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少し垣間見えたその素直な反応に縋りたくて、藤澤は期待を込めて口を開いた。
「久しぶりだし、ちょっとお話しない?すぐそこだよ」
元貴の視線が泳いだ。
服の裾を無意識に指先で弄っている。これは元貴の迷っている時の昔からの癖だった。思わず笑みが浮かびそうになったが、努めて穏やかな表情を保つ。
やがて、彼は溜め息ともつかない小さな息を漏らすと、藤澤と視線を合わせないまま、消え入りそうなほど小さく頷いた。その横顔には、強がっていた尖った表情が少しだけ消え、昔見せたような幼さがふっと顔を出していた。
「ん、じゃあ行こうか。あ、俺買い物行かないといけないからその後でも大丈夫? 」
「うん、別にいいよ」
藤澤は、その返事を逃さないようにしながらも、彼を急かさないゆったりとした歩調で歩き出した。元貴は、その斜め後ろを影をなぞるようにしてついていく。
二人で歩く歩道には、生暖かい乾いた風が吹き抜けていた。元貴の歩調を乱さないようにゆっくりと歩きながら、隣の様子を伺うように声をかける。
「…今の園はどんな感じなの?」
元貴は自分の足元を見つめ、黙り込んだ。 拒絶というよりは、どう言葉にすればいいのか分からないような様子だった。
藤澤は少し視線を上げ、前方の景色を見つめながら、話題を変える。
「先生とか前と変わった?」
その問いには、数秒の間のあと、元貴の唇が微かに動いた。
「…園長先生が変わった。涼先生がいなくなったくらいに」
ボソッと漏れた声。
「あとは…りお先生とか、ゆうき先生も、どっかいった」
元貴は相変わらず視線を地面に落としたままで、何事もないように淡々と話している。けれど、その指先が上着の袖をぎゅっと握りしめるのを見て、藤澤は彼の中に溜まった小さな寂しさを敏感に感じ取った。二人とも、元貴が心を開いていた数少ない先生たち。頼りにしていた大人たちが次々と去っていく、不安定な環境。
「そっか…寂しいね」
藤澤が共感するように呟くと、元貴はそれを振り払うかのように、パッと顔を横へ向けた。
「別に。他の人が勝手に入ってくるし」
吐き捨てた言葉には、期待してもどうせ裏切られる、という諦めが滲んでいた。視線を泳がせ、自分に言い聞かせるように冷めた表情をつくる元貴。その瞳は、あの日パズルのピースを見つけ自分を肯定出来たときの輝きとは程遠く、どこか遠い場所を見ているようだった。
藤澤は胸を締め付けられながらも、今の彼の本音に少しでも近づきたくて、慎重に言葉を選んだ。
「新しい先生はどんな人なの?」
問いかけると、元貴の足がほんの一瞬、もつれるように乱れた。
再び口を閉ざす。今度は先ほどよりもずっと深く、暗い沈黙。彼は一度だけ、藤澤の顔を盗み見るように視線を上げたが、すぐに逃げるように目を逸らした。
(話せるような関係じゃないのかもなぁ…)
黙り込んだ元貴の横顔には、誰にも甘えられず、たった一人で戦い続けてきた孤独が、痛いほどに張り付いていた。藤澤はそれ以上無理に聞き出すのをやめた。
買い物に行き、薄暗い影が伸びる頃、 二人は太陽の園の門をくぐっていた。
「あ、涼先生!おかえり!」
庭で遊んでいた子どもたちが、藤澤を見つけるなり駆け寄ってくる。その元気な声に、元貴はびくりと肩を震わせ、反射的に藤澤の背中に隠れるようにして歩幅を狭めた。子どもたちは、見慣れない同年代の少年に気づくと、一斉に探るような、純粋ゆえに遠慮のない視線を元貴に向けた。
元貴は、その視線から逃れるようにますます顔を伏せてしまう。侵入者として警戒されているような、居心地の悪さに耐えているようだった。
藤澤は子どもたちを優しくいなすと、元貴を連れて建物の中へと入り、客用の相談室へと案内した。
「その辺に座って〜」
そう言って促すと、元貴は吸い込まれるように、部屋の隅にある小さなソファに腰を下ろした。
そこは、ベージュや木目を基調とした落ち着く色合いの部屋だった。元貴は、緊張で強張ったまま、視線だけを動かして部屋の隅々を見渡していた。棚に並んだ絵本、壁に貼られた柔らかなタッチの掲示物。穏やかな空気感に慣れない様子で戸惑っているようにも見える。
(ここなら、少しは落ち着けるかな……)
藤澤は元貴の対面に座る前に、彼の様子をじっと観察した。
元貴はソファの端に、左足の重みを逃がすようにして斜めに腰掛けていた。
「…足、痛いの?」
「ううん、平気」
元貴は即座に否定し、目を伏せた。藤澤は黙って床に膝をつき、元貴の足元に視線を落とした。ズボンの裾から覗くふくらはぎには、痛々しい青黒いアザが浮き上がっている。それは単に転んでできた擦り傷ではなく、誰かに強い力で踏みつけられたかのような、禍々しい形をしていた。
「ちょっと包帯持ってくるね」
「え、いいって!」
元貴の鋭い制止を背中で聞き流しながら、藤澤は手早く救急セットを持ってきた。
「ほんとにいいから。自分で替えられないし」
「帰ってから先生に替えてもらえばいいじゃん」
「……」
藤澤の言葉に、元貴は弾かれたように黙り込み、また深く俯いてしまった。膝の上で爪が食い込むまで強く拳を握りしめている。
「言いづらいの?」
「……ほっとけば治るし、こんなん」
元貴の声は低く、投げやりだった。自分の体に無頓着で、大切にされることを諦めてしまったかのような、乾いた響き。
「綺麗に治らなくなっちゃうよ」
「いいよ別に」
吐き捨てるように零す元貴に、藤澤は困り果てたように眉を下げた。消毒綿で傷の周りを慎重に拭いながら、探るように問いかける。
「…転んだの? これ、」
「……」
元貴は視線を泳がせ、決して藤澤と目を合わせようとはしなかった。アザの形が「転んだ」という言い訳を許さないことを、本人も分かっているのだろう。
「…大人には相談した?」
「……」
藤澤は、喉の奥にせり上がってくる熱い塊を飲み込みながら口を開いた。
元貴を救えなかった3年間という月日の重さと、今の彼の孤独を想像して、胸が引きちぎられそうになる。
真っ黒な感情に塗りつぶされてしまった彼の言葉のありようが、藤澤にはたまらなく悲しかった。
元貴は、床の一点を見つめたまま動かなかった。けれど、藤澤の声が震えたその瞬間、彼の睫毛がわずかに揺れた。
元貴は、自分を案じる藤澤の動揺を敏感に感じ取っていた。今、身近にいる大人たちとは違う、自分と同じように傷ついたような、震える声。
「なんで先生が泣くの」
少しだけ乾いた、でもどこか懐かしい響きを含んだ声が聞こえた。元貴の声のトーンに、呆れたような、でも少しだけ肩の力が抜けたような笑いを含んでいるのを感じて、藤澤は弾かれたように顔を上げた。
「え、泣いてる……?」
自分の頬に手を当てると、思っていた以上に熱いものが指先を濡らしていた。無意識のうちに、ボロボロと溢れ出していたようだった。
「泣いてるよ、めっちゃ泣いてる」
元貴が今度ははっきりと、声を漏らして笑った。その顔は、さっきまでの無表情の仮面が少しだけ外れて、年相応の少年の表情に戻っているように見えた。
「ごめん、ほんとだ、止まんない……」
藤澤は慌てて手の甲で涙を拭ったけれど、一度決壊した感情はなかなか収まってくれない。
元貴を心配して、悲しくて、でもこうして笑いかけてくれたことが嬉しくて、ぐちゃぐちゃな気持ちが涙になって溢れ出てくる。
(俺、かっこ悪いな……先生なのに)
必死で涙を拭う藤澤の様子を、元貴少しだけ不思議そうに、しかし先ほどよりずっと穏やかな目で見守っていた。部屋に流れていた重苦しい沈黙が、藤澤の涙によって温かい空気に書き換えられていく。
「……変なの」
元貴が小さく呟いたその言葉には、もう先ほどまであったトゲは混ざっていなかった。藤澤は鼻をすすりながら、真っ赤な目で元貴を見て、情けなさそうに笑い返した。
「あ、そしたらさ、」
そのとき、藤澤は何か名案を思いついたように弾んだ声で口を開いた。
元貴は目線を上げ、「ん?」と首を傾げる。
「今日って水曜日だよね」
「うん、そうだけど……」
「じゃあさ、月、水、金に、ちょっとだけお話しない? 学校帰りに寄ってもらってさ」
学校と園以外に、元貴の居場所をつくりたい。
その一心で、元貴が承諾してくれることを祈って提案した。このまま離してしまったら切れてしまいそうなこの糸を何とか繋ぎ止めたかった。
元貴は少し考えたあと、小さく頷いた。
「……うん。わかった。じゃあ、くる」
その声は小さかったけれど、はっきりとした自分の意思が宿っていた。
「よし、約束な。ここでお菓子用意して待ってるから」
藤澤は元貴の頭を優しく撫でた。元貴は避けることなく、その手の温もりをじっと噛み締めていた。
夕暮れの部屋にカラスの鳴き声が静かに溶け込んでいった。
コメント
5件
わるいこから一気読みしてこちらも2話続けて読みました、涙止まらないです😭 再開した時のドキドキ感とお話してる時の暖かい雰囲気がとても癒されます☺️ さりげなくどこの園にいるのか聞いたりボソッといなくなったくらいに。って言うのジーンってきました😭😭😭 ❤️さんは本当に💛先生に救われてたんだなって早いですが改めて実感しました😭😭 ひよりさんが書くお話が本当に大好きです😭😭 続き楽しみにしてます😭😭
やばい、、神作、、!号泣しちゃいました笑 続きまってます!
第2話、じんわりと沁みました……。藤澤先生の「泣いてるよ」って元貴に言われるシーン、あそこがすごく好きです。無理に聞き出そうとせず、沈黙も含めて向き合おうとする距離感が、元貴にもちゃんと届いてたんだなって伝わってきました。足のアザを見つけたときの、ほっとけば治ると突き放す元貴の言葉に、どれだけ独りで戦ってきたかが現れていて切なかったです。でも最後の「くる」という一言が本当に小さくて確かな希望で。お菓子を用意して待つ藤澤先生の背中、見守りたくなりました。