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第197話 旧学園跡地
【現実世界・旧学園跡地周辺/朝】
旧学園跡地は、森になっていた。
ただの雑木林ではない。
木々は、校舎があったはずの場所を避けるように生え、
枝は互いに絡み合いながら、どこか校舎の廊下の形を思わせる影を作っている。
地面には落ち葉が積もっているが、その下には時々、タイルのような硬い感触があった。
ここは森なのか。
それとも、学園だった場所が森の皮をかぶっているだけなのか。
木崎はカメラを構えながら、低く言った。
「前に来た時より、輪郭がはっきりしてるな」
隣の日下部が端末を見る。
「駅が戻った影響です」
「駅周辺が現実側の基準点になったことで、学園跡地の座標が少し安定しています」
「安定して、これか」
木崎は森の奥を見る。
そこには、校門らしきものがあった。
鉄の門ではない。
木の幹と錆びた鉄と、異世界の石材が混ざったような、奇妙な門。
だが、位置は間違いなく、かつての学園の正門だった。
城ヶ峰は無線で指示を出している。
『第一班、北側外周を固定』
『第二班、東側道路を封鎖』
『第三班、南側の林道へ回れ』
『森の内部へは、許可なく入るな』
特殊部隊が周囲に展開する。
警察官が規制線をさらに外へ広げる。
対策班は、樹脂杭と布製の目印を使って、旧学園跡地を大きく囲み始めていた。
ラスト戦のあと、誰も固定金属を信用しなくなっていた。
金属の杭ではなく、樹脂杭。
ワイヤーではなく、布紐。
固定照明ではなく、手持ちと可動式の光具。
木崎が言う。
「ずいぶん慎重だな」
日下部は答える。
「慎重すぎるくらいでいいです」
「ここを戻す時、外周が崩れたら中の学園ごと歪みます」
「駅とは違うか」
「違います」
日下部は画面を見せた。
「駅は、人流中心を先に戻して、あとから場所を戻しました」
「でも学園は、中に人が多すぎる」
「生徒、教師、ハレルさんたち、王都側の術師、レアの不明反応」
「建物だけ戻すと、人が置いていかれる可能性があります」
木崎は眉をひそめる。
「置いていかれる?」
「最悪の場合、体は現実側へ戻っても、意識や位置情報が異世界側に引っかかる」
「逆もあります」
木崎は黙った。
それが何を意味するか、想像したくなかった。
城ヶ峰が近づいてくる。
「外周の設置は」
日下部は端末を確認する。
「北側三割。東側五割。南西はまだです」
「森の密度が高く、機材の搬入が遅れています」
「人を増やす」
「ただし、名前確認を徹底してください」
「森の中で、役割ノイズが出ています」
城ヶ峰の目が鋭くなる。
「もう出ているのか」
日下部は頷いた。
「はい」
「“警備員はこちらへ”とか、
“生徒は校舎へ”という音声に似た反応が、奥から出ています」
木崎が顔を上げる。
「声が聞こえるのか」
「実際の音ではありません」
「でも、隊員のイヤホンにノイズとして乗っています」
城ヶ峰は即座に命じた。
「全隊へ」
『森の中から聞こえる案内や命令には従うな』
『行動指示は所属班長の名前つきで確認する』
『役職名だけの命令は無効』
『繰り返す。名前のない命令に従うな』
木崎は小さく息を吐いた。
「駅前と同じだな」
日下部は森を見つめる。
「同じです」
「でも、もっと複雑です」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館では、点呼が続いていた。
ただの点呼ではない。
誰がどのクラスにいるか。
隣に誰がいるか。
担任の先生は誰か。
最後に現実世界の学園で何をしていたか。
それを一つずつ確認している。
サキは紙を持って、生徒たちの前に立っていた。
「二年一組、名前を確認します」
「呼ばれた人は返事をして、隣にいる人の名前も言ってください」
生徒たちは不安そうに頷く。
「高橋ミナさん」
「はい。隣は、佐々木ユウタです」
「佐々木ユウタさん」
「はい。隣は、高橋ミナと、遠藤先生です」
「遠藤先生」
「はい。二年一組担任、遠藤です。今、体育館中央にいます」
声が重なるたび、体育館の空気が少しずつ落ち着いていく。
名前。
クラス。
先生。
場所。
それが、学園を学園として繋ぎ止める。
ノノの声がイヤーカフから入る。
『いい感じ』
『名前確認とクラス確認、学園外箱の揺れが少し減ってる』
サキは小さく頷いた。
「続けるね」
ハレルは体育館の入口近くで、その様子を見ていた。
主鍵はまだ熱を持っている。
駅を戻した時の疲労も残っている。
だが、今は休んでいられない。
リオが隣に立つ。
「大丈夫か」
「大丈夫」
「その返事は信用できないな」
ハレルは苦笑しかけたが、すぐに表情を戻した。
「レアのこと、考えてた」
リオは少し黙った。
「今は見つからない」
「分かってる」
「でも、戻す準備は進めるしかない」
「分かってる」
ハレルは、空になった箱を見た。
そこにレアはいない。
けれど、サキの言葉が残っている。
戻る場所を残しておかないと。
「学園を戻すことが、レアの戻る場所にもなるのかな」
リオは答えなかった。
代わりに、短く言う。
「戻る場所を作っても、戻るかは本人次第だ」
「うん」
「でも、場所がなければ戻れない」
ハレルは頷いた。
「だから戻す」
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地/北側外周・朝】
北側外周に配置された隊員たちは、森の境目に沿って樹脂杭を打ち込んでいた。
杭と杭を布紐で繋ぐ。
その布紐に、小さな光具を吊るす。
光は弱い。
だが、線として繋がると、森の境界が少しだけ見えやすくなる。
その時、一人の隊員が足を止めた。
「……今、誰か呼びました?」
班長が振り向く。
「誰が」
「分かりません」
「でも、“校舎へ戻れ”って」
周囲が一瞬静かになる。
班長はすぐに言った。
「名前は聞こえたか」
「いえ」
「なら無視しろ」
「作業を続ける。俺の名前を言え」
隊員は一瞬戸惑ったが、すぐに答える。
「北側一班、班長、相馬さん」
「よし」
相馬は頷く。
「俺が命令する時は名前で呼ぶ。森の声は聞くな」
隊員は深く息を吸った。
「了解」
そのすぐ奥で、木々の間に校舎の廊下のような影が揺れた。
一瞬、制服姿の生徒が立っているようにも見えた。
だが、次に見た時には、ただの木の影だった。
隊員は思わず目を逸らす。
相馬班長が言う。
「見るな」
「今は杭を打て」
「はい」
名前で呼ばれ、作業に戻る。
その小さな確認が、彼らを現実側に繋いでいた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】
ノノの端末には、二つの学園が重なって表示されていた。
現実側の旧学園跡地。
異世界側の転移した学園。
位置は同じではない。
完全に重なるわけでもない。
駅を戻したことで、基準点はできた。
だが、学園は大きすぎる。
校舎。
体育館。
校庭。
昇降口。
教室。
廊下。
人。
全部を正しく戻すには、点ではなく面で合わせる必要がある。
ノノは眉を寄せる。
「広すぎる……」
セラが横で言う。
「一度に全体を掴むのは危険です」
「だよね」
ノノは画面に線を引く。
「じゃあ、学園を四つに分ける」
セラが画面を見る。
「校舎棟、体育館、校庭、外周」
「うん」
「ハレルの主鍵は中心」
「リオの副鍵は校舎棟」
「アデルの副鍵は外周」
「ダミエは体育館と学園結界」
「現実側は旧跡地の外周」
「サキは名前確認」
セラは頷く。
「役割が明確です」
ノノは少しだけ苦く笑った。
「役割って言葉、最近怖いけどね」
「ですが、役割を本人の名前と結びつければ、影に奪われにくくなります」
ノノはその言葉をメモする。
『役割単体は危険。名前と結びつける。』
「これ、大事かも」
その時、端末にまた白い補助層反応が走った。
ノノはすぐに通信を開く。
『匠さん?』
ノイズ。
そして、かすかな声。
『……分けろ』
『だが、切り離すな』
ノノは息を止める。
『学園を四つに分けるつもりです』
『校舎、体育館、校庭、外周』
『正しい』
『だが、それぞれを別のものとして戻すな』
『名前で繋げ』
『教室の名前、先生の名前、生徒の名前』
『場所と人を結べ』
ノノは急いで記録する。
『匠さん、レアは?』
ノイズが強くなる。
少し遅れて、声が返った。
『彼女は、自分の名を探している』
『だが、名を探す者は、名を奪われやすい』
「どういう意味……?」
返事は薄れていく。
最後に、匠は言った。
『サキに、覚えておけと伝えろ』
『レアを役割で呼ぶな』
通信が切れた。
ノノは画面を見つめたまま、すぐに学園側へ繋ぐ。
『サキ』
『匠さんから』
『レアを役割で呼ばないで』
『呼ぶなら、名前で』
少し間があった。
サキの声が返る。
『……分かった』
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層の廊下】
レアは、暗い廊下を歩いていた。
カシウスの観測室から離れたはずなのに、足元の文字列は消えない。
自由。
役割。
顔。
命令。
レア。
最後の文字で、レアは足を止めた。
「……今、呼んだ?」
返事はない。
周囲には誰もいない。
ただ、壁のない廊下が続いているだけだ。
だが、どこか遠くで、誰かが自分の名前を覚えている気がした。
サキ。
その名前が浮かんだ瞬間、足元の文字列が少しだけ乱れた。
レアは自分の胸に手を当てる。
「レア」
小さく、自分で呼んでみる。
その声は頼りなかった。
誰かに与えられた名前かもしれない。
役割のために付けられた名前かもしれない。
それでも、サキはその名前を呼んだ。
命令ではなく。
役割ではなく。
ただ、レアと。
レアは少しだけ笑った。
「変な子」
その時、廊下の奥に、黒い影が立った。
誰かの形ではない。
ただ、細い文字列をまとった影。
レアは目を細める。
「パイソン?」
影は答えない。
ただ、遠くから見ている。
レアは一歩下がった。
「まだ行かない」
「私は、あなたたちのところには戻らない」
影は動かない。
だが、廊下の文字列が少しずつ濃くなっていく。
レアはそれを見て、初めて少しだけ不安を覚えた。
自由になったはずなのに、道の先がどこにも開いていない。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
外周の設置が、ようやく七割を超えた。
森の周囲を、白い小さな光が点々と囲んでいる。
まだ完全な円ではない。
それでも、旧学園跡地の輪郭は少しずつ浮かび上がっていた。
日下部が画面を確認する。
「校舎外周反応、上昇」
「体育館と思われる位置も取れ始めています」
「現実側からの座標補正、機能しています」
城ヶ峰が言う。
「異世界側は」
「名前確認が進んでいます」
「サキさんが中心になって、生徒と教師をクラス単位で固定中」
「ノノさんが学園を四区画に分ける案を組んでいます」
木崎は森の奥を見ていた。
「ここが戻れば、あっちの学園は消えるのか」
日下部は少し考える。
「駅と同じなら、異世界側からは学園の輪郭が消えて、現実側に戻ります」
「ただし、中にいる人も一緒に戻す必要があります」
「失敗すれば」
日下部は答えなかった。
答えないことが答えだった。
木崎はカメラを持ち直す。
「なら、失敗しない前提でやるしかないな」
その時、森の奥で、低い音がした。
木が折れる音ではない。
校舎の扉が閉まるような音。
全員がそちらを見る。
森の奥に、薄く校舎の影が立っていた。
窓。
廊下。
昇降口。
ほんの一瞬だけ、現実側から学園が見えた。
日下部が叫ぶ。
「反応上昇!」
「学園の外形、現実側に一時投影!」
城ヶ峰が即座に命じる。
「全班、配置を崩すな」
「今見えているものに近づくな」
「外周固定を続けろ」
木崎は、カメラ越しにその校舎の影を見た。
そこに、ハレルたちがいる。
そして、まだ見えないどこかに、レアがいる。
◆ ◆ ◆
旧学園跡地は、少しずつ形を取り戻し始めた。
現実側では、大部隊が森を囲み、学園の外周を掴もうとしていた。
異世界側では、生徒たちが名前とクラスと先生を確認し、
自分たちの学園を思い出していた。
匠は告げた。
学園を分けろ。
だが、切り離すな。
場所と人を名前で結べ。
そして、レアを役割で呼ぶな。
名前で呼べ。
レアは深層の廊下で、自分の名前を小さく呼んだ。
その名が本当に自分のものなのか、まだ分からないまま。
現実側から、学園の影が一瞬見えた。
帰還の準備は、確かに進んでいた。
だが、見えない場所では、黒い文字列が静かに濃くなっていた。
麗太
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