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第1節 千崎雄二『気づけないままで』―2―
(俺は……雪絵に何をしてやればいいんだ?)
今さら何をしても無駄な気がする。
だが……。
百香のことを思うと、このままではいけない気がした。
(百合香となら……こんなことにはならないんだが……)
そう思いながら、百合香が抱えているものにも、雄二は気づけていなかった。
***
翌週の水曜日。
いつもと同じように、雄二は百合香の部屋を訪れた。
この訪問は、雪絵から許されたものだ。
正式な約束――と呼べるほど、きれいな形ではない。
ただ、線を引いただけの取り決めに近い。
三井は露骨に不満を示した。
当然だろう。
正妻のいる身で、外に通うこと自体、褒められたものではない。
だが、一度だけ、雄二ははっきりと言ったことがある。
――私と雪絵で決めていることだ。そこに口を出されるなら……こちらも今まで通りというわけにはいかないが?
それは、雪絵との離婚を口にしたわけでも、何かを投げ出すと宣言したわけでもない。
けれど、それに近い響きを持った言葉だった。
そして何より――その条件を、雪絵自身が受け入れていると告げた。
それが、三井にとってはすべてだったらしい。
だからこそ、渋々ながらも、水曜日だけは目をつぶってもらえることになったのだ。
百合香の部屋前で、チャイムを鳴らす。
鍵を開ける音が、やけに大きく響いた。
「いらっしゃい、雄ちゃん」
百合香はいつものように笑顔で雄二を出迎えてくれた。
その微笑みにふっと肩の力が抜ける。
家では、雪絵に出迎えられても決して得られない安心感がそこにあった。
靴も脱がないままにギュッと百合香の身体を腕の中へ抱き寄せる。
抱きしめた百合香の身体が、少し薄くなったように感じられた。
百合香を腕から離して真正面から見つめると、小首をかしげて見上げられた。
(いつも通り……だよな?)
その気持ちを振り払うように靴を脱ぐと、上着を脱ぎながら、リビングへ入った。
部屋の中は、外の寒さが嘘みたいに暖かかった。
「寒かったでしょう? すぐにコーヒー、淹れるね」
「ああ、頼む」
いつもと同じ空気。
同じ匂い。
同じ、はずの部屋。
――なのに。
#極道
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月詠 涼
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鷹槻れん

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なにかが足りない気がした。
(……?)
視線が、自然と部屋の中を探る。
いつもなら、足元にまとわりついてくる小さな影がない。
柔らかい鳴き声も、聞こえない。
「……しろ?」
呼んでみる。
返事はない。
その代わりに、目に入ったのは――棚の上。
小さな骨壺と、花。
そして写真立てに入れられた、一葉の写真。
白い毛並みの猫が、無邪気にこちらを見つめている。
雄二は、しばらくそれから目を離せなかった。
意味が、すぐには繋がらない。
――だが。
ゆっくりと、それがひとつの形を結ぶ。
「……まさか」
低く、つぶやく。
その声に応えるように、背後から足音が近づいてきた。
「……ごめんね」
振り返る。
コーヒーが載ったトレイを持った百合香が、そこに立っていた。
「早く伝えなきゃって思ってたんだけど……なんか言えなくて」
「いつ?」
「先週の木曜日。雄ちゃんが来てくれた次の日の深夜に……」
コーヒーをソファ前のローテーブルに並べながら、百合香が柔らかく微笑んだ。
その笑顔がいつも通りに見えて、雄二は少しだけホッとした。
胸の奥にあった違和感が、すっとほどけていく。
「だからか……」
「……ん?」
「先週の金曜日」
「……そういえば……雄ちゃん、私がいなかったときに来てくれたんだってね」
「ああ」
「しろを火葬してもらってたの……。メッセージも返すの、遅くなってごめんね」
「いや、いい……」
ゆっくりと息を吐いて、手を伸ばす。
百合香の身体をそっと引き寄せる。
細い肩が、腕の中に収まった。
「大丈夫か?」
短く問う。
「うん。大丈夫」
すぐに返ってくる答え。
「覚悟は……出来てたんだ。しろ、このところ弱ってきてるの感じてたから……」
だから大丈夫だと、百合香は迷いのない声で雄二に微笑んだ。
そのことに、雄二は安堵した。
(思ったより、平気そうだな)
そう判断する。
腕の中の温もりを確かめながら、雄二は百合香が笑顔の奥に隠していた気持ちに――最後まで、気づくことはなかった。
コメント
2件
ゆりかさん、健気すぎて😭
ああ、第58話読んだよ……「しろ」の骨壺と写真が出てきた瞬間、胸がギュッてなったわ。百合香が「大丈夫」って笑ってるところ、平気そうに見えて実は隠してるって雄二が気づけてないのがまた切ないよな。覚悟してたって言うけど、そういう時に限って奥に秘めたものがあるんだよな……。れんさん、このじわじわくる空気の描き方、好きです。