私たちはこのままだと精神的に死ぬと思い、日本で流行っていたものをひたすらとソ連軍に内緒でやってたのです。カルタ、日本独自の季語を入れる俳句、野球など、、、しかし、楽しかったのはほんのひと時でした。
ソ連は全てのものを没収していくのです。
私「お願いします。我々には生きる希望が必要なんです!お願いします。。。」
ソ「日本語を文字に残すなどスパイなのか?」
私は必死に抵抗しましたが、またもや失敗し、南京虫のところに入れられました。
野球はまだバレてない頃。
私「バッターは六大野球の4番古満選手です」
のように楽しく賑やかにしていました。しかし底にはまたソ連軍が来てしまいさっさと解散しろっとボールとバットを取り上げられてしまいました。私はもちろん抵抗します。何度もムチで叩かれようと蹴られようと。すると1人の日本兵が
「お願いします。野球をすることで作業も効率よくなるんです!どうか。お願いします!」
ソ連軍は渋々了承し、我々は野球を取り戻すことに成功しました。だが、作業はより厳しくなりました。少し怠るものがいればムチで打たれる。
ついに我慢の限界になった佐藤と宮野はラーゲリから逃げることをしました。もちろん逃げれることも無くあっけなく銃殺されてしまいました。
時はたち日本敗戦から10年。
私たちはついに家族への手紙を許可されました。みんな嬉しそうに紙とペンを持って書きました。私もその1人です。
家族へ
オ元気デスカ。私ハ元気ニイキテオリマス。ハハ、サチエ、ユキヒロ、トモヒロハ、ヨウヤク手紙ヲカク許可ヲ戴キマシタ。カナラズカエリマス。アトスコシデカエレルトオモウノデマッテイテクダサイ。
以下省略…
とかき日本に送った。
数ヶ月後。各自手紙の返信が来ました。私は家族が生きていると知り、喜ばしい気持ちになりました。
しかし上官は母が亡くなってしまいました。
そこで生きる希望を失った上官は死んでもいい覚悟でラーゲリから逃げようとするのです
私「何をしてるんですか!無駄な行動はやめてくださいよ!」
上官「もうどうだっていいんだよ!家族も死んだ!生きる意味なんて俺にはねぇよ」
私「生きる意味がなくても希望はあるんです!」
逃げようとする上官を必死に抑える私。しかし私は上官にひっくり返されてしまい、耳の辺りから激痛が走りました。
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