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それにしても、一体どこまで行くのだろうか。
疑問に思いつつも着いていくと、駅近くの繁華街にあるビルの一階に入っているカフェレストランの前で立ち止まった。
「ここ、デートスポットとしても有名なんですよ。まぁ、御堂さんは俺なんかよりずっとオシャレなお店に詳しいとは思いますが」
そう言いながら慣れた様子で店内に足を踏み入れる。蓮は少し気圧されながら、慌ててその後を追った。
店内は程よい暖色の照明に照らされ、落ち着いた雰囲気が漂っている。昼のピークは過ぎているはずだが、客席は八割方埋まっていた。
案内されたのは、半個室で仕切られた窓際の奥まったテーブルだった。蓮は席に座るなり、焦燥感を隠さず単刀直入に切り出した。
「それで、僕に話したいことって?」
「あぁ、それなんですが……」
注文を取りに来たウェイトレスにコーヒーを二つ頼むと、東雲はそれまでの軽薄さを消し、神妙な面持ちで口を開いた。
「御堂さんは、塩田という男をご存知ですか?」
「いや……知らないな」
その名前に蓮は首を傾げた。全く記憶にない名前だったが、東雲の険しい目付きからして、あまり筋のいい人物ではない予感がする。
「そうですか。では、二年前のあの転落事故については?」
蓮は眉間にシワを寄せると、考え込むように腕を組んだ。
「……何が言いたい?」
低く問い返すと、東雲はさらに表情を曇らせた。過去の事故と、今回の失踪事件の繋がりがさっぱり読めない。
「そんな怖い顔しないでください。……今回、奈々さんという方を調査していくにあたって、塩田という男の影が浮上しました。この男、かつて現場で小道具を置き忘れるミスをして、アクターに大怪我を負わせた挙げ句、仕事をクビになっているんです」
「それは……初耳だな」
「そうでしょうね。……元々物忘れが激しく、片付けられない性格だったようで。『たかがステッキを置き忘れていただけなのに、それを踏みつける奴が悪い!』と、解雇される最後の最後まで毒を吐いていたみたいですよ」
「……」
言葉を失い、蓮は沈黙した。確かにあの日、自分にも不注意はあった。雨が降りしきり視界は最悪で、足元にまで注意が回っていなかった。
まさか踏み切る瞬間のその位置に、あんなものが放置されているなど想像すらしていなかった。避けられなかった自分が悪いと言われればそれまでだが、崖から飛び降りるために全力で助走をつけていたのだ。直前で気づいたところで、物理的に止まれるはずもなかった。
結果として、崖下の生い茂った樹木がクッションとなり、奇跡的に命を繋ぎ止めることができたのは、文字通りの幸運でしかない。一歩間違えれば、今ここでコーヒーを飲むことすら叶わなかったはずだ。
それでも、腰を強打した衝撃は凄まじく、しばらくは寝返りを打つことさえままならない入院生活を余儀なくされた。あの時走った稲妻のような激痛と、復帰への焦燥感は、今でも古傷が疼くたびに蘇ってくる。
――それだけではない。あの日以来、蓮の体には「高さ」という名の呪いが刻まれていた。 波打ち際を歩く分にはまだいい。
だが、一歩でも高台に登り、眼下に広がる青い水平線を視界に入れた瞬間、指先から血の気が引いていく。蛇に睨まれた蛙のように体が竦んで、指先一つ動かせなくなるのだ。
アクターにとって、身体が意のままにならないことは死を意味した。かつて花形として画面を駆け抜けていた蓮は、この恐怖に屈し、一度は表舞台から退く道を選んだ。引退。その二文字を飲み込むまでの絶望は、今も胸の奥に澱のように溜まっている。
復帰を果たした今も、現場のスタッフたちは皆、蓮の抱えるこの致命的な弱点を知っている。だからこそ、今作の構成からは、海辺のシーンがあっても高所でのアクションや崖際での立ち回りは、徹底して排除されていた。
「君を守るためだ」という周囲の過保護なまでの配慮は、ありがたくもあり、同時に自分の欠落を突きつけられているようで、蓮の心を複雑に波立たせる。
そんな蓮の沈黙を、東雲の淡々とした声が破った。
「彼が原因で映り込んではいけないものが映り込み、NGを出すなんて日常茶飯事だったようですね。しかもその度に反省の色を見せず、『自分は悪くない』と喚くばかりで、周囲も相当手を焼いていたとか」
我に返った蓮は、テーブルの下で震え始めた自分の膝を、骨が軋むほど強く押さえつけた。 なるほど、救いようのない厄介な相手だ。
「で? その塩田という男と、今回の失踪事件はどう繋がるんだい?」
蓮の問いに東雲は苦笑いを浮かべて肩をすくめ、運ばれてきたコーヒーに口を付けた。一度ゆったりと息を吐き出し、声を潜める。
「そう急かさないでくださいよ。……その塩田は、自分から職を奪った相手……つまり、御堂さんと、番組制作そのものに対して強い逆恨みを抱いています」
「へぇ。僕を、恨んでいると?」
「ええ。御堂さんがあの時ステッキを踏んで転落さえしなければ、自分は今も仕事を続けられていたと本気で信じ込んでいる。そして今回、あなたが『獅子レンジャー』に復帰するという情報を、何らかのルートで掴んでしまった」
東雲は一呼吸置くように言葉を切り、射抜くような視線を蓮に向けた。
「……それってつまり、今回の失踪事件は、塩田による僕への復讐だと言いたいのか?」
蓮が確認するように聞き返すと、東雲は小さく首肯した。 そんな馬鹿げた話があるだろうか。自分に恨みを持つ人間が、あえて別のCGクリエイターを拉致する。そんな回りくどい執念が、現実に起こり得るのか。
疑念は尽きなかったが、目の前の東雲は至って真剣な眼差しでこちらの出方を窺っている。少なくとも、彼が嘘を吐いているようには見えなかった。
「番組を中止に追い込む算段を立てていた塩田は、ある日、偶然にも猿渡監督から執拗なセクハラを受けていた、純朴そうな奈々さんと接触します。 ここからは俺の推測も混じりますが……塩田は、被害に悩み、仕事を辞めたいと溢していた彼女に言葉巧みに近づき、唆したのでしょう」
「……」
そういえば、以前の飲み会の席で、美月が言っていた。「監督が地味で巨乳な冴えない女性を口説いていた」と。 失踪直前に奈々さんに恋人ができたらしいという同僚の証言とも、パズルのピースが嵌まるように一致する。
「……それで? 彼女と塩田の行方は掴めているのか」
「それがですね、そこはまだ調査中なんです。俺は警察じゃないんで、情報のアクセスにも限界がありまして。近々、大吾に相談しようと思っていたところです」
東雲はそう言うと、わざとらしく大きな溜息を吐いた。 大吾と呼ばれたその人物は、確か警察官だったはずだ。そんな国家公務員が、一介の調査員の話で安易に動くとは到底思えない。
「あぁ、心配いりませんよ。大吾はああ見えて口が堅いですから。今回の失踪、ご家族からも捜索願が出ていないので、現時点では警察が公に動くことはありません。ですから、大吾には個人的な『相談』という形で動いてもらおうかなと」
「それって……あまり褒められた方法じゃないんじゃ……」
「言ったでしょう? 俺とあいつはビジネスパートナーなんです。あいつも捜査に行き詰まった時は、こっそり俺に知恵を借りにくる。逆に俺は、警察のデータベースでしか分からないことをこっそり大吾に頼む。そうやって解決できた事例は結構あるんで、お互いウィンウィンの関係なんですよ」
「な、なるほど……?」
倫理的には危うい気もしたが、二人が奇妙な信頼関係で結ばれていることだけは理解できた。
それにしても、反吐が出るほど回りくどい真似を。自分に恨みがあるのなら、正々堂々と直接ぶつけに来ればいいものを。
塩田という男の身勝手な逆恨みのせいで、雪之丞は不必要な制作負担を強いられ、現場も無駄な撮影を余儀なくされている。
それを思うだけで、蓮の胸のうちは煮えくり返るような不快感に支配された。 苛立ちを必死に押し殺しながら、蓮は冷めかけたコーヒーカップへと視線を落とした。