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「貴方、デコトラの運転手さんですよね?」
「はい、宮本っていいます。あの……キョウスケさんですか?」
榊が告げた『デコトラ』という単語と聞き覚えのある名字に、橋本の心臓が自然と張り詰めていく。
(――雅輝がどうしてここにいるんだ?)
息を飲んで見つめる、橋本の視線の先にいるふたりの雰囲気から、嫌な予感がしまくった。
「宮本さん、どうして俺の名前を知ってるんですか?」
目を見開いて宮本を見下す背の高い榊に、それ以上関わり合いになるなと、声をあげそうになる。
「実は俺の知人に、キョウスケさんのことを想ってる人がいるんです」
突如告げられた宮本の爆弾発言に目眩がして、情けないくらいに橋本の躰が戦慄いた。
(あのクソガキ、恭介に何を言うつもりなんだ!? 何を考えてやがる……)
「俺を想ってというのは――」
「あ、すみません。キョウスケさんを混乱させてしまって。その知人は、キョウスケさんに恋人がいることや結婚していることも知っています。いつも遠くから見ていたので……」
言いながら、ちらりとハイヤーの脇に立っている人物に視線を飛ばした宮本。それを受けた橋本は、憮然とした表情を浮かべつつ、中指を立てた。
宮本が橋本を見たことにより、つられるようにして榊も振り向く。立てていた中指を慌てて親指に変えるなり、いつもの穏やかな顔を作り込んだ。
心の内に荒れ狂う怒りを覆い隠すのは、正直なところ至難のわざだった。宮本がする予想外の言動を目の当たりにして、冷静でいられるほどの余裕が、橋本にはまったくなかったからである。だが――。
「すげぇな、恭介。結婚してもモテモテなんて、俺もあやかりたいものだ」
宮本が告げた知人が自分じゃないことを印象付けるべく、引きつり笑いをしながら言葉を口にする。少しでもいいから、冷静に対処できる雰囲気を醸し出そうとした。そして宮本から余計なことを言わせないように、次の手を必死になって考える。
妙な緊張感でいっぱいの、いつもと違う橋本の上擦った声に反応して、榊が茫然たる顔をしながら目を大きく見張った。
「橋本さん、覚えてないんですか? 彼は橋本さんが運転を注意した、デコトラの運転手さんだということを」
「さ、さすがはお客様の顔を一度見ただけで覚えられる、驚異の記憶力を発揮してくれるのな。おまえに言われるまで、ぜーんぜん思い出せなかった……」
直接やり取りをした、橋本が覚えていないことを不審に思った榊が質問してきたのを交わそうと、思い出せなかった部分を、あえて強調して告げてみた。
それを聞いた宮本が『あのぅ』と低い声で割り込み、ふたりの会話を遮るように話しかける。
「俺は陽さ……貴方に注意されたことを、肝に銘じて運転しているので、忘れたことはなかったです」
(忘れたことはなかっただと!? だったら既読スルーなんかするんじゃねぇよ!)
口元はほほ笑んでいるのに、怒りで目を血走らせた橋本の視線から逃げるように、宮本はぷいっと顔を逸らした。
「橋本さん、デコトラの運転手さんを怒ったときのことでも思い出したんでしょ。顔がすげぇ怖いことになってますよ」
「えっ? やっ、あのこれは――」
榊に指摘されて、はじめて自分が怒った顔をしていることがわかり、どんな表情をしたらいいのか混乱を極めた。
「宮本さん、すみません。橋本さんが怖い顔をしていたから、言いたいことが言いだせなくなったんですよね。普段はとても穏やかな人なんですけど、運転のことになると我を忘れてしまうんです」
どこか殺伐とした雰囲気が漂う中で、一番冷静な榊が会話の主導権を握ったお蔭か、和やかな空気に変わった気がした。
「車は動く凶器だからこそ、安全運転を心がけることは当然なんです。同じドライバーとして怒るのは、当然のことでしょう」
宮本が発した言葉に、橋本は腕を組みながら心の中で同意してやった。
「話を戻します。キョウスケさんを想ってる知人についてなんですが――」
「おいおまえ、知人の代わりに何でそんな大事なことを、恭介に直接言ってるんだ? その知人とやらがそのことを知ったら、絶対に怒られる話をしているのがわからないのか」
「怒られることが、わかってやってます。だけど俺は……。その知人がキョウスケさんを想い続けている姿を、見てはいられないんです。ずっと想っていたって、その恋が実ることはないのに」
我儘ともとれる宮本のセリフに、橋本の中にある何かが音を立ててブチ切れた。
「そんなもん、そいつの好きにさせてやればいいだろ。ただ想ってるだけなんだし、恭介に対しても害を与えていない」
「害を与えていないからいいなんてことは、絶対にないです。そうして自分の想いから目を背けてなかったことにして、普通に笑っていられる精神がおかしいでしょ!」
「まぁまぁ、橋本さんも宮本さんも落ち着いてください。おふたりが知人の方を大切に思う気持ちは、すごくわかりますから……」
榊が困惑した様子で間に入った。それを機に橋本はハイヤーに背を向けて、必死になった宮本をあえて見ないようにする。顔を見ているだけで、言いたいことが山のように溢れてきて、ふたたび怒鳴りそうだった。
しかしこれ以上やり合って、頭のいい榊にバレかねないと判断したので、あえて口を引き結ぶ。
「宮本さんが仰るとおり、俺を好きでい続けても知人の方の想いには、応えることはできません」
静かだけど、はっきりと聞き取れた榊の言葉は、橋本の心に嫌というほど染み入った。下唇を噛みしめながら、その気持ちをやり過ごす。
「知人がキョウスケさんを想い続けたまま、その場で立ち止まってほしくないんです。誰だって幸せになる権利があるのに、俺としてはそれが勿体ないというか……」
「宮本さんはその知人の方を、とても大切に思っていらっしゃるんですね」
「大切というか恐れ多いというか、頭が上がらない存在です」
(頭が上がらない相手のメッセージを堂々とスルーできる、雅輝の神経のほうが信じられねぇだろ)
「宮本さんが頭の上がらない知人の方を思って、こうしてわざわざ伝えてくださったことは、俺としても度の行き過ぎたお節介かなぁと思います」
榊が自分の考えと同じことに、ほらみろと心の中で嘲笑った。
「ですが相手の幸せを考えて、大胆な行動ができることは、素直に羨ましく感じました。俺はどうしても理論的に考えちゃって、尻込みするところがありますので。宮本さんは、知人の方のことが好きなんですね」
「ちっ違います!! 好きなんていう感情を抱いちゃいけないくらい、頭が高いと言いますか尊すぎると言いますか……」
慌てふためく宮本の様子が気になり振り返ってみたら、橋本が見ることを想定したのか、顔が見えないように背中を向けていた。頭頂部の寝癖が情けないくらいにひょこひょこ動いて、心の動揺を示すアンテナ代わりになってる姿に、思わず吹き出しそうになる。
「宮本さん、知人の方に伝えてもらえませんか。俺を好きになってくれてありがとうと」
「キョウスケさん?」
若干の頬の赤さを残して、顔を正面に向けた宮本を、柔らかくほほ笑んだ榊がじっと見つめる。
ほんの数秒前に告げられた言葉のせいか、橋本の肋骨の内側がじりじりと疼いた。いつものように胸がときめくような感じとは違うそれを、ただ黙って受け止めるしかない。
「誰かに想われること自体は、やっぱり嬉しく思うことですけど、応えられなくて申し訳ありませんって、宮本さんからお伝えください」
「……わかりました」
「橋本さん、すみませんが明日の朝は30分ほど、いつもより遅くお迎えをお願いします」
榊の唐突なスケジュール変更に、どうしたんだろうかと思わず目を瞬かせた。
「宮本さんの姿を見ていたら、和臣のことをもっとちゃんと大切にしなきゃなぁって、思わされました。少しでもいいから、傍にいてやりたくて」
「そうか、30分遅れで迎えに行くな」
「お願いします。それじゃあ失礼します」
榊は橋本と宮本に向かって、きちんと頭を下げると、逸る心を表わすような小走りでマンションの中へと消えていく。
そんな榊の後ろ姿を何の気なしに見送っている宮本に、橋本が視線を飛ばすと、それに気がつき、虚を衝かれたように慌てて両目を泳がせた。
「雅輝……」
「ひゃっ!」
「送ってやる。乗れよ」
背を預けていたタクシーからゆらりと躰を起こして回り込み、榊が閉めたドアを開け放ってやった。
「いえ、大丈夫です。歩いて帰れますので」
「遠慮するなよ、このクソガキ!」
意味深なしたり笑いしている橋本の顔を見るなり、走って逃げかけた宮本の襟首をむんずと掴んで動きを止めた。そのまま強引に引っ張って、無理やり後部座席に乗車させる。