テラーノベル
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中学生の夏。湿気を含んだ空気が肌にまとわりつき、じっとりとした暑さがまともに息をするのも嫌にさせる。
青く澄んだ空の下で、太陽みたいに笑っていた君。
——ねえ、どうして。
どうして、俺を置いていったんだ…っ、
どうして、俺より先にいなくなったんだよ…っ!
中学生だったあの夏から、いくつか季節が過ぎた。
月明かりが、静かにあたりを照らしている。
「……」
叔母さんに買い物を頼まれて、久しぶりに外へ出た。
数週間ぶりの外は、暑さに慣れていない俺にとって、息苦しい。
まだ5月だというのに、空気はやけに重く感じた。
自動ドアが開くと、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
外の暑さが嘘みたいで、少しだけ肩の力が抜ける。
カゴを手に取り、適当に売り場を歩く。
叔母さんに頼まれたものだけを入れて、レジに向かった。
レジに商品を置く。
「袋はご利用ですか?」
「……いらないです」
短いやり取りだけで、会計はすぐに終わった。
スーパーを出ると、夜だというのに熱気が肌にまとわりついた。
早く帰ろう。
そう思いながら、足を速める。
——その時。
かすかに、泣き声が聞こえた。
足が止まる。
気のせいかと思ったが、耳を澄ますと確かに聞こえる。
子どもの声だ。
……関わると面倒なことになる。
そう思って、何もなかったかのように歩き出した。
家はもうすぐそこだ。
玄関の前で足を止め、ドアノブに手をかける。
その時だった。
「うるさいっ!!」
鋭い怒鳴り声が、夜の静けさを切り裂いた。
思わず顔を上げる。
声は、家のすぐ近く、奥の荒れ地の方から聞こえていた。
数秒後、ひとりの若い女性が、荒れ地の方から足早に走ってくる。
その近くに、子どもの姿はなかった。
——まさか。
視線が、自然と荒れ地へ向く。
……いや、関係ない。
……関わると、ろくなことにならない。
そう思った。
——関係ない。
——俺には、関係ない。
そう言い聞かせるみたいに、頭の中で繰り返す。
聞こえないふりをして、
ドアノブを握り直す。
何度も、何度も思い知ってきたはずなのに。
「……一瞬だけ」
小さく呟いて、振り返った。
荒れ地の奥。
電柱の影に、小さな影がうずくまっている。
一歩、近づく。
喉がひどく乾く。
——やめとけ。
——関わるな。
頭の中で、何度もそう声がする。
それでも。
「……おい」
声をかけると、少年がびくりと肩を震わせた。
ゆっくりと顔を上げる。
——似ている。
けど。
……そんなわけ、あるはずない。
「あ……ごめん!」
先に口を開いたのは、少年の方だった。
「うるさかったよね、ほんとごめん……!」
「……いや、そうじゃなくて」
言葉がうまく出てこない。
目の前のこいつから、目が離せなかった。
「どうか、したのか」
やっとそれだけ絞り出す。
「え? あー……」
少年は少しだけ視線を逸らして、困ったように笑った。
「ちょっと転んじゃってさ」
「……は?」
その軽い言い方に、違和感が残る。
よく見ると——
「……おい、それ」
思わず声がかすれた。
腕にも、足にも。
いくつもの傷が見える。
「あー、これ?」
少年は気にした様子もなく笑った。
「派手にこけちゃってさ、、笑」
——違う。
そんなわけ、ない。
分かる。
こういうのは——
「……なんで笑ってんだよ」
気づけば、そんな言葉が漏れていた。
少年は一瞬だけ、きょとんとして。
それからまた、笑った。
「え?」
「だって、そんな大したことないし」
——その言い方が。
——その誤魔化し方が。
あまりにも、あいつに似ていて。
少年は、困ったように笑った。
その笑い方に、見覚えがあった。
——やめろ。
思い出したくないのに。
それでも、勝手に浮かんでくる。
あいつも、同じ顔で笑っていた。
「なつくん、大丈夫?」
困ったように笑いながら、そう言うんだ。
何でもないみたいに。
自分の方が無理してるくせに。
あの時、
真夏の空気が、肌にまとわりついていた。
「なつくん!」
明るい声が、すぐ後ろから聞こえる。
振り返ると、こさめがこちらに駆け寄って来ている。
「……お前」
近づいてきた姿を見て、思わず眉をひそめた。
「また怪我、増えてねえ?」
「えー? そうかな」
こさめは自分の腕をちらっと見て、首を傾げる。
「気のせいじゃない?」
「気のせいなわけねえだろ」
ため息が漏れる。
「……また、なんかされたのかよ」
「んー?」
一瞬だけ、間があいた。
でもすぐに、いつもの調子で笑う。
「なにもされてないよ」
——嘘だ。
見れば分かる。
こんな傷、普通にしてたらできるはずがない。
「じゃあ、これなんだよ」
こさめの腕を指さす。
「こんなの、転んだくらいじゃ——」
「……そんなことないって!」
言葉を遮るように、こさめが笑った。
困ったように。
誤魔化すみたいに。
「ちょっとドジなだけだって!」
「……ほんとに、大丈夫なのかよ」
思わず、もう一度聞いていた。
「だから大丈夫だってば」
こさめは少しだけ呆れたように笑う。
「なつくん、心配しすぎ」
「心配もするだろ」
「へーきへーき」
軽く手を振って、また笑った。
——まただ。
その場は、それで終わった。
その次の日。
「なつくん、見てこれ」
そう言って最近はやっているらしいアニメの動画を見せてきた。
その手の甲には、新しい擦り傷がある。
「……増えてんじゃねえか」
「あー、これ?」
こさめは一瞬だけ言葉に詰まって、すぐに笑う。
「ちょっとぶつけただけ」
「どこでだよ」
「えー、覚えてない」
へらっとした笑い。
——また、だ。
夕方の帰り道。
こさめはいつも通り、隣を歩いている。
「なつくんさー、今日さ——」
楽しそうに話しているその声に、ふと違和感を覚えた。
……歩き方が、少しだけおかしい。
「……おい」
「ん?」
「足、どうした」
「え?」
一瞬だけ、言葉が止まる。
でもすぐに、いつもの調子で笑った。
「なんでもないよ?」
「なんでもなくねえだろ」
「ぶつけただけだってー!」
——また、それだ。
「……なあ」
「んー?」
「無理してんだろ」
その言葉に、こさめは一瞬だけ黙った。
——やっと、止まったと思ったのに。
「してないってばー!」
少しだけ間を置いて、また笑う。
「なつくんこそ、変なこと言うねー!」
——また、笑った。
「ねえ、大丈夫?」
声をかけられて、はっと我に返る。
「……ああ、大丈夫」
「ほんとに?」
少年はじっとこちらを見つめて、
それから少しだけ笑った。
「なんか、魂抜けてたけど」
「……うるせえよ」
思わずそう返すと、
「あ、やっぱ元気じゃん」
なんて、軽い調子で言う。
「よかった!」
ぱっと表情を明るくして笑う。
——こいつ、ほんとに。
どこまで分かってんだか。
「ねえ」
「さっきさ、なんか思い出してたでしょ」
「……別に」
目を逸らす。
「へぇ?」
少年はあっさり頷いて、
「でも、あんまりいい顔じゃなかったよ」
「……」
図星だった。
「……昔のこと、思い出しただけだ」
「ふーん」
少年は少しだけ首を傾げて、
「やなこと?」
「……」
「……まあ、そんなとこだ」
「そっか」
少年はそれ以上は聞かずに、ただ頷いた。
——なのに。
「顔、つらそうだったよ」
「……別に。俺が悪かったから、ああなった」
少年は、少し黙って
「俺が悪いって、何したの?」
「……別に、大したことじゃねえよ」
適当な言葉で誤魔化す。
「じゃあなんでそんな顔してんの」
「……っ」
「……助けられなかった」
……言うつもりなんてなかったのに。
気づけば口からこぼれていた。
「なつくんッッ!!」
——強い光。
とっさに、腕を引かれて。
視界が揺れる。
最後に見えたのは——
笑ってる顔だった。
今まで見たことのない、心からの。
「それ、本当にそうなの?」
「は、?」
思わず聞き返す。
少年は少し首を傾げて、
「さっき、“俺が悪い”って言ってたけど」
「ほんとにそうなのかなって」
「……」
言葉が出てこない。
分かってる。
ずっと、そう思い込んでただけだって。
でも——
「……分かんねえよ」
やっと、それだけ絞り出す。
少年は少しだけ目を細めて、
「へぇ」
とだけ言った。
それ以上、何も言わなかった。
——否定も、肯定もせずに。
ただ、そこに立っていた。
「……帰るわ」
ふいに、そう言っていた。
「そっか」
少年は、あっさり頷く。
「じゃあね」
背を向けて、歩き出す。
数歩進んだところで——
「……なつくん」
呼び止められる。
振り返ると、
少年は、あの時と同じように笑っていた。
困ったように。
でも、どこか優しく。
「ちゃんと、生きてね」
——あいつと、同じ顔だった。
「……っ」
何かを言おうとして、言葉が出てこない。
ただ、一つだけ。
「……なあ」
「ん?」
「お前、名前は」
少年は少しだけきょとんとして、
それから、空を見上げた。
ぽつり、と。
頬に冷たいものが落ちる。
「……こさめ、だよ」
そう言って、笑った。
——それから、どれくらい経っただろう。
気づけば俺は、高校の教師になっていた。
特別な理由があったわけじゃない。
ただ、なんとなく。
「ちゃんと、生きてね」
あの言葉が、ずっと頭に残っていた。
——ある日の放課後。
誰もいなくなった教室で、
ひとり、書類をまとめていた時だった。
「せんせー!」
不意に、声をかけられる。
振り返ると、
見慣れない生徒が、ひとり立っていた。
「どうした?」
「ちょっと聞きたいことあって」
そう言って、へらっと笑う。
——その笑い方に、見覚えがあった。
「……名前、なんだっけ」
なんとなく、そう聞く。
生徒は少しだけきょとんとして、
「…」
「……忘れちゃった?」
なんて、不思議そうに言う。
それから、窓の外に目を向けると、
小さな雨が降っていた。
——また、あの名前を思い出した。
コメント
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こしゃめ~!
ちとせ@モチベがあがらない
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