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そう自覚した瞬間、自嘲気味な笑みが漏れる。
「……もう、今更か」
羽衣子は既に稲見組から狙われる立場になっている。
それについては想汰が要因の一つではあるが、それがなくとも、昴の傍にいる以上は遅かれ早かれ標的になっていただろう。
共に暮らしていることを知られている時点で、敵は羽衣子を昴にとって大切な存在だと判断する。
それで言えば希海も同じく標的にはなるが、幼い子供よりも大人で扱いやすい羽衣子の方が利用価値は高い。
まして若頭の女だと認識されているのなら尚更だ。
そして、もし万が一捕まれば――。
そこまで考えたところで昴は無意識に奥歯を噛み締めた。
正直、その先を想像したくはなかった。
「…………」
気付けば煙草は短くなっていて、灰皿へ押し付けて火を消し静かに息を吐く。
そしてようやく認めることになる。
羽衣子はもう、自分にとって失いたくない存在なのだと。
認めることを避け続けていただけで、その存在はいつの間にか想像していた以上に昴の中で大きくなっていた。
翌朝、目を覚ました羽衣子は自分がどこにいるのか思い出すまでに少し時間がかかった。
ぼんやりとした頭で周囲を見回しながら身体を起こしたその時、ソファーで眠る昴の姿が目に入った。
長い脚を投げ出し、腕を組むようにして横になっていて少し窮屈そう。
「えっ……!?」
どうして昴がソファーで寝ているのか、そもそも自分はいつベッドに入ったのか、分からないことだらけで一人混乱していると、
「……ん」
小さな唸り声と共に昴が目を開き羽衣子へ視線を向けた。
「起きたか」
「あ……」
「よく眠れたみたいだな」
「はい……あの……私、昨日、いつの間に寝ちゃったんでしょうか?」
そう尋ねた瞬間、昴はわずかに視線を逸らし、どこか気まずそうなその様子に羽衣子は首を傾げる。
「……度数の強い酒を飲んでな」
「え?」
「酔って、そのまま寝た」
その言葉を聞いた途端、羽衣子の顔色がみるみる変わり、
「す、すみません!!」
勢いよく頭を下げた。
「わ、私、何かご迷惑をお掛けしませんでしたか!?」
「……いや。別に」
否定はされたけれど、その返事はどこか歯切れが悪く聞こえ、それがかえって羽衣子の不安を煽った。
(やっぱり何かしたんだ……!!)
記憶がないからこそ余計に怖いと羽衣子は思う。
「あの、本当に申し訳――」
「別に大したことじゃねぇよ」
「え?」
「ただ……名前で呼んで欲しいってことと、敬語を止めて欲しいってことを、言ってただけだ」
昴の言葉に羽衣子の思考がぴたりと止まる。
「…………え?」
「だから」
「そ、それ、私が言ったんですか!?」
「……ああ」
「す、すみません……!」
再び真っ赤になった羽衣子は先程よりも深く頭を下げる。
「そんな偉そうなことを……!」
謝り続ける羽衣子に昴は言った。
「別に怒ってねぇし、気にしてねぇから」
「でも……」
「いいんだ……正直、俺もそのほうが楽だから」
「え……?」
その瞬間、羽衣子はふと気付く。
今までの昴はいつも穏やかだったことや、優しく微笑み気遣うように言葉を選び、一定の距離を保とうとしていたことを。
けれど今、目の前にいる昴は少し違う。
無理に取り繕うこともなく飾った笑顔を浮かべることもない。
言い方も少しぶっきらぼうだけど、これまでの昴よりも彼らしい。
組員たちに見せていた飾らない、素の昴が自分の前に居るのだと。
それはきっと、羽衣子には素を見せても良いと判断した結果なのだろう。
「……京極さん……」
羽衣子が小さく呟くように呼ぶと、昴はわずかに視線を向けた。
「それと、昨夜はこんなことも言っていたな」
「え?」
「自分も名前で呼びたい、ってな」
「……え?」
突然の言葉に羽衣子の思考がぴたりと止まる。
(わ、私……そんなことまで言ったの?)
酔っていた昨夜の自分が何を口走ったのか全くと言っていい程覚えておらず、思い返そうとしても断片すら浮かばず、代わりに顔だけがみるみる熱くなっていく。
「羽衣子も、これからは俺のことを名前で呼べ」
「で、でも……」
「俺だけ名前で呼ぶのは不公平だろ?」
淡々と告げられた羽衣子は返す言葉を失う。
「昨日は呼んでいたんだ。もう一度呼んでみろ」
「……っ」
昨夜名前を呼んだのは酒に酔った自分で、今の自分には心の準備などまるで出来ていない。
けれど、ここで逃げてしまえばきっとこの先も呼べなくなる。
そんな気がした羽衣子は膝の上でぎゅっと手を握り締めると、意を決して口を開く。
「……昴……さん」
恥ずかしさで消えてしまいそうなくらい小さな声ではあったけれど、それでも確かに名前を呼ぶと昴はほんの少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「それでいい、それはそうと、そろそろ準備して出るぞ。乙哉が迎えに来てくれるようだからな」
「は、はい!」
こうして二人は名前で呼び合うようになった。
傍から見れば些細な変化かもしれないけれど、これは二人の間にあった距離を縮めたとても大きな出来事で、昨日までより明らかに近くなった関係を胸に、準備を終えた二人は部屋を後にした。
コメント
1件
うわああ、このエピソードすごく良かったです…!昴がようやく羽衣子を「失いたくない存在」って認めたところ、胸がギュッとなりました。それから朝の気まずいけど甘い空気…酔った勢いで「名前で呼んで」「敬語やめて」って言っちゃう羽衣子、可愛すぎます。昴が「俺だけ名前で呼ぶのは不公平だろ」って言うシーン、ずるい!あれはもう完全に距離縮まってますよね。二人の関係が確実に変わったのが伝わってきて、読んでてすごく嬉しくなりました💜
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