Side深澤
吸血鬼なんて、昔話の中の存在だと思ってた。
でも現実は違った。
闇の中で確かに息づいて、人間のふりをして、気づかれないように生きている。
そして時に、喉の渇きに負けて人間を襲う──それが、吸血鬼。
俺がこの世界を知ったのは、15年前。
まだ子どもだった俺が襲われそうになったところを、ひとりの「ハンター」に救われた。
その時の記憶はぼんやりしてるけど、金色に光る瞳と、あたたかい声だけは覚えてる。
──吸血鬼ハンター。
それは、表の世界では存在しないことになってる組織の一員。
警察でも軍でもない、でも確実に“影”を狩るために動く人間たち。
吸血鬼にはランクがあって、
・【純血種】…生まれながらにして吸血鬼。強大な力を持ち、代々支配層。
・【転化種】…元は人間。血を吸われたり、契約により変化した存在。
・【半吸血鬼】…吸血鬼の血を受けたが完全には転化していない存在。
ハンターたちは、この吸血鬼のランクを見極めて、潜伏先を調べて、必要があれば排除する。
表向きは医療機関、研究施設、時には政府の末端として偽装されてる。
俺が所属してるこの組織も、そのひとつ。
裏で動いてるくせに、やけに規律は厳しくて、階級制度もあって──
ま、組織に所属してる俺が言うのもなんだけど、窮屈な世界だ。
―――――――――――
「またかよ……今月だけで六人目って、どうなってんだこの街」
朝、任務ファイルを開いてひとこと。
ページに貼られた失踪者の写真は、どれも似たような年代の若者たち。
共通点は「最後に確認されたのが深夜」ってだけで、それ以外はバラバラ。
でも、俺たちにはわかる。
これは“ヤツら”──吸血鬼の仕業だって。
「ふっか」
「うお、びっくりした……。ノックくらいしろよ、照」
「ノックした。お前が無視しただけ」
いつもの無表情で、でもごく自然に俺の隣に腰を下ろしてファイルを覗き込む。
照は昔からこうだ。感情が見えづらいくせに、いつも俺の一歩先にいる。
淡々としてるのに、どこか優しくて、不思議と背中を預けられる相手。
「場所は新宿の裏通り。監視カメラには映ってないが、目撃証言があった。血の跡も少し」
「じゃあ、やっぱ確定……か」
「ああ。今日、動く。準備は?」
「もうできてる。……で、また俺と?」
「文句ある?」
照の金色の目がふっと笑うように細められる。
反則だって、その目。
そんな顔されたら、文句なんて言えるわけないじゃん。
「……いや、ない。むしろ頼りにしてます、センパイ」
「軽口叩くな。車出すぞ」
俺たちは連携任務専門の“契約バディ”。
とはいえ、俺はまだ一人前とは言いがたい新人ハンター。
照の後ろをついていくだけで精一杯なこともあるけど──それでも俺は、この人と組みたい。
ビル街を抜け、夜の街に向かう車内。
助手席の窓に映る自分の顔は、どこか緊張していて。
その隣で、照は無言で武器のチェックをしてる。
「なあ、照」
「ん?」
「……なんで、俺のバディになってくれたんだ?」
一瞬、空気が止まった気がした。
「お前が俺を選んだからだろ。俺はただ、それに応えただけだ」
静かな声。でも、そこに嘘はなかった。
心臓がひとつ、鳴った。
──この人を信じていい。
そう思った、夜だった。
――――――――――
目的地は、新宿の裏通り。
ネオンの灯りが届かない、ビルとビルの隙間。
昼間は人通りが多いくせに、夜になるとまるで別世界みたいに静まり返る。
「ここだ。目撃者が言ってた、“女の子が吸い込まれるように消えた”ってのはこの路地の奥」
照が小声で言う。
俺はうなずきながら、腰のホルスターに手をかける。
仕込み刃と銀製の杭。
ふざけたようで実戦仕様、吸血鬼専用の殺傷武器。
「……気配、あるな」
「いる。ひとり──いや、二体」
刹那、風が逆巻いた。
何かが“跳んだ”音がした。上だ。
「ふっか、伏せろ!!」
バンッ!!
金属がぶつかる甲高い音とともに、何か黒い影が俺の頭上をかすめて地面に落ちる。
気づけば照が背後から俺を抱くように庇っていた。
「クソ……不意打ちかよ……!」
「下がれ。こいつは俺が──」
「いや、俺もやる!」
目の前の吸血鬼は、目だけが赤く光る黒ずくめの青年。
表情はなく、まるで人形みたいに無感情。
でもその一瞬の跳躍と着地の速さ、人間じゃありえない。
「……人間、じゃないよな、やっぱ」
「当然だ」
吸血鬼がふたたび跳ぶ。
高速で照に迫ったその刹那──照が身体を半身にひねって、その手に持った刃を振り抜いた。
ギィィィィィン!!
火花とともに、二人の武器が激突する。
「ふっか、後ろのやつ任せる。来るぞ!」
「任された!」
背後からもう一体、獣のように四つ足で駆けてくる吸血鬼。
俺は杭を抜き、右手の刃を振るう。
一歩踏み込んで相手の軌道を見切る。重心を右にずらして、左斜め下からえぐるように──!
「……っ!」
手応え。だけど浅い。傷はつけたが、致命傷じゃない。
相手は叫び声を上げ、天井を蹴って上空に逃れる。
俺の頬に、一筋の切り傷。舌でなぞると鉄の味がした。
「ふっか!!」
照の声と同時に、上からもう一体が落ちてくる。
反射的に俺はしゃがみ、照の手が閃光弾を撃ち込む。
バシュッ!!
閃光。吸血鬼の目が焼ける。
その隙を逃さず、照が一閃。喉元を深く切り裂いた。
「……処理完了」
「こっちは逃げられた。……チッ、しくった」
「十分だ。怪我は?」
「かすり傷。大丈夫。……けど、こいつら、動きが普通じゃない」
「ああ。薬か、強化か……どこかで仕込まれてる」
ふたりで並んで立つ夜の路地。
血と火薬の匂いが、鼻をついた。
静寂が戻ったかに見えたその瞬間──
「っ!? 照──っ!」
ビルの影から、音もなく“それ”は飛び出してきた。
影のように、獣のように、赤い眼だけを光らせて。
こっちの気配を完全に読んでいた。
反応が、一瞬遅れた。
俺が武器を構える前に、奴はもう目の前まで迫っていた。
鋭い爪が振り上げられる。
──やばい。
そう思った瞬間、目の前に黒い背中が飛び込んできた。
「照……!?」
ゴッ!!
肉が裂ける鈍い音と、何かが激しくぶつかる音が同時に響いた。
照が、俺の前に立っていた。
いや──庇って、肩を裂かれていた。
「……ふっか、大丈夫か」
「な、なんで……っ、お前が……!」
「お前が死んだら困る。バディだろ」
笑いも怒りもない、淡々とした声。
でも、その目はしっかり俺を見てた。
血が、黒い服にじわりと広がっていく。
「バカかよお前……!」
怒鳴るようにして、俺は照を背後に押し戻した。
今度は俺が前に立つ番だ。
吸血鬼はまだ健在。
さっきの個体よりも、動きが鋭く、目の奥に“殺意”がこびりついてる。
「こいつ、さっきまでのとレベルが違う……!」
「上位種だ。気をつけろ、ふっか……!」
「黙ってていい! お前は傷の手当てしろ!」
こいつは俺が──俺がやる。
足元の銀杭を握りしめ、正面からぶつかる覚悟を決めた。
手は震えてる。でも、逃げる気はない。
「……てめぇ、俺の大事なやつに手ェ出してんじゃねぇよ」
心のどこかで、自分の言葉に驚いた。
“照を守りたい”なんて、戦いの最中に思うなんて、俺らしくもない。
でも自身の気持ちに戸惑ってる暇なんかない。
吸血鬼が突っ込んでくる。
俺は杭を構え、真正面から踏み込んだ。
ザシュッ!
杭が刺さる感触。
奴が悲鳴を上げ、暴れる。腕を裂かれ、頬をかすめられる。
それでも、俺は止まらない。
ようやく奴の動きが止まり、崩れる。
俺は肩で息をしながら、後ろを振り返った。
「照……生きてるか」
「……ああ」
壁に寄りかかって、口元に血をにじませた照が、うっすらと笑った。
なんだよその顔。心臓止まるかと思ったんだぞ。
「バディに向かって“生きてるか”は失礼だろ」
「……今度そんな無茶したら、マジでぶっ飛ばすからな」
「俺よりお前が無茶だ、ふっか」
言い合いながらも、たしかにあったぬくもりに、俺はホッとする。
―――――戦闘を終えてしばらく、俺たちは人気のない小さな路地裏で休んでいた。
空はもう東の端がうっすら白み始めている。
こんな夜明けは久しぶりだったけど、全然綺麗とか思えない。
だって──
「……お前、血、止まってないじゃんか」
ふと目をやると、照のシャツの肩口がまだじんわりと赤く染まっていた。
さっきの戦いで庇ってくれた時の傷。
深い裂傷。痛くないはずがない。
「動くな。応急処置、するから」
「平気だ。放っといていい」
「よくねぇよ!!」
つい、声が荒くなる。
こっちは本気で心配してんのに、こいつはそうやっていつも、平気な顔して全部済ませようとする。
照は黙ったまま、ゆっくりとシャツを脱ぎかけて──
俺の目の前で、すぐにそれを引き戻すように着てしまった。
「……なあ、なんで、見せねぇんだよ」
「別に」
「“別に”って、なにが?」
俺の声が低くなる。
どうしても、その態度が引っかかって仕方がなかった。
「俺は、お前に庇われて、お前が怪我して……それ見て、また何もできなかったって、自分に腹立ってんだよ」
「…………」
「だから、せめて手当てくらい──させてくれたって、いいじゃんか」
照は一度だけ目を伏せ、それから俺を真っすぐに見た。
その瞳の奥には、なにか…決して口にしない、重たいものが潜んでいる気がした。
「ふっか。……お前に、見られたくないものもあるんだ」
静かな声だった。
でも、拒絶よりも、苦しげで、どこか哀しかった。
「それが、お前を守るってことだと思ってる。今は、それでいい」
俺は言葉を失って、ただ握った救急キットを見つめた。
“見られたくないもの”。
それが何なのか、わからない。
「……勝手にしろよ」
ぽつりとそう言って、俺は救急キットをバッグに戻した。
照は何も言わずに、それを見ていた。
空が、少しずつ明るくなっていく。
でも、俺の中にはまだ、夜が残ってる気がした。
照の言葉が引っかかったまま、俺はその場を離れた。
何も言わずに。
立ち上がって、足音をわざと立てないようにして路地を出た。
少し先の自販機の前で立ち止まり、缶コーヒーを買う。
でも、飲む気にはなれなくて、ただ手の中で冷たい缶を転がした。
──見られたくないものもあるんだ。
その言葉の意味がずっと頭の中でぐるぐるしてる。
俺はただ、手当てしたかっただけなのに。
それさえも拒むってことは──俺は、照にとって“そこまでの相手じゃない”ってことなんだろうか。
なんか、悔しくてしょうがなかった。
数分だけ、時間を置いて。
気持ちを落ち着けてから戻ると、照はそこにいた。
立ったまま、夜明け前の空を見上げてる。
肩の傷を覆うように、黒い上着を羽織っていた。
「……戻ったんだな」
「お前を一人にしたままじゃ、危ない」
「……俺のこと、相棒って思ってんの?」
「当然だろ」
その答えに、少しだけ肩の力が抜けた。
でも、まだ釈然とはしてない。
「……だったら、ちゃんと隣にいろよ」
ぼそりと呟いた言葉に、照がほんの一瞬だけ目を見開いたように見えた。
でも何も言わずに、黙って歩き出す。
俺もその後ろを追う。
さっきまでとは違って、距離はほんの少し、縮まってた。
「次の現場、どこ?」
「西新宿。倉庫街で血痕が見つかったらしい」
「……昼前までに戻れるかな。シャワー浴びたい」
「俺も。血の匂いが取れそうにない」
会話はぎこちないけど、少しずつ、元のリズムを取り戻していく。
でも、あの時の照の背中に浮かんでいた“何か”が、まだ胸の奥にひっかかってる。
──あいつ、何を隠してんだよ。
俺はまだ、何も知らない。
でも、知りたいと思ってしまった。
もっと、あいつのことを。
―――西新宿の倉庫街。
平日の朝なのに、周囲は驚くほど静まり返っていた。
風が抜けるたび、鉄製のシャッターが小さく軋む音が響く。
「……人気がなさすぎないか?」
「時間的に搬入があるはずなのに、誰もいないな」
道路脇に止められたままのトラック。
点滅したままの信号。
そして──倉庫街全体に漂う、“人間が消えたような”違和感。
「照、ここ……なんか、変だ」
「……ああ。おかしい」
歩を進めるにつれ、足音すらも重くなっていくような感覚があった。
空気が澱んでいる。
まるで、“何か”が潜んでいる空間に入り込んだような。
「この倉庫、入り口が開いてる」
俺たちが立ち止まったのは、灰色の古びた倉庫。
扉は半開きで、内部は真っ暗。
「照、ライト──」
「必要ない。俺が先に入る」
照が前に出て、扉を押し開けた。
その瞬間──
ぶわっ、と鼻を刺す鉄臭い匂いが流れ出す。
「……血の匂い」
「間違いない。中で何かがあった」
慎重に足を踏み入れると、そこはまるで“処理されていない屠殺場”のようだった。
床に広がる黒ずんだシミ。
何枚もの布が雑に積まれた隅──近づくと、それが“衣服”だとわかった。
「人の服……? こんなに何人分も……!」
俺の喉がひゅっと詰まる。
「ここで、喰われたのか……? 一晩でこれだけ?」
「いや──これ、“保存”されてる」
「……は?」
「吸血の直前、血を抜いて“冷却”して保存する。これは人間の仕業じゃない。“狩り”の仕方が効率的すぎる」
照が呟くように言う。その声に、背筋がゾワッとした。
──本能で喰うのではなく、手順を持って狩る吸血鬼。
そんなの、人間以上に人間のようで、俺にはもう理解が及ばない。
「ふっか、ここから離れるぞ。長居は危険だ」
「……でもまだ、誰か生きてるかもしれない」
「それが“罠”だったら?」
照の目が真剣だった。
それでも俺は、一歩だけ倉庫の奥へ踏み込もうとした──その瞬間。
ガチャリ。
何かが、床下から“這い出す音”がした。
「っ……今の……!」
「下だ。地下がある!」
俺たちはとっさに銃を構える。
その音の方へ近づこうとした──が、
ギィィィ……
床の奥にあった大きな金属扉が、ゆっくりと開いた。
中から出てきたのは、“人間のような顔”をした男。
でも──目が赤く、首には大量の注射痕。
そして、笑っていた。
「ようこそ、餌ども」
その声に、ぞっとした。
照が、俺の前にすっと立つ。
「……あれが、この一連の“中心”か」
「照……やるしかないな」
「……ああ。だが気を抜くな。こいつは“仕上がってる”」
地下からにじみ出す狂気と、足元を満たす濃密な血の匂い。
本物の戦いが、ここから始まる。
「……くるぞ、ふっか」
照の声と同時に、“そいつ”が動いた。
獲物を狩る獣のように、足音もなく一瞬で間合いを詰めてくる。
目だけが異様に赤く、血管が浮き出た肌はまるで硬質な皮膚みたいだった。
「っ……!」
咄嗟に銃を構えるが、間に合わない。
すぐ横から風の音──
照が身を滑らせ、間に割って入った。
「動くな!」
バシュッ!!
銀弾が吸血鬼の肩に命中。
だが、奴は怯むどころか嬉しそうに笑った。
「──効かない?」
「再生速度が早すぎる。通常弾じゃ間に合わん!」
照の指示で、俺は杭に切り替える。
同時に照が跳び上がり、吸血鬼の頭上から斬りかかる。
ガッ!!
刃が吸血鬼の腕に叩き落とされる。
でも、照は動じない。
逆に、落ちていく反動を使って奴の背後に回り込む。
その動きが──“速すぎる”。
まるで、重力を無視するような、静かで異様な加速。
……それは俺が知ってる“人間”の動きじゃなかった。
「照……」
俺が呟くと同時に、吸血鬼が俺を見た。
「そっちだっ!」
気づいた時にはもう遅い。
奴が床を蹴って、一直線に俺へと突進してくる。
「くそっ──!」
杭を構えた腕ごと弾かれ、壁に叩きつけられる。
口の中に鉄の味。目の前がグラつく。
「ふっか!!」
照の怒声とともに、奴の顔面に強烈な蹴りが入る。
グシャッという嫌な音がして、吸血鬼の顔が歪んだ。
だがすぐに回復し、舌を舐めるようにして笑う。
「……楽しいなあ。お前ら、“まだ人間”か?」
──“まだ”。
その言葉に、ぞわっと背中が冷える。
照は何も言わず、腰の武器を構え直した。
次の一撃は、仕込み刃の中央から“銀の線”が輝いていた。
「動きを止めろ、ふっか。数秒でいい」
「……やるけど、死ぬなよ?」
「お前こそ」
ふたり同時に飛び出す。
俺は杭を投げる。
狙いは奴の足元──逃げ場を奪うため。
一瞬、奴の動きが鈍った。
「──今だ、照っ!!」
照が放ったのは、銀の刃を“心臓めがけて”振り抜く一閃。
その速度と威力──空気ごと断ち切る音。
一瞬、時間が止まったかのように見えた。
刃が吸血鬼の胸を貫いた瞬間、奴の目が大きく見開かれる。
「な……んで……ッ」
ドサッと、音を立てて崩れ落ちる吸血鬼。
即座に照が杭を打ち込み、動きを止めた。
「……任務、完了」
無表情で、そう呟く照の顔に、俺は目を奪われた。
息ひとつ乱してない。
いや、それどころか──
さっき斬られたはずの腕の傷が、もう消えている。
「……照、お前、なんで──」
言いかけた言葉を、飲み込んだ。
照が、こちらを見た。
さっきまでと、なにも変わらない顔で。
でも、その瞳の奥に、ほんの一瞬、“痛み”が過った気がした。
「帰るぞ。報告と処理が先だ」
「……ああ」
照の背中を見つめながら、俺は思ってた。
──この人、何を隠してんだよ。
そして、確信する。
俺は、知らなきゃいけない。
照のことを。
俺の隣に立つこの人が、何者なのかを。
――――――――
任務を終え、報告書の提出と初期調査のデータ送信を済ませた俺たちは、
支部内の仮設休憩室に戻っていた。
無言で缶コーヒーを受け取って、隣に座る照。
あいかわらず、顔色ひとつ変わらない。
あれだけの戦いを終えた人間とは思えなかった。
「なあ、照」
「……なんだ」
「……あの時の傷、見せてくれないか」
小さな沈黙。
照は缶をテーブルに置き、こちらを真っすぐに見た。
「治ったって言っただろ」
「言ってた。でも“どうやって”治ったかは聞いてない」
また沈黙。
「見せる理由がない」
「あるだろ。俺は、お前が──“人間じゃないかもしれない”って思ってる」
ようやく照の表情が、微かに揺れた。
それでも彼は首を横に振る。
「ふっか、それ以上は──」
「……だったらもう黙んな」
俺は立ち上がって、照の前に回り込む。
反射的に照の手が俺の肩を制そうとするが──それより先に、俺は照のシャツのボタンを乱暴に引き外した。
「っ……ふっか、やめろ!」
「じゃあ答えろよ!!」
開かれた襟元。
その奥に、俺は見てしまった。
──あの夜、深く裂かれたはずの左肩。
血が止まらず、筋肉まで見えていたはずの場所。
そこには、何の痕跡もなかった。
肌は滑らかで、異常なくらい綺麗で。
人間だったら、ありえない。
「……うそだろ……。お前……」
思わず後ずさりそうになった俺を、照が掴む。
「……見たくないなら、聞くな。ふっか」
「見たくないんじゃねぇよ……知りたかったんだよ、俺は」
「だったら──知る覚悟をしろ」
その声は低くて、けれどどこか苦しそうで。
さっきまで感じていた“違和感”が、一気に現実味を帯びて襲ってくる。
「……お前、人間じゃないのか」
照は答えなかった。
ただ、目を伏せ、静かにシャツを引き寄せて着直した。
「その答えを口にするなら、お前とはバディじゃいられなくなるかもしれない。それでもいいか」
俺は……答えられなかった。
頭の中が真っ白で、呼吸の仕方さえ忘れそうだった。
照の言葉が、ずっと耳の奥で響いてた。
何度も何度も繰り返し、意味を変えて突き刺さる。
俺は、何を見てしまったんだろう。
あんな綺麗な肌、傷ひとつない肩。
さっきまで戦っていたのが嘘みたいに──完璧に“治っていた”。
それはつまり、
照が“人間じゃない”って証拠で。
そして──それを、自分に見せることを、
「言葉にするな」と拒んだ照の、精一杯の距離だった。
……心が追いつかない。
目の前でシャツのボタンをかけ直す照の手元を、
ただ呆然と見つめることしかできなかった。
「……悪い。ちょっと……ひとりになりたい」
絞り出すようにそう言って、
俺はそのまま部屋を出た。
照は、追ってこなかった。
何も言わなかった。
……それが、いちばんきつかった。
廊下を歩きながら、足音がやけに響いて聞こえる。
階段を降りて、出口のドアを開けた瞬間、
外の空気が、肌に刺さるほど冷たかった。
さっきまで一緒に戦ってたのに。
命をかけて、背中を預け合ってたのに。
何でこんなに、遠くなったんだろう。
俺は……
どうすれば、よかったんだろう。
問いかけても、答えは返ってこない。
ただ、背中に残る照の視線だけが、まだ離れてくれなかった。
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