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この手で人を殺した。
過ちだったとはいえ。
相変わらず青白く生気を失った表情の堀さんに
「今日は仕事を頑張りましたね」と言われる。
人を殺したのに頑張った?
この世界の常識の基準はどこにあるのだ。
さっきの兵士達はいつの間にか消えていた。
ただ彼らの生と死は決して夢ではなく生々しかった。
今回はあの黒服の女の怒りを買わなかったからか、殺されることはなく私はオフィスに皆で留まっている。
よく見たら、ざっと30人くらいといったところか。
皆、この世界に違和感を感じていないのだろうか。
夢であってもまた殺されるのは嫌だが、このオフィスに居続けることも苦痛だ。
しかし、娘に会うため、この世界から脱出するためには何か情報が、手掛かりが欲しい。
隣のデスクにいつもいる同年齢の女性がひとり、喫煙所でたばこを吸っているのが見えた。
この人なら話しかけやすそうだ。
不安に負けそうで、誰か仲間が欲しい。
元来、人見知りの私は喫煙所のドアを開けると勇気を出して彼女に話しかけた。
「あの…少し話しても大丈夫ですか?」
彼女は人懐っこい笑顔で「どうぞ」と席を空けてくれた。
嫌な顔されなくて良かった、とホッとする。
「さっきは、包帯の処置とか…すごく上手でしたね」
「私、看護師をしてたから慣れてるだけよ」
ああ、だからか。
「そうなんですね。私、櫻田涼子と言います。お名前聞いて良いですか?」
「渡邉一花よ。一つの花って書いて、いちか。」
「渡邉さん、さっきの兵士の人達に私が飲ませた薬って…」
看護師ならわかっているはず。
「ああ、気にすることないよ!」
え?気にすることない?
「櫻田さん?だっけ。あなたがテキパキと薬を皆に飲ませてくれたから助かったわ」
助かった?
「私の処置する時間が省けて。どうせ助からない人達よ」
人懐っこい印象とは裏腹に恐ろしいことを言う。
この人は仲間なのか、敵なのか。
もはや誰を信用してよいのか判断出来ない。
「渡邉さんは…目の前で人が死んでも怖くないの?」
恐る恐る尋ねてみる。
「だって夢の中よ?この世界の話でしょ。現実ではあの兵士達がどうなったかはわからないけど」
今までずっと引っかかっていた、腑に落ちるワードを渡邉さんから拾った。
゛夢の中゛
渡邉さんも夢の中の話だと思っているということ。
さっきの発言はともかく、やっと同志を得たようでもっと詳しく話をしたかった。
「渡邉さんもこの世界を夢だと思っているの?」
渡邉さんが黙る。
「わからない。でも現実じゃこんな奇天烈なこと起こらないんじゃない?」
確信があるわけでは無いのか。
それはそうだ、私と一緒だ。
「渡邉さんはこの夢から早く覚めたいと思わない?」
「うーん…慣れるとこの世界も楽しいよ」
えっ、慣れると?
「あなたは長い間、この世界に…夢の中にいるっていうこと?」
「1年ぐらいかなぁ」
喫煙所の壁に貼られたカレンダーを見ながら彼女が言う。
今日が2025年3月6日。
私がたぶん夢を見始めたのは、二日前。
1年もこの世界にいたら気が狂いそうだ。
「現実に戻りたいと思わないの?」
「現実かぁ…。現実のほうが私には地獄かも」
どういうことだ?
「家族は居ないの?」
「いたけど」
いたけど?要領を得ない。
「私、看護師してたって言ったでしょ?」
「うん」
「看護師してるとね、人の生死とか麻痺してくるの。さすがに新人のときは受け持ちの患者さんが亡くなったら泣いたりしていたけど」
「看護師じゃないから分からないけど…慣れてきちゃうってこと?」
「そう、毎日人が死んでいくのが当たり前の環境でいちいち涙が出なくなった」
そうゆうものなのか。
「特に末期のがん患者さん診てたから。この患者さんはただ苦しんでいる日々で生きている意味あるのかな、なんて。あと少しで死ぬって分かってるのに」
やっぱり渡邉さんの思考が怖い。
「周りの家族のエゴで生かされているだけの人もいるし、いろいろ考えちゃったよね。でも苦しんでいる本人が死を選択出来ないっておかしいよなって」
「それはちょっと…わかるかも」
私なんて、子供の成人を見届けたらこのつまらない人生から脱却したいと安楽死について考えていたくらいだ。
二日前の自分を殴ってやりたい。
恥ずかしい。
結局、私は生死に真剣に向き合ったことのないあまちゃんだったのだ。
「それでも患者さんを助けるのが一応仕事だから、言われた通りのことだけはやっていたけどね」
「そう…」
「でもやりがいなんてなかった。どうせ助からない患者に点滴とか打って無駄な日々を生きながらえさせるだけだもん。生活のためだけに働いていただけ」
私が描いていた看護師像と渡邉さんは、かけ離れすぎている。まぁ、人それぞれ価値観が違うのだろう。
「退屈していたのかも」
渡邉さんが言う。
「そんな…大変な仕事なのに?」
「うん、なんか毎日が空虚だったよ」
空虚、退屈…
まさにそれは二日前の私だ。
渡邉さんが話を続ける。
「だからね」
「人を殺した」
彼女の唇から発せられた言葉が、私の背筋をゾッとさせた。