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街はクリスマスムード一色だった。
イルミネーションが輝き
カップルや家族連れが楽しそうに歩いている。
社会人一年目の柚葉(ゆずは) は
仕事帰りの疲れた足取りで駅へ向かっていた。
寒さに耐えきれず
コートのポケットに手を突っ込みながら歩く。
「早く帰ってこたつに入りたい……」
そう思いながらふと目を向けた先に
道端で座り込む少年がいた。
制服姿のその子は明らかに寒さに震えている。
「……え?」
思わず足を止めた。
高校生くらいだろうか。
肩を抱えるようにしてうずくまり 顔色も悪い。周囲の人々は見て見ぬふりをして通り過ぎていく。
(放っておけない……)
柚葉は意を決して近づき、膝をついた。
「ねえ、大丈夫?」
少年はゆっくり顔を上げた。
まだ幼さの残る顔立ちに、少し長めの黒髪。
凍えるような冷たい目をしていた。
「……さむ……い……」
声がかすれている。
見れば制服の上にマフラーすらなく、コートも着ていない。
「何してるの、こんな寒いところで」
少年はぼんやりと柚葉を見つめ
ゆっくりと唇を動かした。
「……帰る場所、ない……」
その言葉に、柚葉の心がざわついた。
「……ちょっと待ってて」
柚葉は自分のマフラーを外し
少年の首に巻きつけた。
温もりに驚いたように目を見開く彼に、優しく微笑む。
「こんなところにいたら、凍えちゃうよ」
「……でも」
「うち、来る?」
そう言ってしまった瞬間柚葉は自分で驚いた。
普通なら警察に連れて行くのが正しい選択だろう。
でも、目の前の少年を今すぐにでも温めてあげたかった。
少年は驚いた顔をしたあと、小さく頷いた。
「……お邪魔します」
柚葉は彼を立ち上がらせゆっくりと歩き出す。
柚葉のアパートは、
駅から徒歩10分ほどのワンルーム。
社会人になってすぐに借りた部屋で
特別広くもなければおしゃれでもないが
暖房の効いた部屋は外の寒さとは別世界だった。
「とりあえず、入って」
少年は戸惑ったように玄関で立ち尽くしていたが、柚葉に促され、おそるおそる中へ入った。
「靴、脱いでね」
「あ、うん……」
ぎこちない動きで靴を揃える少年を見て
柚葉は微笑んだ。
礼儀正しいんだな、と少し安心する。
「寒かったでしょ。今すぐお風呂入る?」
「え……」
少年は驚いたように柚葉を見上げた。
「あんた、すごい冷えてるし。お湯張ってくるから、ちょっと待ってて」
そう言って柚葉はバスルームへ向かい
湯を張り始めた。
ちらりと振り返ると、少年はまだ玄関のところで立ち尽くしていた。
「ねえ、名前は?」
「……冬真(とうま)」
「冬真くんね。私は柚葉」
「……柚葉さん」
名前を呼ばれた瞬間
なぜか少しくすぐったい気持ちになった。
「湯が溜まるまで、こたつ入ってなよ。風邪引くよ」
「あ……うん」
促されるままに、冬真はこたつへ入る。
じんわりと温まる感覚に、目を細めた。
その様子を見て、柚葉はキッチンへ向かう。
(とりあえず、何か温かいもの……)
冷蔵庫を開けると、大した食材はなかったが
冷凍庫にシチューの残りがあるのを見つけた。
(これ、温めよう)
鍋にシチューを移し、コンロに火をつける。
コトコトと温まる音を聞きながら
柚葉はそっと冬真のほうを振り返った。
こたつに入りながら彼はじっと湯気の立つシチューを見つめていた。
「……お腹空いてる?」
冬真は少しだけ視線を逸らし、こくりと頷いた。
「そっか。じゃあ、すぐに温めるから」
その一言に、冬真の唇が微かに震えた。
「……ありがとう」
ぼそっと呟かれた言葉が、妙に胸の奥に響いた。
「お礼は、ご飯食べてからね」
そう言って微笑むと、冬真は少しだけ頬を染めたように見えた――。
シチューを温めている間柚葉は冬真の様子をそれとなく観察していた。
こたつの温もりに包まれて
少しリラックスしたのか、彼の肩の力が抜けているのが分かる。
けれど、その目はどこか不安げだった。
(この子、一体どうして家に帰れないんだろ……)
気になったが、無理に聞くのはやめた。
無理に踏み込んでも、彼が心を閉ざすだけな気がしたから。
「……はい、できたよ」
柚葉はシチューの入った皿を冬真の前に置いた。
「猫舌だったら気をつけてね」
冬真はスプーンを手に取り、そっと口に運んだ。
一口、二口と食べ進めるうちに、その表情が柔らかくなっていく。
「……おいしい」
「ふふ、よかった」
ホッとしたように微笑むと
冬真は少し照れたように視線を落とした。
シチューを食べ終わるころには、彼の顔にも血色が戻っていた。
「お風呂、もう入れるよ」
「……いいの?」
「いいに決まってるでしょ。タオル出しておくね」
柚葉が立ち上がろうとすると、冬真がポツリと呟いた。
「……なんで、こんなに優しくしてくれるの?」
その言葉に、柚葉は少し驚いた。
(そんなの……)
「目の前で寒そうにしてる子を放っておけるほど、私は冷たい人間じゃないから、かな」
「……そっか」
冬真はふっと小さく笑った。
その笑顔が、妙に切なく見えた。
(この子、一体どんな事情を抱えてるんだろ……)
そう思いながらも
今は無理に聞かないでおこうと決めた。
「ほら、お風呂行っておいで」
「……うん」
そうして、冬真は浴室へと消えていった。
湯の音を聞きながら、柚葉はそっとため息をつく。
(この子を拾っちゃったけど……どうしよう)
けれど、不思議と後悔はなかった。
むしろ、この寒い夜にひとりで震えていた彼を、ひとまず温めてあげられたことが嬉しかった。
柚葉はこたつにもぐりこみ、ゆっくりと目を閉じた。
冬真が風呂から上がると
柚葉が用意しておいた自分の部屋着を着ていた。
少し大きめのスウェットが、彼の華奢な体を包んでいる。
「……変じゃない?」
冬真は袖口を少し気にしながら尋ねた。
「全然。むしろ似合ってるよ」
「そ、そっか……」
珍しく照れたように目をそらす冬真に
柚葉はクスッと笑った。
「ほら、こたつ戻りなよ。髪、まだ濡れてるよ」
「あ……」
柚葉はタオルを手に取り
自然な流れで冬真の頭にかぶせた。
「拭いてあげる」
「えっ、自分で——」
「じっとして」
冬真が言いかけるのを遮り
柚葉は優しくタオルで彼の髪を拭き始めた。
「……なんか、懐かしいな」
「え?」
「……昔、母さんがよくこうやって拭いてくれた」
ポツリと落とされた言葉に
柚葉はタオルを持つ手を止めた。
(母さん……?)
冬真の横顔が、どこか寂しげだった。
「お母さん、今は?」
小さな声で聞くと
冬真は少し間を置いてから口を開いた。
「……死んだよ」
まるで当たり前のことのように言われて
柚葉の心がギュッと痛んだ。
「父さんは、再婚して……家に居場所がなくなった」
静かな声だった。
けれど、その奥にある孤独は痛いほど伝わってくる。
「だから、帰る場所がないって……」
冬真はうなずいた。
「でも、柚葉さん……知らない人の俺を、なんでこんなに優しくしてくれるの?」
その問いに、柚葉は一瞬言葉に詰まる。
目の前で震えていた彼を放っておけなかった。それだけだった。
「……別に、理由なんていらないよ」
「……」
「人に優しくするのに、理由がいる?」
冬真は驚いたように目を見開いた。
しばらく沈黙が続いたあと、彼はポツリと呟いた。
「……なんか、泣きそう」
「泣いてもいいよ」
「……バカ」
ふいに冬真が小さく笑った。
ほんの少し、緊張がほぐれた気がした。
柚葉はそっと彼の頭を撫でる。
「今日はもう、ゆっくり休みな」
「でも……」
「うちはホテルじゃないけど、クリスマスの奇跡ってことで。いいでしょ?」
そう言って微笑むと、冬真は静かに目を伏せた。
「……ありがとう」
その声は、さっきより少しだけ温かくなっていた。
こうして、柚葉と冬真の不思議なクリスマスの夜は、静かに更けていった——。