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第二部
第七章 心に残る、たった一言 ―千景視点―
僕は昔から、自分の気持ちを整理するのが得意なほうだった。
仕事でもそう。
どんなに難しい案件でも、冷静に考えれば答えは見つかる。
けれど。
最近、一つだけ。
どう考えても答えが出ないことがあった。
それは――。
遥のことだった。
「ふたり、おたがいのこと、すっごくだいすきなんだね。」
ちーちゃんが笑いながら言った、あの日。
最初は笑って流した。
子どものように純粋な勘違いだと思っていた。
……思っていた、はずなのに。
仕事をしていても。
書類を見ていても。
会議をしていても。
ふと、その言葉が頭をよぎる。
(どうして、あんなに気になるんだろう。)
午前十一時。
役員会議が終わる。
「社長、お疲れさまでした。」
「ありがとう。」
役員たちが部屋を出ていく。
一人になった会議室は、とても静かだった。
僕はネクタイを少し緩め、大きく息をつく。
疲れた。
そう思った、その時。
コンコン。
「ちか。」
聞き慣れた声。
「入って。」
ドアを開けた遥は、湯気の立つマグカップを持っていた。
「休憩。」
「ありがとう。」
自然に受け取る。
昔からそうだった。
僕が疲れている時。
遥は何も言わずにコーヒーを淹れてくれる。
「今日は少し濃いめ。」
「分かった?」
「うん。」
一口飲む。
やっぱり美味しい。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
それだけ話して、遥は仕事へ戻っていった。
静かになった部屋で、僕はカップを見つめる。
(どうして分かるんだろう。)
疲れていること。
欲しいもの。
タイミング。
昔から、遥だけは全部分かっていた。
昼休み。
社長室には僕一人。
遥は別の部署との打ち合わせへ行っている。
いつもなら書類を読む時間。
なのに。
集中できない。
時計を見る。
(もう終わったかな。)
五分後。
また時計を見る。
(まだかな。)
さらに十分。
結局、資料は一ページも進まなかった。
「……。」
思わず笑ってしまう。
(僕、何してるんだ。)
気付けば、遥が戻る時間ばかり気にしている。
そんなこと、今まで一度もなかった。
「失礼します。」
ドアが開く。
「ただいま。」
その声を聞いただけで、不思議と胸の力が抜けた。
「おかえり。」
自然と笑っていた。
「何かあった?」
遥が首を傾げる。
「いや。」
「?」
「なんでもない。」
本当は。
『待ってた。』
そう言いそうになった。
自分でも驚いてしまう。
午後。
取引先とのオンライン会議。
遥は僕の隣で資料をめくっている。
会議中。
分からない数字が一つあった。
僕が口を開くより先に。
遥がそのページを開いて差し出した。
「これ。」
「ありがとう。」
言葉はそれだけ。
でも。
息が合いすぎている。
画面越しの取引先まで笑って言った。
「相変わらず息ぴったりですね。」
「高校時代からの親友なんです。」
そう答えながら。
胸が少しだけ痛くなる。
(親友。)
間違ってはいない。
でも。
その言葉だけで片付けてしまって、本当にいいのだろうか。
夕方。
窓の外が茜色に染まる。
受付から内線が鳴った。
『社長、ちーちゃんがお見えです。』
「迎えに行こう。」
立ち上がる。
隣を見ると、遥ももう立ち上がっていた。
「行こうか。」
「うん。」
二人で歩く。
この時間が好きだ。
理由は分かっている。
ちーちゃんが来るから。
……それだけじゃない。
隣に遥がいるのが、当たり前になっているからだ。
その当たり前を、失いたくない。
そんなことを思ってしまう。
エレベーターの前。
「にぃに!」
「ちーちゃん。」
元気いっぱいの笑顔。
その隣で。
「はるにぃ!」
「おかえり。」
遥も優しく笑っている。
ちーちゃんは二人の手を握る。
「えへへ。」
「今日はね。」
「うん?」
「ふたりとも、わらってる。」
「よかった。」
その一言だけで、僕まで笑ってしまう。
夜。
ちーちゃんを家まで送り届けたあと。
自分の部屋へ入る。
静かな部屋。
ネクタイを外し、ベッドへ腰を下ろす。
ふと、スマートフォンを見る。
そこには今日の仕事の連絡。
そして、その中に一件だけ。
遥からのメッセージ。
『今日はお疲れさま。ゆっくり休んでね。』
たった、それだけ。
短い文章。
なのに。
思わず笑ってしまう。
『ありがとう。遥もお疲れさま。』
送信する。
数秒後。
『おやすみ、ちか。』
また返事が来た。
「……。」
スマートフォンを胸の上に置く。
ちーちゃん。
君は本当にすごいね。
君は何気なく言っただけなんだろう。
でも。
あの一言で。
僕は初めて気付いてしまった。
遥が隣にいることが、どれだけ自然で。
どれだけ安心できて。
どれだけ大切なのか。
まだ、この気持ちが何なのかは分からない。
だけど一つだけ確かなことがある。
明日もまた。
会社で遥に「おはよう」と言えることが、今は少しだけ楽しみになっている自分がいた。
ーーー
第二部 第七章終わり。
第二部 第八章へ続く。
コメント
1件
**はる。です** ちーちゃんの「すっごくだいすき」という一言が、千景の中でじわじわと効いてきてる感じ、すごく良かったわ。自覚してないけど確実に遥に惹かれてるのが、会議中の息の合い方とか、戻る時間を気にしちゃうシーンで伝わってくる。仕事モードの千景がこうやって揺れるの、めちゃくちゃときめく。続きが待ち遠しい🔥
𝐀𝐘𝐀_

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メイ
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