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第二部
第八章 変わらないはずだった毎日 ―遥視点―
困っている人を見ると放っておけなくて。
だけど、少しだけ不器用な人。
そんな千景を見ているうちに、気付けば目で追うようになっていた。
その気持ちは、卒業しても、社会人になっても変わらない。
だから僕は、自分の想いを心の奥へしまった。
親友でいられるなら、それで十分だと。
……そう思っていた。
でも。
ちーちゃんの、あの一言がすべてを変えてしまった。
「ふたり、おたがいのこと、すっごくだいすきなんだね。」
あの日から、その言葉が何度も頭の中で繰り返されていた。
朝。
会社へ向かう途中。
信号待ちで車を止める。
スマートフォンを見ると、まだ七時四十分。
(もう、ちかはちーちゃんを大学へ送っている頃かな。)
そんなことを考えている自分に苦笑する。
以前なら、「今日はどんな資料を作ろう」と仕事のことを考えていた。
なのに最近は、最初に浮かぶのは千景のこと。
(重症だな……。)
誰もいない車の中で、小さく笑った。
会社へ着く。
社長室の準備を済ませ、今日のスケジュールを確認する。
コンコン。
「おはよう。」
聞き慣れた声。
振り返ると、千景が立っていた。
「おはよう、ちか。」
いつもと同じ朝。
それなのに。
「……。」
ふと目が合う。
何でもないことなのに、少しだけ照れくさい。
「どうした?」
千景が首を傾げる。
「いや。」
「眠い?」
「違う。」
「体調悪い?」
「それも違う。」
「じゃあ……。」
心配そうに見つめてくる。
その優しさが昔から好きだった。
(……ほら。)
また考えてしまう。
「大丈夫。」
「本当に?」
「うん。」
「無理しないで。」
その一言だけで胸が温かくなる。
「ありがとう。」
午前中。
取引先へ資料を届けるため、一人で外出した。
電車に揺られながら、窓の外を見る。
(静かだな。)
会社ではいつも隣に千景がいる。
だから一人になると、不思議と物足りなく感じる。
(前から、こんなだったかな。)
思い返す。
高校時代。
文化祭。
体育祭。
受験。
大学。
就職。
会社。
振り返れば、人生の大切な場面にはいつも千景がいた。
「……。」
それが当たり前すぎて、今まで深く考えたことはなかった。
昼過ぎ。
会社へ戻る。
エレベーターを降りると、社長室のドアが少し開いていた。
中では千景が一人、昼食を食べている。
「あ。」
目が合う。
「おかえり。」
その笑顔を見た瞬間。
不思議なくらい安心した。
「ただいま。」
自然と笑顔になる。
「終わった?」
「うん。」
「お疲れさま。」
「ありがとう。」
その短いやり取りだけで、心が落ち着いていく。
(帰ってきた。)
そう思ってしまった。
会社なのに。
社長室なのに。
まるで家へ帰ってきたような安心感。
「……。」
(これは、ずるいよ。)
午後。
仕事は順調に進む。
会議資料をまとめていると、千景が声を掛けた。
「はる。」
「ん?」
「少し休憩しよう。」
「いいよ。」
二人でソファへ座る。
コーヒーを飲みながら、静かな時間が流れる。
会話はほとんどない。
それでも居心地がいい。
「ねぇ。」
「ん?」
「ちーちゃん、今日は何してるかな。」
千景が笑う。
「午後は実験の授業だったはず。」
「ちゃんと起きてるかな。」
「多分、半分くらいぽやぽやしてる。」
「あはは。」
二人で笑う。
気付けば、話題は今日も千弥のこと。
だけど。
その何気ない時間が、とても幸せだった。
夕方。
受付から連絡が入る。
『社長、ちーちゃんがお見えです。』
「迎えに行こう。」
「うん。」
また自然と並んで歩く。
社員たちは微笑みながら見送る。
「社長と遥さん、本当に息ぴったりですね。」
「今日も仲良し。」
そんな声が聞こえる。
昔なら笑って流していた。
でも今日は少しだけ照れてしまう。
「はる?」
「ん?」
「顔、赤い?」
「……気のせい。」
「そう?」
「そう。」
千景は首を傾げるだけだった。
(鈍感なんだから。)
心の中で小さく笑う。
その鈍感なところも、昔から変わらない。
夜。
自宅。
ソファへ座り、一人で紅茶を飲む。
静かな部屋。
ふとスマートフォンが震えた。
『今日はお疲れさま。ゆっくり休んでね。』
千景からだった。
たった一文。
仕事の連絡でもない。
短い気遣いのメッセージ。
それだけなのに。
「……。」
思わず頬が緩む。
『ありがとう。ちかもゆっくり休んで。おやすみ。』
送信する。
数秒後。
『おやすみ、はる。』
その文字を見つめながら、僕は静かに息をついた。
高校生の頃。
この気持ちは伝えなくていいと思った。
親友のままでいい。
そう決めた。
だけど。
ちーちゃん。
君の一言は、本当にすごい。
君は何も考えずに言ったんだろうね。
でも、その言葉のおかげで、僕は自分の心から目をそらせなくなった。
千景の笑顔を見ると安心する。
千景が疲れていると心配になる。
千景が嬉しそうだと、僕まで嬉しくなる。
昔から変わらないと思っていた気持ちは、変わっていなかった。
変わったのは、それを認められるようになった僕自身だった。
窓の外では、夜空に小さな星が輝いている。
僕は静かに微笑みながら、小さく呟いた。
「……明日も、おはようって言えるといいな。」
その何気ない一言が、今の僕にとっては何より楽しみな約束になっていた。
ーーー
第二部 第八章終わり。
第二部 第九章へ続く。
コメント
1件
このエピソード、すごく良かったです。遥が「気付けば目で追うようになっていた」って一文に、長年積み重ねてきた想いの重さが凝縮されている感じがしました。それでいて「おかえり」「ただいま」みたいな何気ない会話にほっこりする。千景の「帰ってきた」感は会社なのに、もう家族みたいな安心感があるんですね。そして「変わったのは、それを認められるようになった僕自身」――この一文が全てを語ってる。遥、やっと自分の気持ちと向き合う覚悟ができたんだなって思いました。続きが気になります!
𝐀𝐘𝐀_

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メイ
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