不気味だ。
光は一切差し込まない。
ゆえに周囲を照らす灯りが必要だ。光源としては頼りないが、魔法の炎を代用品とする。
コールオブフレイム。ウイルの右手がメラメラと燃えており、一歩毎に前後へ揺れることから、光源が作り出す影も都度踊る。
「ここって、実は自然物ではないらしいですよ」
「ほほー。誰かが掘ったってこと?」
ウイルは子供ながらに博識だ。されど、この場所については多くを知らない。アーカム学校の授業では、そこまで掘り下げてくれなかった。
「蛇の大穴。その名の通り、大昔に巨大な蛇の魔物が山を掘り進んだ際の横穴みたいです。その証拠に、この洞窟は入り口から出口までのどこを区切っても穴の直径がほとんど変わらなくて、その上ほぼ直線なことも根拠足り得るとか」
「なーるほーどねー。でっかい蛇が、ここをパクパクしながら突っ切った、と……。え、そんなことありえるの?」
「さぁ?」
二人は首を傾げる。魔物がはびこるこの世界においても突拍子のない話だ。
イダンリネア王国の建国前からこの洞窟は存在しており、調査の結果、穴が掘られてから数千年以上の年月が経過している。
「バカでかい魔物がいたとして、それはどこに行っちゃったのー? いやまぁ、いないってことは死んじゃってると思うけど」
二人が歩いている洞窟の道幅は、イダンリネア王国の大通り以上に幅広だ。二十人以上が横並びで歩いてもまだ余裕があり、その上、その長さは徒歩だと丸一日かかってしまう。
最たる謎はその太さだ。こんな大穴を掘り進められるのだから、巨人族すら小人に見えるほどの大蛇であったことは間違いない。
だが、そんな魔物は現代においても発見されておらず、建国当時においても未確認だ。
「老衰か、はたまた討伐されたのか……。まぁ、実在したかどうかも不明ですし、なんとも言えないですね~」
推測の上に推測を積み上げるような会話ゆえ、当然だが落としどころは見えない。
それでも、話題が提供されたのなら飛びついてしまう。真っ暗な閉鎖感と沈黙の組み合わせは少々居心地が悪く、会話はそれだけでも場を和ませる。
「ちなみになんだけどー。ここにも魔物がいるよ」
「えっ⁉」
寝耳に水だ。ウイルは驚きを隠せない。
「砂コウモリ。あんまり大きくはないけど、侮れない相手かなー。まぁ、強いわけじゃないし、数も少ないし、だいじょぶだいじょぶー」
「その魔物なら習ったかも……。確か、全身黒一色の、耳のある鳥……でしたっけ? 羽を広げた時の大きさは人間の肩幅より大きいくらい。こんなところに生息してたのか」
「そそー。近づいてくる時はシャシャシャーって音がするからわかるんだけど、いかんせん見えぬ! まぁ、目の前まで来てくれればランプで照らせるけど。そしたらぶっ飛ばす。一撃。終わり。そんな感じー」
(シャシャシャ? あぁ、羽音のことかな。時々、エルさんから感じる野生……、傭兵ならそれが普通なのかと思ってたけど、ハイドさんやメルさんはスマートだったし、人それぞれなんだろうな、うん)
巨大なこの洞窟に魔物はいない。授業ではそう教わったが、実際には砂コウモリが立ちはだかる。
驚愕の事実だが、問題ない。用心棒が隣にいてくれるのだから、恐れず進むだけだ。
「ちなみにどれくらいの強さなんですか? 草原ウサギくらい?」
「もうちょい上かなー。ゴブリンとどっこいどっこい?」
その返答がウイルを黙らせる。襲われたら最後、一瞬で殺されかねないということだ。最弱の魔物にすら勝てないのだから、ゴブリン以上の存在に立ち向かえるはずもない。
その後、二人は黙々と歩く。会話が途切れてしまった以上、弱々しい光源を頼りに目的地を目指し続ける。
(魔物感知を怠ったら死ぬかも……。ほんと、心安らぐことがないなぁ)
そういう意味では、ウイルと砂コウモリの相性は悪くないのかもしれない。視認出来ずとも魔物の居場所がわかるのだから、見つけ次第、エルディアに託せばよい。
(そういえば、この天技にも名前つけた方がいいのかな? 全然思いつかないけども……。似たような戦技だとタビヤガンビット。だったら、う~ん……、こういうのって難しいなぁ)
天技は魔法と異なり魔源を消耗しない。一方でウイルの能力に関してはある程度の集中力を必要とするため、精神的に疲弊するが代償はその程度だ。
名称はまだない。名無しであっても困ることはなく、とは言え、暇つぶしにはもってこいの話題だ。
「エルさん」
「んー?」
「僕の能力、魔物を探せるこれに名前をつけようと思うんですけど、何か良い案ありませんか?」
妙案が見当たらないなら、他者に頼る。エルディアが真横にいるのだから、年長者として候補の一つも挙げてくれるだろう。
「そだねー、魔物見つける君とか、どう?」
そして沈黙が訪れる。正しくは二人分の足音だけが空洞に響き続ける。
残念ながら、その案は却下だ。
「まぁ、うん、自分で言っておきながら、無いかなぁって思いました」
陽射しが届かぬ場所ゆえ、いくらか肌寒い。風邪をひくほどではないが、油断は禁物だろう。
再び訪れた沈黙。リズミカルな足音だけが音色を奏でる中、ウイルはふと、新たな話題を思いつく。
「エルさんでも怖いことってあるんですか? 例えば、こういう暗い場所がダメとか……」
二人の出会いから、まだ一か月も経っていない。それでも、慌ただしくも濃密な日々が互いの親睦を深めてくれた。
だからと言って、知らないことは山ほどある。
四六時中、一緒にいるのだから、ぱっと思いつく話題は語り尽くしたと思っていたが、今回のこれは初めての内容だ。
「あるよー。野良の募集に参加した時の話ね。狩場に移動して、そこで討伐対象を探すとこから始めたんだけど……」
淡々と話し始めたエルディアだが、その口調は普段よりやや暗い。ゆえに、ウイルは生唾を飲むように耳を傾ける。
「珍しく、他のチームと獲物がバッティングしちゃったせいで、普段なら一日で終わるはずの狩りが数日かかっちゃってね……。報酬はもちろん仲間と山分けなんだけど、まぁ、時間かかっちゃったからあんまり美味しくなくて。しかもライバルチームとも現地でギクシャクしちゃったりで、私はそういうの気にしないんだけど、お仲間さんは胃が痛いって言ってたなぁ」
「傭兵特有のあるあるなんですかね、きっと……」
恐怖というよりは苦い思い出だ。それでも彼女の言わんとしていることは伝わった。
傭兵にとって同業者はライバルだ。手を組んでいる時以外は、出し抜く相手でしかない。
「あぁ、後は詐欺なんかも怖いねー。私は出くわしたことないけど、高級品だと思って少し安く譲ってもらったら偽物だった、みたいな」
武器や防具の発明は画期的だった。魔物という驚異と戦うためには必須の道具であり、人間が滅ぼされずに今という時代を生きていられる理由は、そういった物で魔物との実力差を埋めるどころか上回れたからだ。
刃物の切れ味や鎧の強度は素材によって左右される。より良いものほど高額ゆえに、傭兵は身の丈にあった物で満足するしかない。
ウイルが購入した短剣はブロンズダガー。最も低品質だが、最も安価でもある。金額は一万イールゆえ、手ごろと言えなくもない。それほど重くもなく、そういった意味でも入門用には適している。
一つ上に目を向けると、アイアン製の短剣、アイアンダガーが候補となる。価格は八万イール。ここまでなら選択肢になり得る金額だろう。
問題はその先だ。
スチールダガー。六十万イール。
ミスリルダガー。五百万イール。
一人前の傭兵ならばスチール製の武器を手にしたいところだが、現実はそんなに甘くない。
六十万という金額は、稼げなくはない範疇だ。平均的なひと月の収入が二十万から三十万イールと言われている。理論上は数か月で届く計算だ。
しかし、全額を貯蓄にまわせるかどうかは別の話だ。食事は欠かせず、衣服や消耗品、薬の類も必要だろう。
日々、生きていくために出費が伴うため、実際に目標金額を貯めるためには相応の時間がかかってしまう。
それでも、スチールダガーならば手が届くはずだ。
問題はその先だ。
ミスリルダガーの価格は五百万イール。これは庶民の年収を上回っている。
つまりは、富裕層でなければ買えぬ代物だ。ましてや武器や防具は戦いの中で壊れてしまう以上、その都度代替品を買い直さなければならない。
おおよそ不可能だ。それを裏付けるように、傭兵のほとんどはミスリルの武具を諦めている。
自由を求め、傭兵という生き方を選んだ夢追い人でさえ、お金という現実には縛られてしまう。
「詐欺……。ミスリルソードだと思って奮発したら見た目だけそっくりなブロンズソードだった、みたいな?」
「そそー」
「最悪ですね……。しかも普通に犯罪ですよ」
ウイルの言う通り、この行為は犯罪だ。他人を騙しているからではなく、二つの点で法を犯している。
装備品の売買は認可制ゆえ、通常は専門店以外での売り買いは禁止だ。
そして、そういった不届き者は間違いなく税金を納めていない。
武器や防具は、その商品毎に決まった金額の納税が課せられている。つまりは安く売ろうと定められた金額を国に納める必要がある。
ミスリル系の武器ならば、税金だけでも大金だ。ゆえに脱税という単語が頭をよぎるのかもしれないが、れっきとした犯罪ゆえに選択肢にはなりえない。
だが、詐欺を行う人間には関係ない。定価よりも安く売るとうそぶき、偽物を掴ます。その上、税金も納めない。
非情な行為だ。決して許せる行為ではない。
だが、騙される方も悪い。傭兵の中にはそう考える者も少なくはなく、自分の身は自分で守らなければならない、という信条がそう思わせるのかもしれない。
(エルさんの苦手なことを知りたかったんだけど……。まぁ、ためになる内容だったからよしとするかぁ。他人事じゃないもんな、きっと)
ウイルも今では傭兵だ。力も経験もないが、この旅が終わればエルディアとの縁も切れるかもしれない。
今後は少しずつでも実力を高め、魔物を狩りながら生計を立てる必要がある。
貴族という地位を手放し、実家からも飛び出したのだから、もはや帰る場所はなく、自ら選んだこの道こそが唯一の生き方だ。
「んで、ウイル君が怖いって思うことはー?」
悩むように考え込んでいた時だった。左隣から会話のキャッチボールが再開される。話題は変わらないのだから、本来ならば言い淀む必要などないはずだ。
「あ~、その……、すごくつまらない話になっちゃうんですけど……」
「へーきへーき。私のもおもしろくはなかったし」
そもそもお題目からしてネガティブだ。盛り上がることを前提にしてはいけない。
「同世代くらいの異性が、すごく苦手です……。疑心暗鬼になっちゃうんです、その子がやさしく接してくれたとしても、心の中は正反対なんじゃ、って……」
ウイルのこれは人間不信に近い。対象が限定されるため、現状困ってはいないが、いつかは克服したい苦手意識だ。
「ほほー。魔物は怖くないのに、小さな女の子は怖い?」
「魔物も普通に恐ろしいですけど。ただ、同じ年くらいの異性にはそれとはちょっと違った恐怖心を抱いていると言いますか……、有体に言えば関わりたくないです」
「ふーん? 女性恐怖症ってわけじゃないんだよね? 私は大丈夫みたいだし」
「はい。年上や年下は問題ないです」
(それってウイル君から見たら私はおばさ……、いや、止めよう。悲しくなってくる)
そんなことはないのだが、十八歳は静かに傷つく。
「同じ年くらいの子がダメってことー?」
「そうです」
「不思議ぃ。どしてー?」
普段だったら、エルディアはこういったことには踏み込まない。他人に興味も関心もないからだが、今は暗闇の洞窟をただ歩き続ける状況ゆえ、手持無沙汰も加わり会話の流れで追加の質問を投げかけてしまう。
「……何年も好きだった子がいたんです。多分、初恋だったのかな。だけど、いつからか、その子に……嫌われてしまって」
ウイルは大事な部分を誤魔化す。正しくは、好意を寄せた女子にいじめられたことが原因だ。
教室には十人を超える同級生がいたのだが、貴族はその内の四人。ウイル以外の三人が中心となって、この少年を死の寸前まで追い込んだ。
主犯格の一人がウイルの想い人であり、淡い初恋は最悪の形で砕かれてしまった。
「ふーん。その子のお菓子をつまみ食いしちゃったの?」
「違います。太ってるからって食いしん坊みたいに言わないでください。むしろエルさんの方がいっぱい食べるでしょ」
「痛いとこ突かれたゼ! 足は太くなるし、胸もでっかくなるし……。そういえば今日の晩御飯は何ー?」
(相変わらず話の振れ幅がすごいな!)
暗い話題は終了だ。ここからは夕食の献立を話し合う。
トンネルのようなこの場所だろうと食材さえあれば調理は可能だ。
もっとも、鞄の中には保存食とわずかな調味料しかない。ゆえに考えるまでもなく、普段通りのメニューに落ち着く。
日持ちするパン。
傭兵御用達の干し肉。
栄養の偏りなどお構いなしに、二人はこの組み合わせを食べ続けている。長旅では必然的にこうなってしまうのだが、魔物を食すことも少なくはなかったため、ワンパターンでもない。
その後も、雑談を交えながら前進し続けるエルディアとウイル。真っ赤な炎に導かれ、ひたすらに西を目指す理由はそこに目的地があるからだ。
ミファレト荒野。
そして、迷いの森。
イダンリネア王国を出発してから、まだ一週間と経っていない。順調過ぎるスケジュールはひとえに彼女のおかげだ。
「褒めても何も出ないよー。あ、おっぱい揉む?」
「僕も強くなりたいって言っただ……、え? 今なんて?」
エルディアの身体能力は非常に高い。ウイルという重荷を担いだまま、何時間だろうと走り続けることが可能だ。大剣や鎧、鞄も含めれば、その重量は大人だろうと易々と潰しかねない。
「冗談はさておき」
(ひ、ひどい……)
暗闇の中で、少年は涙を流す。
「かれこれ三、四時間は歩いてると思うけど、今どのあたりかなー?」
エルディアのような傭兵でさえ、先の見通せぬ洞窟においては現在地などわかるはずもない。
「半分くらいでしょうか? 夕食は落ち着いて食べるとして、準備と後片づけはぱぱっと済ませられますし、食べ終わってからも歩けば夜中には抜けられそうですね」
(この子もだいぶタフになってきたなぁ。考え方も、体力的にも……)
この巨大洞窟はありえないほど長い。それでも、昼間から移動し続けていれば、日付が変わる頃には突破可能だ。
水場がないのだから入浴など出来ず、食後にゆっくりとくつろいだとしても、その後はただただ暇だ。寝てしまっても良いが、せっかくなのだからきりの良い場所まで進みたくもなる。
「あ……」
その時だった。少年から小さな声が漏れ出る。それが何を意味するのか、傭兵は耳を傾けながら続報を待つ。
「前方の……、天井かな? 魔物がいます、一体だけ。これが砂コウモリ?」
ウイルのレーダーが敵影をキャッチする。
進行方向、走れば十秒程度で到達可能だろうか。自分達とは異なり、それは床ではなく上の方に張り付いている。
否、ぶら下がっている。この天技でもそこまで正確にはわからないのだが、相手の予想が済んでいるのだから想像も容易い。
「お、さすがー。まぁ、このまま行こっか。ばしっとやっつけちゃる」
恐れる必要はない。今回の魔物は素早く飛び回るため、本来ならば厄介だ。用心深く進むのなら、エルディアが先行して倒すべきなのだが、そんなまわりくどい戦法は採用しない。
砂コウモリへ近づくように、二人は進軍する。引き返すという選択肢は除外されており、相手が何であろうと乗り越えるつもりだ。
(あっちもこっちに気づいてるのかな? うん、そうだと思っておこう。こんな閉鎖空間で足音させてるんだから……。確か、聴覚が発達してるって習ったもんな)
少年の推測は正しい。この魔物は暗闇に順応するため、物音で周囲を観察している。
反響定位。音波の跳ね返りで対象の位置を察知する技法だ。目で見ずとも敵の存在を知ることが出来るという意味では、ウイルの天技と同類と言えよう。
(ワクワクしてるなぁ、エルさん)
左隣にはエルディア。いかに暗かろうと手を伸ばせば届く距離ゆえ、表情もある程度は読み取れる。口角をわずかに上げながら正面だけを楽しそうに見つめており、そればかりか手足の動きも普段より大きい。
臨戦態勢にはまだ移行していないが、やる気は既に満タンだ。
鼻息荒い傭兵を他所に、ウイルは冷静さを保つ。
「このペースだと、三、四十秒といったところでしょうか」
少年の役割は索敵だ。それを自覚しているからこそ、今は自身の天技に集中し、魔物との距離を彼女に報告する。
「なるほどなるほど……。もう我慢ならねぇ!」
「え⁉ ちょっ!」
そして、エルディアが駆けだす。驚くウイルには目もくれず、狂ったように走る姿は鎖から放たれた獣のそれだ。
「うわ、何も見えない!」
前方から響く叫び声。当然だろう、ランプも持たずにウイルという光源から遠ざかったのだから、砂コウモリと戦うどころではない。
(くぅ、急がないと!)
そう思い、両脚に力を込めた瞬間だった。
「成敗! もう来ていいよー」
(なん……だとぉ……)
視認出来ずとも、羽音を頼りにエルディアはそれを撃墜する。本来ならば無謀すぎる行為だが、砂コウモリ程度では彼女に傷を負わせることは不可能ゆえ、一見するとふざけているようだが、事実、遊び半分の暴走でしかない。
それほどの実力差が両者の間にはあった。つまりはそういうことになる。
「お、来たね。これこれー。どう? 真っ黒でしょー」
少年はトコトコと駆けて、十秒程度で変人に追いつく。そこには仁王立ちの勝者と、その足元には敗者がうつ伏せのまま地面に伏していた。
彼女の言う通り、この魔物は羽も含めて全身が黒一色だ。背面しか見えないが、力なく両翼を広げており、その横幅はウイルの胸部より随分大きい。
「この色だったら闇に溶け込めちゃいますね。お、習った通りだ。鳥なのに大きな耳がある。猫……、いや、草原ウサギみたいな形」
ウルフィエナに動物のコウモリは存在しない。魔物としてのコウモリ類だけが生息しており、だからなのか、哺乳類ではなく鳥類に分類されている。
ウイルはそれの後頭部に釘付けだ。小さな頭には立派な耳が二つ備わっている。わずかな音すらも聞き逃さないための工夫だと、一目で推測可能だ。
「こいつって……食べられるのかな?」
「多分ですけど、美味しくないと思いますよ? 可食部も少なそう。見た目もお腹壊しそうな感じしますし。偏見ですけど……」
動かなくなった死体を二人は淡々と見下ろす。
「そっかー。手加減して君にトドメあげようとしたんだけど、グーで殴ったら一発だった! 残念!」
「そうですか。お気遣いありがとうございます」
結果論だが、エルディアが先行したことでウイルの安全は担保された。彼女としては暇潰しも兼ねて破壊衝動に身を委ねただけなのだが、今回はそれが良い方向に転ぶ。
「んじゃ、進もっか。あ、疲れてない?」
「まだ大丈夫です。坂道じゃないからかな? 今日はしんどくなくて」
魔物を退けたのだから、前進再開だ。
この洞窟は作り物とは思えないほどに長く、同時に平坦でもある。
それゆえに、ウイルはまだ余力を残せており、元気よく歩き始める。
その後は何事もなく進み、二人からは見えないが日が沈んだ頃合いで夕食の準備に取り掛かる。
もっとも、携帯食を鞄から取り出すだけだ。ついにパンが底をついてしまったため、明日からは干し肉と漬物だけになってしまう。
塩分多めだが文句は言えない。断食さえもありえるのが傭兵だ。
食事の時間はあっさりと終わり、休憩も兼ねたのんびりとした時間が流れる中、少年は無意味に悩み始める。
(素振り……、したいな。でも、この後も歩くし、体力の消耗は避けないと、か。う~ん、少しくらいならいけるかな?)
食後の恒例行事。普段なら素振りの時間だ。腰の短剣は飾りではなく、魔物を殺すための凶器であり、それを使いこなすためにもウイルに鍛錬は必須と言える。
それをただ振るだけなら苦ではない。だが、全身全霊で取り組めば話は別だ。
大事に。
丁寧に。
そして全力で。
満腹感と疲弊に耐えながら、十二歳の子供は毎日のように継続している。
非力な自身が嫌になろうと。
手のひらの豆が潰れ出血しようと。
基礎とも言うべき素振りだけは欠かしたくない。
(習慣だし……、よし)
納得したのなら行動開始だ。
ウイルは立ち上がり、マジックランプから少し離れた場所で武器を構える。
茶色の短剣はすっかり手に馴染んでくれた。重いことに変わりはないが、それを負担とは思わない。
灯りから遠ざかったのだから、黒色の影が全身を飲み込もうとするも、今更恐れることはなく、刃で闇を切り裂くことから始める。
(お、やってるやってる。若いっていいね~……。いや、私も若いから!)
自分の心の声にエルディアは心底驚く。
十八歳。年齢だけを見れば確かに若輩者だ。一人前の傭兵ゆえに初々しさはないが、未だ恋を知らぬ乙女ゆえ、彼女の自己分析は正しい。
無音の洞窟に風切り音がシュッと響く。素振りの間隔は長く、およそ十秒程度か。雑に振りぬくのではなく、一振り毎に全身の挙動を反芻、それに対して脳内で良し悪しを議論する以上、次の斬撃は必然的に遠くなる。
合格点を越えれば動作を速め、落第なら見直す。それを何百回と繰り返す以上、食後の運動にしては高負荷だ。少年の額には大粒の汗が浮かび、風切り音も徐々に加速していく。
(やっぱり……、気のせいじゃないなー、これ)
ウイルの右腕が振りぬかれる度、エルディアは横目で盗み見る。
(前より、だいぶ速くなってる。成果が出てきたってことかな? 今だったらウサギくらいなら倒せそうだけど……、いや、さすがにまだ無理? 速いって言ってもまだまだだしなー)
残念ながらその通りだ。
確かに、鍛錬の成果は見え始めている。
しかし、その実力は落第点だ。最弱の魔物、草原ウサギを倒せるほどには至っておらず、それでも継続は大事だと彼女も少年を通して感じ取る。
(上官も言ってたっけ……。基礎が大事だー、みたいな。本当だったんだなぁ。まぁ、私もさぼってたわけじゃなかったけど。ただなぁ、そのおかげで強くなれたって実感はないんだよなぁ。やっぱ実戦こそっしょー)
エルディアほどの実力者なら、魔物を殺す方が近道だろう。
一方でウイルはまだそこまでの段階には至っていない。ならば鍛錬に精を出し、少しずつでも積み上げていくしかない。
両者共にそれをわかっているからこそ、今は黙って素振りを見守る。
(圧縮錬磨でけっこうな数を倒したはずなのに、成果はこれっぽっちかぁ。スタート地点がめちゃくちゃ低いってことなのかな? 才能の有り無しで言うなら、かわいそうだけどこの子は……)
残酷な論評だ。しかし、目を背けてはならない。もちろん、そのことを本人に突きつけるつもりはないが、指導役としてはこの子供に点数をつけ、今後の方針を検討する必要がある。
傭兵としては失格だ。適正も才能もない。ウイルの評価はこの一点に収束される。
それでもどうするかは、やはり本人次第だ。他人がとやかく口出しすることではなく、身の振りは当人が決定すればよい。
まだ十二歳。その上、年齢にそぐわないほどの博識ゆえ、未来の選択肢は無数にあるように見える。
(傭兵がきついなら、お店で働いたりすればいいんだしね。大人びてると言うか、妙に物知りだし……)
残念ながら、エルディアのこの認識は間違いだ。ウイルに残された生き方は残酷なほどに一本道でしかない。
彼女も、この少年もまだ気づけていないのだが、この旅はその一歩でしかなく、もしも演劇を中断し、舞台から降りようものなら、その前にその命を絶たれてしまう。
台本通りに演じるしかない。それが台詞のないエキストラであろうと、もしくはすぐに殺される死体役であろうと、全力で演じ、観客を満足させることが命題だ。
ウイル・ヴィエン。苛酷な使命を背負わされ、今は配役通りに目的地を目指している。
与えられた情報に踊らされている姿は、まさしく道化師のそれだ。
ゆえに滑稽でしかなく、観客を大いに楽しませる。
目的地は迷いの森。
現在地は蛇の大穴。
二人はここを抜け、明日にもミファレト荒野へ足を踏み入れる。
もう間もなくだ。
この旅は拍手と共に終わりを告げる。