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第1節 千崎雄二『気づけないままで』―1―
十二月の初旬。
空は低く、重たく垂れ込めていた。
ちらちらと舞う雪は、積もるほどでもないくせに、確実に季節の深まりだけを告げてくる。
その日――自分が桐生百合香の家を訪れた日の翌日にあったことを、千崎 雄二は知らない。
いつもと変わらない一日だった。
組のことで呼び出され、あちこちを回り、夜には適当に酒を流し込んで冷めきった妻の待つ家に帰る。
それだけのこと。
――少なくとも、雄二はそう思っていた。
***
金曜日。
雄二は、珍しく午前中にランジェリーショップ『YURIKA』へ顔を出していた。
「……すみません、千崎さん……」
運転席から降りてきた男に、後部シートのドアを開けられながら、申し訳なさそうに頭を下げられる。
三井隆司は朝から外せない所用で席を空けていた。
その隙を狙って『YURIKA』へ顔を出そうと思った雄二だったが、甘かった。
事務所の外に出ると、見慣れた男が先に待っていた。
――佐山文至。
本来なら、組長・相良京介が可愛がっている女、神田芽生の側にいるはずの男だ。
「三井のアニキの代わりに、俺が付くよう言われてます」
簡潔な説明に、雄二は小さく舌打ちしたくなる衝動を飲み込む。
(……三井め、抜け目がないな)
内心でだけ毒づく。
とはいえ、佐山に当たる筋合いはない。
あくまでこれは、上の連中の問題だ。
「……気にするな。お前は悪くない」
短く返して、雄二は店の扉に手をかけた。
カラン、とドアベルの軽い音が鳴った。
「いらっしゃいませ――」
明るい声が店内に響く。
だが、その声の主は、目当ての人物ではなかった。
「店長は?」
短く問う。
一瞬、店員の顔に困った色が浮かぶ。
「申し訳ありません。本日、店長は……午前中だけお休みなんです」
その言葉に、雄二はわずかに眉を寄せた。
「休み?」
水曜以外に、百合香が店を空けることはほとんどない。
体調を崩した、という話も聞いていないし、何より水曜日会いに行った時も元気そうだった。
「はい……午後からは出ていらっしゃるんですが……」
歯切れの悪い説明だった。
ランジェリーショップという店の形態に慣れていないんだろう。背後で佐山が所在なさげにそわそわしながらも、雄二と店員のやり取りにしっかり聞き耳を立てているのが分かる。
雄二は佐山にチラリと視線を流すと、それ以上は聞かなかった。
――いや、聞けなかった、という方が正しいかもしれない。
下手に勘繰りすぎれば、佐山から三井にどんな報告がなされるか分からないからだ。
「……そうか。じゃあ、日を改める」
それだけ言って、踵を返した雄二のあとを佐山がそろそろとついてくる。
店の外へ出ると、冷たい空気が頬を打った。
(……なにか、あったのか?)
胸の奥に、小さな引っかかりが残る。
だが、それを確かめる術はなかった。
背後へ付き従う佐山に、「帰るぞ」とだけ告げて車へ戻ると、雄二は佐山が運転を始めたのを見計らってメッセージアプリに『午前中休みだと聞いた。何かあったのか?』とだけ送る。
しばらく画面を眺めていたが、既読にならない――。
(まあ、そのうち返ってくるだろう)
そう思って、雄二はスマートフォンをスーツの内ポケットへ仕舞った。
***
夜になって、ようやくスマートフォンが震えた。
表示された名前に、わずかに肩の力が抜ける。
『ごめんね、メッセージ気づかなくて。ちょっとバタバタしてて、携帯見れてなかったの』
いつもと変わらない文面。
いつも通りの、軽い調子。
雄二は短く息を吐いた。
『体調が悪いとかじゃないんだな?』
それだけ返す。
すぐに既読がつく。
『うん、元気だよ』
その一言で、十分だった。
それ以上を問い詰める理由もなければ、問い詰めるほどの違和感でもない。
(なら、いいか)
そう思って、画面を閉じる。
隣で雪絵が身じろいだのに気づいて、スマートフォンを伏せて置く。
あの日以降、寝室を別にすることはなかったが、一緒にいるだけで空気が張り詰めているような居心地の悪さを感じる。
雪絵は妻としての務めは淡々と果たしていたが、雄二には何も求めていないようだった。
求められないならそれで都合がよい。
だが、そんな両親の様子に娘の百香が気を遣っているのが分かるのだけが気がかりだった。
雄二は小さく吐息を落とす。
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コメント
2件
ゆりかさん、なにかあった!?
みぅ🤍🥀です。 今回は雄二さんの視点で、百合香さんが店を休んでた日の話ですね…。 雄二さんが「まあそのうち返ってくるだろう」って流してたのが、逆に胸に引っかかります。 何より、佐山が後ろにいるせいで深く聞けなかったもどかしさがリアルで。 百合香さんからの「元気だよ」の一言で納得しちゃうところ、読者としては「それで大丈夫なの?!」ってハラハラしました…。次が気になる…!