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#すのあべ
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「……リヒトくん?」
黙り込んでしまった理人を心配そうに、ケンジが覗き込むように名前を呼ぶ。
「……悪い。なんでもない」
これ以上考えるのはやめだ。胸の奥で澱のように渦巻く感情を無理やり押し込め、理人は思考を停止させた。 ケンジの話が本当なら、遅かれ早かれ自分にも何らかのアクションがあるはずだ。今はただ、その時を待つしかない。 自分にそう言い聞かせると、理人は冷めかかったポテトを機械的に口に放り込んだ。
それからさらに一週間が過ぎ、二学期が始まった。 相変わらず蓮から連絡が来る気配はなく、その沈黙が余計に理人の心をざわつかせる。なぜケンジには接触があり、自分にはないのか。焦燥だけが空回りしていく。
「チッ、あのクソ野郎……。一体何を考えてやがる」
「鬼塚くん、ちょっといいかな」
実力テストが終わり、苛立ちを紛らわすように無意識に爪を噛んでいると、背後から声をかけられた。 鋭い視線を向けそうになるのを辛うじて抑えて振り返ると、担任の本田が、集めたばかりの解答用紙を抱えて立っていた。
「……何か用ですか」
「少し話があるんだ。放課後、生徒指導室に来てくれないか」
「……ここでできない話なんですか」
「ああ。君にとって、極めて重要な話だ」
理人は、この本田という男が心底苦手だった。小太りで脂ぎった肌、常に卑屈に歪んでいるように見える唇。そして、粘りつくような鼻につく喋り方。生理的な嫌悪感を隠すのが精一杯だ。 何を考えているのか読めない不気味さは、他の生徒たちの間でも共通の評価だった。
だが、教師である以上、公然と拒絶するわけにもいかない。理人が渋々頷くと、本田は満足げに唇を吊り上げ、教室を去っていった。
嫌な予感がする。だが、「重要」と言われて無視するわけにはいかなかった。
放課後。憂鬱な気分で重い足取りのまま階段を下りる。部活のチームメイトに遅れる旨を伝え、人気の少なくなった廊下を歩いていく。
途中、生徒会室の前に立つ蓮の姿を見かけて、心臓が跳ねた。声をかけようか迷ったが、蓮はこちらに気づくことなく、他の役員と共に部屋へと吸い込まれていった。
夏休み中、私服の彼ばかりを見ていたせいで、彼が学校の「中枢」にいる生徒会役員であることを失念しかけていた。 数ヶ月前、自分はあそこに呼び出され、理不尽に薬を盛られて犯された。
あの日以来、一方的に呼び出されては、身体の隅々まで快感を叩き込まれた。 証拠の写真や動画を盾にされ、逆らうこともできず、言いなりになるうちに――いつしか、拒絶の言葉は形骸化していった。
(犯されているという意識が、薄れていく……)
言葉では「面倒だ」「行きたくない」と言いながら、蓮に抱かれることが当たり前の日常になっていた。そして、会えなくなったこの夏休み、身体が疼いて仕方がなかったのも事実だ。 あんなに憎んでいたはずなのに、今は蓮に壊されることをどこかで望んでいる自分がいる。
(なんて滑稽なんだ、俺は……)
自嘲の溜息を漏らし、理人は目的の生徒指導室へと向かった。 コンコン、と乾いた音を立ててドアを開けると、中では本田が既に待ち構えていた。理人の姿を認めると、彼はニタリと、粘着質な笑みを浮かべる。
「そんなところに突っ立っていないで、座りなさい」
「……はい」
促されるまま、部屋の隅にある冷えたパイプ椅子に腰掛ける。すると本田は、胸ポケットから数枚の写真を取り出し、理人の目の前へ、一枚ずつ丁寧に並べた。
そこには、蓮と二人でラブホテルへと吸い込まれていく、決定的な瞬間が写し出されていた――。
「これは……」
「この間、デリヘルを待っていたら、たまたま君たちが二人してここに入っていくところを見かけたんだ」
本田の口から出た「デリヘル」という卑俗な単語が、神聖であるべき学校の空気と混ざり合い、理人の吐き気を催させた。
「あ、雨宿りを……していただけです。土砂降りだったので……」
「ふぅん? 駅の軒下では駄目だったのか? それに、目と鼻の先にコンビニもあったじゃないか」
「それは――ッ」
言い淀む理人に、本田が畳みかける。
「まさか、雨でコンビニに気づかなかったわけじゃないだろう。いくら土砂降りでも普通なら、少しぐらいは外に目が向くはずだ」
すべてを見透かすような濁った瞳が、理人を射抜く。全身を舐めるような視線が気持ち悪くて仕方がない。
「『何もなかった』とは、言わせないよ? 実は以前から気になることがいくつかあってね……写真はこれだけではないんだ」
「……くっ」
「見るか?」と言われて、理人は激しく首を振った。この男がどれほどの「証拠」を握っているのかは分からないが、それを直視する勇気はなかった。 悔しさに奥歯を噛み締めながら、理人は本田を鋭く睨みつける。だが、相手は怯む様子もなく、余裕たっぷりに唇を歪めた。
「おぉ、怖い……。まあ、そんなに睨むな。しっかしまぁ……生徒会長と学年トップがねぇ。上に知れたら、停学くらいじゃ済まないんじゃないかな」
勝ち誇った顔で告げられ、カッと頭に血が上った。
「……何が言いたいんですか」
「いやいや、私はただ忠告しているだけだよ。このことが君の親御さんに知れたら……悲しむだろうなぁ? 君のお父さんは大手製薬会社の重役だろう? 加えて叔父さんは教育委員会のお偉いさんだと聞いている」
「っ、……親に言うつもりか!?」
「本来なら、不純交遊は罰せられるべきだ。それは君も知っているはずだが? それをしないのは、君が成績優秀で品行方正だからだ。私だって鬼じゃない。君のような優秀な生徒の経歴に傷がつくのは、忍びないんだよ」
本田は口元に厭な笑みを浮かべながら、ゆっくりと理人の方へ歩み寄ってくる。
「……近寄るな」
嫌悪感に顔を歪め、理人は椅子から立ち上がって距離を取った。だが、閉ざされた指導室の中に逃げ場などなく、すぐに壁際まで追い詰められてしまう。
ドンッ、と重い音を立てて、本田が理人の両脇に手をついた。
「賢い君なら分かるだろう? どうすればいいか……」
耳元で脂ぎった吐息と共に囁かれ、背筋が総毛立った。
「君が大人しく言うことを聞くなら、私はこの件を不問にしようと思っているんだ。親にはバレたくないんだろう?」
卑しい笑みが視界いっぱいに広がる。逃げられないと分かっていて、わざと追い詰めるような言動を繰り返すその様が、何よりも気に食わなかった。 だが、この男に逆らうことはできない。理人は拳を握りしめた。 蓮のことなど、この際どうでもいい。ただ、親にだけは――あの家庭にだけは、知られてはいけない。
両親に愛されていた記憶など皆無だ。彼らが愛しているのは自分たちの輝かしい経歴と、トロフィーとしての息子の成績だけ。 男同士で淫行に及び、学校から呼び出し、停学――。そんな事態になれば、自分の居場所は文字通り消滅する。
「……っ」
理人は睨みつけるのを止め、だらんと力なく手を下ろした。それを見た本田が、満足げな表情を浮かべる。
「流石、鬼塚くんだ。物分かりが良くて助かるよ」
「うるせぇな。黙れよ、クソが」
「……言葉遣いが悪いのはいただけないが、まあいい。とりあえず、手始めに……そこに跪いて、舐めてもらおうか」
「く……ッ!」
屈辱的な命令に、理人は唇を血が滲むほど噛みしめた。
「嫌ならいいんだ。君のご両親とじっくりお話しするだけだからね。私はどちらでも構わないよ?」
理人の反応を愉しむように、本田はさらに追い打ちをかける。
「チッ……下衆が……ッ」
ここで逆らうのは得策ではない。理人は絶望と共に諦め、言われた通りに冷たい床へ膝をついた。目の前にある、安物のスラックスのチャックに、震える手を掛けた。