テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
ーー彼岸花ーー
川辺に沿って歩くと、燃えるような赤が土手一面に揺れていた。
彼岸花――その鮮烈な色を前にすると、胸の奥に沈めてきた記憶がどうしても疼き出す。
十年前、まだ学生だった頃、彼と過ごした最後の秋を思い出さずにはいられなかった。
「この花の花言葉、知ってる?」
隣を歩く彼が笑って問いかけた。
夕暮れの陽が川面を照らし
彼の横顔を橙色に染めていた。
私は首を横に振ると、彼は少し得意げに言った。
「悲しい思い出、再会、そして諦め。……でも俺はさ、諦めじゃなく“再会”を信じたい」
あの日の言葉は、彼が突然いなくなった後も、胸の奥で何度も反響し続けた。事故だった。
あまりに唐突で、誰も覚悟すらできないまま
彼はこの世界から消えた。
もう二度と声を聞けないと知らされたとき、私の時間は止まったままになった。
人は時間が癒すというけれど、彼岸花の赤を見るたびに、癒えかけた傷は開いてしまう。
まるでこの花が、彼との約束を忘れることを
許さないかのように。
季節が巡り、大人になり、周囲から「そろそろ結婚は?」と問われる年齢になっても、心は十年前に置き去りにされていた。
そして今年もまた
川辺に赤が咲き揃う季節が訪れた。
風に揺れる花々を眺めながら立ち尽くしていると、不意に懐かしい声が背後から響いた。
「……遅くなったね」
振り返った瞬間、息が詰まった。
そこには十年前と変わらない
姿の彼が立っていた。
声も、瞳も、笑顔も、何一つ違わない。
私の中で凍りついていた時間が
一気に解けて流れ出す。
「夢……なの?」と震える声で尋ねると、彼は首を横に振り、微笑んだ。
私はたまらず手を伸ばした。
だが指先は空を掴み、すり抜ける。
確かに温もりを感じたはずなのに、次の瞬間には影のように消えてしまう。
「俺、もう戻れないんだ」彼は静かに言った。
「でも約束は守りたかった。彼岸花が咲くころ、必ず会いに行くって」
涙が止まらなかった。
十年の間、私はずっとその言葉を信じて
待ち続けていた。
再会を願えば願うほど、残酷さが胸を抉る。
風が吹き、赤い花弁が舞い上がったとき、彼の姿はその中に溶けて消えた。
残されたのは、頬を伝う涙と
胸に残る痛みだけだった。
「再会」――それはほんの刹那の奇跡。
「諦め」――それこそが私に課された宿命。
川辺を離れながら、私は心の奥で小さく誓った。
彼岸花が咲く限り、私はここに戻ろう。
もう二度と会えなくても、燃えるような赤の中に、彼との約束を抱き続けて。
今年もまた、彼岸花は私の悲しい思い出を揺らし、赤い炎のように咲き誇っていた。
ーーENDーー