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柘榴とAI

朝の小屋には、まだ火のにおいがうすく残っていました。かまのそばのあたたかさが、板の床にやわらかくひろがって、窓のところには、うすい光がたまっています。棚のはしに置かれた袋を、リルが両手で持ちあげようとして、すこしだけ傾きました。
グルゥはそのまま手をのばし、袋の口をきゅっと結びなおします。もうひとつ、小さな布をたたんで、袋の底へ入れました。帰りにパンを包むためのものらしく、白かった布は、何度も洗われて、朝の雲みたいな色になっていました。
リルはそれを見て、袋のふくらみを指でつつきます。
「ぱん」
小さく言うと、グルゥはうなずきました。それだけで、出るしたくはもうできたようです。
戸をあけると、外の空気はひんやりしていて、草の先が朝の気配を抱えたまま、じっとしていました。小屋の前の石はまだつめたく、井戸の桶には、水の青い重みがのこっています。リルはくつの先で土をひとつこすり、ふわりと立った土のにおいを少しだけ吸いこみました。
グルゥが戸を閉める音は、いつも小さいのです。大きな手なのに、木の板にさわるときだけ、風が通るみたいに静かでした。
ふたりは細い道へ出ました。森のほうから来る風が、枝のあいだをくぐって、リルの髪をすこしだけゆらします。道ばたの石は、朝の光を受けて、まだ眠そうな色をしていました。リルは丸い石をひとつ見つけて、しゃがみこみます。拾いあげてみると、手のひらにちょうどおさまる大きさで、片面だけなめらかでした。
グルゥは立ち止まり、急かさずに待っています。
リルは石を見て、それから道の先を見ました。今日は町へ行くのです。石は道ばたへ戻されて、かわりに空いた手が袋の端をつかみました。グルゥはその様子を見て、袋を自分の肩へかけなおします。リルの手には、軽いほうだけ残るようにしてありました。
森と町のあいだの古い門が見えてくるころには、光はもう木の根元まで降りてきていました。門の角はまるくすれて、長いあいだ、たくさんの朝をくぐってきたようです。わきにはいつもの衛兵が立っていて、槍の先だけがひやりと光っていました。
リルは門を見あげ、それから衛兵のくつもとにできた小さな影を見ました。影はきちんと足にくっついていて、まるでそこに置かれた黒い布みたいです。
衛兵は何も言わず、ふたりも何も言わず、そのまま門をくぐりました。
町の中は、森よりすこしだけ音が多くありました。木箱を動かす音、井戸で桶を引く音、どこかで布をはたく音。どれも遠くで鳴っていて、朝の鍋のふたがことこと鳴るのに少し似ています。広場の石段には、早くきた人たちの足音がこつこつ落ちていました。
リルは歩きながら、干された布を見ました。風にふくらんだり、また細くなったりして、白い魚が空を泳いでいるみたいでした。パンのにおいは、まだ町の奥からうすく流れてくるだけです。それでも、あたたかい色の気配がして、リルの足どりはすこしだけ前へ向きます。
パン屋は広場から少し入ったところにありました。戸は半分ひらいていて、そこから焼けた粉のにおいが、静かにこぼれています。店先の木の棚には、丸いものや細長いものが並んでいて、どれも朝の火をまだ胸のあたりに残しているようでした。
中には、パン屋のおばさんがいました。腕まくりをして、大きな木の板を片づけているところです。ふたりが来るのを見ると、おばさんはちらりと顔を上げました。
「朝からでかいのとちいさいのだね」
ぶっきらぼうな声でしたが、手はもう棚の下へ伸びていました。いちばん端にあった、少し焼き色のやわらかな黒パンを取り、ついでのように、ころんとした小さな白パンもひとつ持ち上げます。
リルは棚の上の丸いパンを見ていましたが、その白パンが木の板に置かれる音で、そちらへ顔を向けます。
「くれるの」
「売るんだよ。ほら、ぼんやりしてないで持ちな」
そう言いながら、おばさんは白パンの下へ紙ではなく、やわらかい布きれを一枚しいていました。手早く包んで、熱が逃げすぎないようにしてあるのです。
グルゥが袋からルクスを出すと、おばさんは指先で数え、ふんと小さく鼻を鳴らしました。
「黒パンは二つぶんの焼きだよ。今日はうまくできたからね」
そう言ってから、代金はきちんと一つぶんだけ受け取りました。言葉はそこで止まり、かわりに包んだ白パンを、リルの手の届くところへ少しだけ寄せます。
リルは受け取って、布ごしのぬくもりを両手にのせました。まだあたたかくて、朝の火が小さく丸くなっているみたいでした。
「……あったかい」
おばさんは板を拭きながら、こちらを見ないまま言います。
「店の前で落とすんじゃないよ」
グルゥが袋を持ちなおし、リルの手もとを一度だけ見ました。リルは白パンを胸の近くへ抱えて、こくりとうなずきます。
半分ひらいた戸の向こうでは、町の光が、石の道の上へ薄くのびていました。パン屋の中には、焼けた麦のにおいと、さっき包まれた布のぬくもりが、まだ静かに残っていました。
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