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ウインカーの音が途絶えたタクシーは、緩い上り坂から続く橋の凹凸でガコンと車体を跳ね上げた。源次郎の喉仏のすぐ下に掛けられた電源コードがその弾みで首をグッと締め付けた。


「ゲボっごほっ」

「運転には気を付けなさい、逝っちゃうわよ」

「ど、何処にですか」

「あの世よ」


 源次郎は緊張で乾き切った口で芽来に問い掛けた。


「蓮根畑の中に行くんじゃ無いですか」

「誰が」

「僕が」

「そうなるわね」


 ぎゅっと首のコードに力が込められる。


「そんな事したら、僕とこのまま河北潟にドボンですよ」

「・・・・・・」

「良いんですか」


 車一台すれ違えるか如何かも分からない干拓地と水辺の葦の壁を突っ切る一本道はもやに包まれ、ヘッドライトの白い線が空に向かって伸びていた。時速40kmにも満たない速度でノロノロと前に進むと、助手席側に何本かの畦道あぜみちらしき農道が畑を区切るように等間隔で続いている事に気が付いた。


(ーーーーーーあーーー、この先にあるんだよな、蓮根畑)


 よそ見をする度に電源コードは襟元を強く締め付けた。


「め、芽来さん」

「なに」

「あなたはけいさんです、か」

「あぁ、知ってたの」

「はい」


 少しばかり力が緩んだのを感じた。


「なぜ、けいさんなのにめぐさんなんですか」

「特別に私の本当の名前、教えてあげましょうか」

「はい、ぜひ」


 芽来の顔が運転席と助手席の間ににゅっと出て源次郎の顔を凝視した。その不気味さに源次郎の身体には鳥肌が立った。


「私は嘘で出来ているの」

「嘘」

「戸籍もなければ保険証もない、マイナンバーカードもない」

「はい」

「この世の中には居ない人間なの」

「はい」

 

 芽来はフロントガラスに広がる干拓地とその一本道を眺めながら話を続けた。その声は何処か悲しげでもあった。


「お父さんが生きていた頃まではめぐむと呼ばれていたの」

「めぐむ」

「恵まれるの恵と書いてめぐむ、お母さんの和恵から一文字取ったんだって」

「だから、芽来さん」

「そうよ」


「でも、お父さんが死んでからお母さんは私の事をけいと呼んだの」

「なぜ」

「色々と誤魔化したかったんだって」

「お母さんが」

「うん」


 芽来の体温が少しばかり上昇した。横顔は静かな怒りに満ちていた。ドレスのようなワンピースからは発酵させた牧草の臭いとニコチン臭がした。


「そんなお母さんに腹が立ってタバコを押し付けたんですか」

「なに」

「お母さんの身体には、新しい火傷の痕がありました」

「あなた、そこまで知っているの」

「ええ」

「タクシーの運転手さんなのに」

「成り行き上」


「そうよ、私を嘘にしたお母さんが憎かった」

「お母さんを殺害した理由を教えて下さい」

「だって本当の事を言いたいから警察に行くって」

「はい」

「今まで嘘ばかりだったのに」

「はい」


 その時、助手席側の農道で何かが光った。


 助手席のドアミラーの端に何かが光り、源次郎は咄嗟に運転席側のドアの外を見た。そこは河北潟の葦が生える水辺ではなく、休耕田を再利用した太陽光発電パネルが何列も設置された砂地だった。


(水じゃない、土だ!)


 源次郎はシフトレバーを下ろすと右足で思い切りブレーキを踏み、黒い革のハンドルを上半身の力いっぱいに込めて握り続けた。後輪が空回りする。


(ま、マジですか!)


 助手席側のフロントドアに、シルバーグレーの捜査車両のバンパーが遠慮なく突っ込みボンネットが大きく跳ね上がった。タクシーはその勢いに押されて太陽光発電パネルの何枚かを吹き飛ばし、ドアミラーが捥げ、ピラーが粉々に砕け散った。エアバッグが源次郎を押し潰すと助手席側のエアバッグも飛び出し、その衝撃で芽来は後部座席のシートに吹き飛んだ。


 周囲で一斉に赤色灯が回り河北潟干拓地を赤く染めた。ばらばらとパトカーから飛び出してくる警察官がタクシーの後部座席のドアをこじ開けると気を失った芽来を車外に引き摺り出した。


「確保、確保ーーーーーー!」


 シルバーグレーの捜査車両を大破させた張本人が源次郎の肩を揺さぶった。


「しまじろー!大丈夫か!」

「井浦さん」

「死ぬな!死ぬなーーーーーーー!」

「い、うら、さん」

「なんだ!」

「む、無茶しないで下さい」


 井浦は通算二台の石川県警捜査車両を廃車にした。

52歳警部補に懐かれて困っています 井浦 結の捜査記録簿

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