翌日のレッスンでは、彼は猛特訓の成果を出して先生に褒められていた。嬉しそうに俺を振り返る彼に、俺も顔が綻んで親指を立てた。
次の日も、その次の日もダンスレッスン。
元貴も週に何回かやって来てレッスンに加わる。 俺達は自分の職業はダンサーなのかもしれないと錯覚するくらいダンスに打ち込んでいた。
そんな日々が続く中、レッスンの合間に元貴が何でもないことのように言った。
「俺、ソロで曲出すから」
それは俺にとって、そして恐らく彼にとっても、かなりの破壊力がある言葉だった。
かろうじて立っていた足元の薄氷が音を立てて割れていくような感覚に襲われながら、努力して笑顔を作る。
「そうなんだ、どんな曲?」
なるべく明るい声で尋ね、元貴の言葉に相槌を返すので精一杯だった。
その後のことは正直あまり覚えていない。元貴が打ち合わせがあるから、と帰って行った後、状況を察した先生達が早めにレッスンを終えてくれた。その後は何をするでもなくぼんやりと座っていた気がする。
「若井、ごめんだけど先にシャワー使っていい?」
涼ちゃんに声をかけられ、頷いたのは覚えている。 あれはどのくらい前だっただろう。窓の外を見ると日が暮れかけている。 俺もシャワーを浴びようと腰を上げた。
浴室に入って熱いお湯を浴びていると、元貴の言葉が耳に蘇る。 途端に喉が締め付けられるような感覚を覚え、吐く息が震えた。
遂にこの日が来てしまった。
休止を聞かされた時から、いや、もしかするともっと前から。この時がいつかやって来るんじゃないかと思っていた。
アイツの足を俺達が引っ張っているんじゃないか。だからアイツは休止という選択をしたのではないか。分かっていながら、それでも勘違いであって欲しいと思っていた自分の甘さに反吐が出る。 ボロボロと目から溢れる涙を感じながら、嗚咽を噛み殺した。
どれだけ時間が経ったのかシャワーが床を打つ音に意識が向くようになり、気持ちが少しずつ静まっていく。
「暑…」
レバーに手を伸ばし、水温を下げる。ほとんど水に近い雫が熱った体に心地よい。そのまま髪を洗った。
体を拭きながら、泣いてスッキリした頭で考える。アイツが俺を要らないというなら、必要とされる人間になればいいだけだ。
少し気持ちが軽くなったところで、急に同居人のことを思い出した。彼は、涼ちゃんはどうしているんだろう。
手早く服を着て、2階に向かう。彼の部屋の前に立ち、ドアをノックした。
「…涼ちゃん?いる?」
返事はない。どこかに出かけているのかもしれないな…と考えていると、中から微かにズズ、と鼻を啜る音が聞こえた。
「涼ちゃん?入っていい?………開けるよ?」
しばらくドアの前で待ったが、やはり返事はない。拒絶の言葉もなかったから、と言い訳をしながらドアレバーを押し下げた。
もしかして鍵がかかっているかもしれないと思ったが、カチャッと音がして扉が開く。
電気のついていない薄暗い部屋の中、ベッドに膝を抱えて座っている彼が見える。
電気をつけるか迷ったが、廊下の明かりに頼ることにした。 ドアは開けたままベッドに歩み寄り、彼の隣に腰を下ろす。
「わかい……」
俯いたままの彼から掠れた小さな声がして、耳を彼に寄せる。
「うん?」
「ばんごはん、ごめん……当番、なのに…」
またこの人は、と苦笑する。
「だから違うって。文句言いに来たんじゃなくて、心配してんの。」
そっと伸ばした手でその頭を撫でる。
年下のくせに生意気って思われるかな?嫌がられたら止めよう。
「……また、元貴に…言わせちゃった…」
弱々しい声が聞こえる。髪をすくように撫でる手は止めず、その続きを促す。
「何を?」
「休止も、ソロも…………おれが、図々しく、居座ったから……。高野と綾華みたいに、自分から、去れば良か、た……ッ…」
息を詰まらせながら話す彼に、胸が締め付けられる。頭を撫でていた手をその震える肩に回す。
「何言ってんだよ、そしたら俺1人だったじゃん。俺ヤだよ?今の生活1人でやれないよ? …俺には涼ちゃんが必要なんだから、そんなこと言わないで」
顔を上げた彼が驚いたようにこちらを見る。目 も鼻も真っ赤でぐちゃぐちゃだ。 その顔を見て、ふっと笑う。
「俺は諦めないよ。んで、涼ちゃんも諦めないで。一緒にめちゃくちゃ凄い俺らになってさ、元貴にまたミセスやりてーって思わせよう?」
「………できるかな、そんなこと…」
涼ちゃんの目が揺れる。
ニッと笑ってその顔を覗き込む。
「できるまでやるだけでしょ!なんせ俺は昔1回捨てられてるからね〜、こんなん慣れっこだよ」
最初に元貴と組んだバンドが解散した時のことを持ち出すと、彼が少しだけ笑う。
「まぁ今回は俺も、正直けっこうショックだったけどさ。キツイ時は1人で抱えんのやめよ、特に涼ちゃんはヤバい方に考え行っちゃうから。俺に言って」
はっとした顔の涼ちゃんが涙に濡れた目を瞬かせて俺を見る。それからその手が俺の目元に触れた。ちょっと冷たい。
「若井も…若井こそ辛かったよね。ごめん、おれ、自分のことばっかりで…」
泣いたのバレたかな。ちょっとカッコ悪い。
「俺も同じだよ、しばらく意識飛んでたし。でもさ、これから1人で泣くのナシね。約束して」
「…若井もね?若井も泣きたくなったらおれに言ってよ?」
そんな鼻水垂らして何言ってんだよって思ったけど、ちょっと胸があったかくなったから「ありがと」って言っておく。
「さー腹減ったね、何かデリバリーでも頼む?」
景気づけるように勢いよく立ち上がって、ベッドに座る彼に手を差し出す。
「…うん。今日はサボっちゃおっか」
ふふ、と笑った彼が俺の手を取って立ち上がる。その冷たい手を温めたいな、とぼんやり思いながら2人で部屋を後にした。
コメント
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尊い......😇💙💛
うーん、暖かい…💙💛