石川県警捜査一課の一角、愛想の無い小部屋に黒いTシャツと黒いスウエットパンツに着替えた恵めぐむがギシギシと鳴るパイプ椅子に座っていた。細い手首には手錠が掛けられている。部屋の片隅では警察官がノートパソコンを開き二人の会話を丁寧に拾い上げキーボードに打ち込んでいた。
化粧を落とした恵は女装していた時の可愛らしい面影はあるものの、夜が明け陽が高くなる頃には顎に髭が生え始めた。当然、胸の膨らみはなく正真正銘の男性である事は明らかだった。目線はグレーのスチールデスクに落としたまま微動だにしない。
井浦は泥だらけになったコートを脱ぎ、濃灰色のスーツに黒いワイシャツ、濃紺のネクタイをやや緩めて足を組みパイプ椅子にふんぞり返っていた。
「名前は」
「めぐむ、けい、めぐ」
「三つもあるのかそりゃ結構なこった」
「年齢は」
「分かりません」
「現住所は」
「ありません」
「家族構成」
「みんな死にました」
「そうか、気の毒だな」
どこまでが真実でどこまでが空想の世界なのか定かでは無いが、恵が無戸籍である事、父親と母親が大野牧場近くの蓮根栽培の泥の中から発見された事は揺るぎない事実だった。
父親が屍蝋化死体になるに至った理由は性的暴行が事の発端だった。
恵が6歳か7歳(推定年齢)の頃から一年以上の間、山下五雄は実の息子である恵に性的暴行を加えていた。セックスを強要されそれに耐えかねた恵は自宅にあった包丁を持ち出し行為の最中に振り回したという。
※斜め上45度の陰茎、下腹部中心の殺傷痕は低身長ならば可能と推測
然し乍ら多量の出血でも絶命に至らず、山下五雄から日常的にドメスティックバイオレンスを受けていた大野和恵がコタツのコードで首を絞め殺害を試み、近所の沼地(現在の蓮根栽培地)に遺棄した。
「出ました!」
恵の供述を裏付ける証拠として大野牧場牛舎二階のリフォームされたリビングの壁と床を剥がした結果、血液のルミノール反応が検出された。
山下五雄殺害後、殺人が露呈する事を恐れた大野和恵は息子の呼び名を変え、周囲には「遠縁の親戚に預けた」とふれまわり幼い息子を牧場の二階に閉じ込めて育てた。昼間は屋内でテレビのビデオを見るように言い付け、夜間のみ牧場敷地内の暗闇で遊ぶ事を許した。また、無戸籍ゆえ小学校中学校の義務教育を受けておらず、体調を崩した時は医者にかかる事も無く市販薬で治療した。
そして今から六年前、芽来という少女が突然大野牧場に現れた。それは身長や腕力が母親を上回った恵だった。これまでのネグレクトに対する鬱憤と怒りで恵は母親に殴る蹴るの暴行を加え、幼い頃によく見た光景をなぞるようにその皮膚にタバコの火を度々押し付けた。
ようやく手に入れた自由。
ところが、蓮根栽培の泥水から山下五雄の死体が発見されたと知った大野和恵は自首する事を決意した。恵は「警察署に出頭する」と言い家を出た母親の首を発作的にコタツのコードで締め、以前見た光景をなぞり蓮根栽培の畑に遺棄した。
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